TRADITIONAL STYLE

Vol.22 池谷 裕二


Jun 11th, 2014

Photo_Shota Matsumoto
Text_Takashi Sakurai
Edit_Rhino inc.

東京大学大学院薬学系研究科で教授を務める、脳研究者・池谷裕二さん。30代ですでに100以上の学術論文を発表し、米科学誌Scienceなどでも取り上げられている、世界的に有名な方。一方で糸井重里さんとの共著「海馬」などの著書を通じて、脳科学の世界を分かりやすく世に紹介している人でもあるんです。まずは軽く、脳科学へ興味をもったきっかけなどを伺おうと思ったのですが……。脳はでっちあげる!? テレパシーも可能!? 次々に驚くべき事実がサラッと出てくる、このインタビュー。いつのまにやら、めくるめく脳科学の旅へ。

神経細胞のネットワークを解明したい。

ー いまはどのような研究をしているのですか?

池谷 裕二 一言で言うのは難しいんですが、メインとしては海馬や大脳皮質をターゲットとして、神経回路の動作原理を研究しています。簡単に言うと神経細胞同士のネットワークの繋がり方ですね。実は神経細胞ひとつひとつの働きというものは、かなり解ってきているんです。ほとんど解明されていないことがないんじゃないかというくらいに。

ー おお。そんなに分かっているんですか。それは意外ですね。

池谷 裕二 でも、それが集まった時にどうなるのかというのが解っていないんです。脳には数え切れないくらいの神経細胞があるんですが、そもそも10個繋がっただけで、まったくわからなくなるんです。たとえば人間もひとりで居るときと、10人集まった時では発言とか行動が大きく変化しますよね。それと似たことが神経でも起こるんですよ。

ー それは、どういう実験で解明していくんですか?

池谷 裕二 できるだけたくさんの神経細胞から同時に、活動パターンを記録していく。それを集めていけば、その裏でどんな原理が成り立っているのかが、判明できるのではないだろうかと考えています。

ー それって、すごく膨大な時間がかかりますよね?

池谷 裕二 時間もそうですが、コンピューターパワーも重要ですね。データを取るだけじゃ無くて、その解析にも非常に時間がかかるんです。

ー もし、その神経細胞の繋がり方というのが解明されれば、脳自体を作り出したりすることも可能なんですか?

池谷 裕二 脳そのものを作るということには、あまり意味があるとは考えていません。それだったら、子供を産んだほうが断然良いですよね。本物の脳ができますから。ただ、脳の働きのある部分を抽出できるとしたらどうでしょう。例えば気遣いができるロボットを作るとか。「気遣い」という部分の脳のネットワークが解明できれば、そういったことも可能になるかもしれません。

きっかけはなし。人間はすぐに理由を見つけたがる生き物。

ー そもそも、脳科学というものに興味を持ったきっかけのようなものはあるんですか?

池谷 裕二 それは特にないですね。

ー え!? ないんですか?

池谷 裕二 脳の研究で有名な話で、「理由を聞かれたら、すぐにその理由をでっちあげる」っていうのがあるんですよ。例えば、どうして今の仕事をやってるんですか? とか聞くと、なにか答えようとしますよね?

ー そうですね。なにかそれっぽい答えを言いますね。

池谷 裕二 その理由って、ほぼ100パーセント、嘘であることが分かってるんです。

ー ええ!? ホントですか!

池谷 裕二 もちろん、本人はそれを嘘だなんて思っていませんけどね。脳はそういう具合に自分で自分を騙してしまうことがあるんです。だから、私がいまここで、なにかその理由を言ったとしても、それはきっと嘘でしょうね。

ー えーっと……。でも脳がでっちあげることのメリットというのはいったいどんなものなんですか?

池谷 裕二 それはよく分かっていないんですが、人は何かあるとすぐにその理由とか目的を探ろうとする生き物なんですよ。でも突き詰めていくと、理由なんてないことのほうが多いんですよ。そもそもなぜ人間が存在するのか? ということですら、理由なんかわかりませんよね。

ー たしかに。

池谷 裕二 でも人間は自分の存在理由とか、生きている目的だとかを探したくなるという風にプログラムされていて、でもそこにあまりにもこだわってしまうと、間違った目的を勝手にでっちあげてしまう危険性もあるわけです。でもきっと自分が存在している理由なんてないと思うんですよね。

ー でも、自分の存在意義を否定するのって無意識の恐怖感がありますよね。

池谷 裕二 小さい頃からの刷り込みがかなり影響していると思いますよ。「あなたが何をしたいのか、理由をはっきり言いなさい」とか、そういう教育を受けているから、理由のないまま生きるのは不安なんでしょう。

ー なるほど。

池谷 裕二 だから、いま私がここでこうしている理由なんて特にないんですよ。ただ、居る。

研究の面白さは様々な発見。

ー どんな所がいまやっている研究の面白い所ですか?

池谷 裕二 もちろんその都度その都度で面白さは変わるんですけれど、想定していなかったことが見えてきた時が、一番面白いですね。でも思惑通りに事が進んだ時も、それはそれで面白い。研究をしていると「こうじゃないかな?」という直感が降りてくるんですが、それって大体外れるんですよ。そんなに都合良く人体はできていない。でもごく稀にそれが的中することがあるんですが、その時もやっぱり面白いですね。

ー 二通りの面白さがあるんですね。

池谷 裕二 研究には仮説を立てて、それを検証していくという手法と、どうなるかわからないから、やってみようというタイプのものがあるんですね。例えばガリレオが月のクレーターを発見したのは、あれは望遠鏡を作ったからですよね。彼が仮説を立ててやっていたわけではない。

ー たしかに、月にクレーターがあるはずだという仮説は立てていなかったでしょうね。

池谷 裕二 望遠鏡というものを空に向けた結果、見つかったわけです。その時の興奮は仮説検証型では得られないものでしょうね。私たちの研究の場合は、神経細胞のデータをできるだけたくさん取る。そういうことをしていると、思いもよらなかったものがパッと見つかる瞬間があるんですね。それはやっぱり仮説検証型で的中した時とはまったく異質な面白さですね。

ー 脳科学を通じて、世の中に貢献したいという考え方をされていたりするんですか?

池谷 裕二 必ずしも義務だとは思っていませんが、最終的にはやっぱり何かの役に立てたいなとは思っていますよ。そもそも薬学部に在籍している時点で、薬を作りたいというのが最終目標なんですよね。

脳の可能性を考えるとワクワクする。

池谷 裕二 ところで、いまどっちが北かわかりますか?

ー えーっと………。

池谷 裕二 わかりませんよね? それはどうしてでしょう?

ー 情報がないからですかね? 太陽の位置が見えればなんとなくは分かるかもしれませんが。

池谷 裕二 でも、iPhoneを使うと、こっちが北だってわかる。ではなぜ私たちにはわからなくて、iPhoneにはわかるんでしょう?

ー 磁石が入っているからですよね。

池谷 裕二 そうですね。iPhoneの中に地磁気チップが入っているからです。となると、私たちがどうして北がわからないかというと、それは地磁気センサーを持っていないからとも言えますよね。あるとき、iPhoneを分解してみたことがあるんですけど、iPhoneに入っている地磁気センサーって1ミリ程度しかないんですよ。例えば、それを脳に入れてしまえば?

ー 方角が分かるようになるんですか!?

池谷 裕二 マウスを使った実験で分かったんですけど、地磁気センサーを脳に入れると、目が見えない状態でも複雑な迷路を解くことができるようになるんです。と、いうことは、脳自身が原因で方角がわからないわけではないんです。

ー なるほど。脳の機能を体が限定してしまっているんですね。

池谷 裕二 その通りです。脳というのはすごくポテンシャルが高いんです。

ー じゃあ、凄い体になれば、脳もそれに対応していくということなんですか?

池谷 裕二 そうなんです。脳の能力にリミッターをかけているのが体なんです。私たちの体というのは、先ほど言った地磁気以外にも、紫外線も見えないし、電波も見えないし、放射能も見えない。感じられないものがあまりにも多いんです。

ー コウモリは超音波を使いこなすんですよね?

池谷 裕二 そうですね。でもコウモリの脳ってものすごく小さいんですよ。その程度の脳でも、我々人間には見えない超音波を完璧に操ることができる。イカなんかだと手足が10本もあるじゃないですか。さらに吸盤まである。あれ一個一個、完璧に操っていますからね。もちろん脳なんて人間とは比べ物にならないくらい小さいんですよ。

ー そう考えると、人間の巨大な脳なら相当なことができそうですね。

池谷 裕二 そうなんですよ。脳のポテンシャルってどこまで高いのかということを考えると、とてもにワクワクしますね。例えば、電波が見えたら面白いと思いませんか?

ー たくさん飛んでいるから、ちょっと混乱しそうですけど……。

池谷 裕二 でも、脳に電波を受信する機能をつければテレビなんていらなくなりますよ。電波をそのまま受信するだけで、内容を把握できるようになる。さらに言えば、電波を発信する機能もあれば……。

ー テレパシーのようなことができると?

池谷 裕二 そうなんです。いわゆる超能力ってやつですけど、人間の脳のポテンシャルならきっと可能なレベルなんです。

ー へえええええ。

池谷 裕二 そもそも、こうやって会話しているのも回りくどいじゃないですか。脳って要するに電気信号なんですよ。会話をするときはその電気信号によって生み出されたものを、わざわざ声帯を震わせて、空気振動に変えて伝達している。受け取る側は鼓膜を使ってキャッチして、電気信号として脳に伝える。ものすごく非効率ですよね。

ー たしかに。でも、例えばある人にそういう受信装置と発信装置を取り付けたとして、そんなにすぐに使いこなせるものなんですか?

池谷 裕二 たぶん、いけます。地磁気チップをつけたネズミの場合は、2日でそれを使いこなせるようになっていますからね。

ー そんなに短時間で……。

池谷 裕二 人間の場合は口頭で説明できるから、もっと早いかもしれませんよ。

ー 取り扱い説明書的な(笑)。

池谷 裕二 さらに言えば、ラジオ波って簡単に言うと、波長の長い光なんですけど、それを見えるようにするとなにが起きると思いますか?

ー えーっと……。

池谷 裕二 ラジオ波の特性を考えればわかると思うんですが。

ー あっ! 壁を通り抜けますね!?

池谷 裕二 そうなんです。つまりラジオ波が見えれば、壁の向こう側のものが見えるようになるんです。テレパシーにしても透視術にしても、怪しいイメージありますけど、かなり現実的な話なんですよ。

ー おおおぉぉぉ!

池谷 裕二 これくらいにしておきましょうか。止まらなくなりますから(笑)。

忘れるということは積極的な行為。

ー ちょっと話題を変えて、例えば「仕事ができる脳の状態」というものはあったりするんですか? もしあるんだとしたら、その状態に持って行く方法なんてものも……。

池谷 裕二 それは分かれば苦労しないですね(笑)。

ー 残念……。では、物覚えの良い人と、悪い人っているじゃないですか。その差というのは、脳の能力の差なんですか?

池谷 裕二 ……難しい質問ですね。ちょっと整理しましょう。脳は単独では存在しないですよね。体があるからこそ、脳に意味がある。だから、物覚えが良いというのは、脳がすごいというのも、もちろんあるんですが、同時にそれを支える体もすごいわけで、だからその人がすごい!としか言いようがないですね。

ー 記憶が良くなりたいなとか、よく思うんですよ。例えば、面白い本を読むとするじゃないですか? その時は「この部分、すごく面白いなあ」とかなんとか思っているんですよ。でもある程度時間が経つと、面白いということは覚えているんですが、ディティールをほとんど覚えていない状態になってしまうんです……。

池谷 裕二 いいじゃないですか。

ー ええ!?

池谷 裕二 また読む楽しみができた(笑)。

ー まあ、そうですけどね(笑)。でも、そういう知識は蓄積されてるんですか?

池谷 裕二 それは大丈夫です。すっかり忘れてしまっている記憶でも、脳の中にはその痕跡がしっかり残っているんですよ。そういう忘れている記憶を呼び戻す薬がそろそろ開発されるはずです。

ー じゃあ、その薬を使えば、例えば事故などで記憶を失った人も、記憶を呼び戻せるんですか?

池谷 裕二 それはまだ不明です。ただ、自然に消えてしまった記憶であれば、呼び戻せるということは判明しています。たとえばネズミが3日くらいで忘れてしまう弱い記憶があったとしましょう。その薬を飲ませると1ヶ月後でも、その記憶を呼び戻すことができるんです。だから痕跡自体はずっと残っているんでしょうね。

ー なるほど。

池谷 裕二 消去記憶という言葉があって、忘れるということは積極的な行為なんです。

ー 自然に色あせるものではない?

池谷 裕二 そうです。その情報を蓄積している場所に蓋をしてしまうんです。

ー じゃあ、その薬はその蓋を取っ払ってくれると。

池谷 裕二 でもその蓋って必要だからしているはずなので、それを取ってしまうのが果たして良い事なのかは、まだ分かっていません。その薬の場合は、思い出したいのに思い出せない記憶を呼び戻せるというイメージです。

ー じゃあ、認知症なんかにも効果があるんですか?

池谷 裕二 その可能性はありますね。

世界は人の数だけ存在する。

ー ところで、脳について知りたいなという人におすすめの本などはありますか?。

池谷 裕二 V・S・ラマチャンドランの「脳の中の幽霊」は良い本ですね。あとは僕の本も推しておいてくださいよ(笑)。

ー 失礼しました(笑)。池谷先生はたくさん本を出されていますけど、中ではどれがおすすめですか?

池谷 裕二 「進化しすぎた脳」と「単純な脳、複雑な私」ですね。その2冊はラマチャンドランの本の内容をもうちょっと噛み砕いて喋っている本になっています。

ー いくつか著書を読ませていただいたんですが、驚いたのが脳科学のカバーする範囲の広さですね。あれも脳科学で説明できるし、これも脳科学で説明できるじゃないか! という驚きがありました。

池谷 裕二 そうですね。人間の所作には、なんらかの形で脳が命令を出している以上、脳科学は政治にも経済にも関係してきますね。神経美学というものがあって、「人間はなにを美しいと思うか?」などを、神経生理学的に解明していく学問もありますよ。

ー ファッションもそうなんですが、人間というものは、好きとか嫌いとか、良いとか悪いとかをある程度、パッと判断するじゃないですか。

池谷 裕二 それは、長い間の経験によって、瞬時に出てくる基準が出来ているからでしょうね。

ー そこで不思議なのが、個人差がすごくありますよね。例えば色だったら、赤が好きな人もいれば、黒が好きな人もいる。その差というものがなぜ生まれるのかが疑問なんです。だって、脳や体というものは同じ人間だったらそんなに大差ないわけじゃないですか。それなのにものすごい個体差が生まれますよね。

池谷 裕二 その差は、やはり経験によって生まれることが多いと思います。先ほど言っていたように、例えば0歳の頃の記憶とかも脳の中には残っているので、それに左右されるということが言えるでしょうね。

ー では、例えば、黒が好きだという人は、黒を選ぶことによって、過去になにか良い経験をしたことがあるってことなんですかね。

池谷 裕二 そうですね。逆に嫌いなものだったら、過去になにか嫌な思いをしたとか、そういう経験に基づいている所はありますね。実は「白を嫌いにする実験」というものがあるんです。そもそもはそんな目的ではなかったんですが、赤ちゃんの前に白いウサギのぬいぐるみを置いて、そこに近づくと大きな音を鳴らす。ちょっと可哀想ですけどね。それを繰り返すと、ウサギのぬいぐるみはもちろん、本物のウサギも嫌いになってしまったんです。さらには、看護師さんの白衣姿も嫌いになってしまった。

ー 白という色自体が嫌いになってしまったと。

池谷 裕二 それが大人になっても続くということが分かったんです。でも赤ちゃんの頃の経験ですから、大人になった本人はその理由はわからないんですよ。だから、そういうちょっとした経験が積み重なって、物事の好き嫌いを分ける大きな要因になっているんですね。ただ色に関して言えば、他にもあって、例えばこのペンケースは赤ですよね。私が見ている赤と、皆さんが見ている赤は同じだと思いますか?

ー 違いそうですね。

池谷 裕二 遺伝子多型といって、遺伝子には結構個人差があるんですよ。だから同じ赤を判別するにしても、それぞれみんなが持っているアンテナが違う。

ー ということは、みんな見えている色は違うはずなんですね。

池谷 裕二 そういうことですね。だから経験以外にも、そういった遺伝子多型によって好きなものが変わってくる可能性もありますね。味に関しても一緒です。もちろん甘いものは甘いとか、多くの共通項は持っていますが、感じ方はきっと違うはずなんです。味に関しては特に遺伝子多型の影響が大きいですね。だから、人の好みというのは、生まれながらにして決まっているもの(遺伝子多型)と、経験によるものの2つが影響しているんです。

ー そういう風に考えて行くと、自分が見ている世界って他人とは結構違うってことですよね。

池谷 裕二 そうですね。自分が見ている世界は、あくまでも自分だけのものであって、他の人と同じだとは思わない方がいい。だから、自分の好みを人に押し付けるなんていうのは、かなりおかしな行為なわけです。感じているものがそれぞれ違うんですから。

ファッションは科学できない。