FEATURE

TALK ABOUT TRAD & PREPPY      
完全収録! トークイベント「トラッドとプレッピーのこと」〜前編〜


Jun 24th, 2015

photo_satomi yamauchi
text_yuichiro tsuji

6月7日にニューヨーカー銀座店で開催され、多くのお客様にお越し頂いたトークイベント「トラッドとプレッピーのこと」。当日はゲストスピーカーに服飾評論家の遠山周平さんとデザイナーの尾崎雄飛さん、司会にmurofficeディレクターの中室太輔さんを迎え、ファッションに対する熱いトークが繰り広げられました。そんなイベントの全容を前後編に分けてレポート。

前編となる今回は、過去から現在に至るまでのトラッドファッションの歴史や、国によるトラッドの認識の違い、アメリカントラッドが日本に根付いた背景などを紐解いていきます。

PROFILE

遠山 周平

遠山 周平
服飾評論家。1951年東京生まれ。日本大学理工学部建築学科出身。取材を第一に、自らの体感を優先した『買って、試して、書く』を信条にする。豊富な知識と経験をもとにした、流行に迎合しないタイムレスなスタイル提案は多くの支持を獲得している。天皇陛下のテーラー、服部晋が主催する私塾キンテーラーリングアカデミーで4年間服づくりの修行を積んだ。著書に『背広のプライド』(亀鑑書房)『洒脱自在』(中央公論新社)などがある。ICON OF TRAD 連載中。

尾崎 雄飛

尾崎 雄飛
2001年セレクトショップバイヤーを経て、2007年〈FilMelange〉を立ち上げる。2011年からフリーランスのデザイナーとして様々なブランドのデザイン、ディレクションを手がける。2012年自身のブランド〈SUN/kakke〉、2015年〈YOUNG & OLSEN The DRYGOODS STORE〉をスタート。現在、様々な商品ブランディングも務めている。尾崎雄飛の珈琲天国 連載中。

中室 太輔

中室 太輔
2000年 株式会社ベイクルーズ入社。<EDIFICE>ショップ販売員を経て、2003年より同ブランドのカジュアルプレスを担当。2007年退社後、フリープレスを経て2008年7月より『muroffice Promotion Planning』代表兼プランニングディレクターを務める。

日本のトラッドファッションの祖、VAN・石津謙介。

中室: 「トラッドとプレッピーのこと」と題してトークイベントを始めたいと思います。今回、司会を務めさせて頂きますmurofficeの中室です。よろしくお願い致します。では、ゲストスピーカーのおふたりを紹介します。まずはじめに、〈SUN/kakke〉デザイナー兼ディレクターであり、〈FilMelange〉のディレクターにも復帰された尾崎雄飛さんです。

尾崎: よろしくお願いします。

中室: 尾崎さんは僕と同い年で今年35歳になるんですが、素晴らしい洋服の知識をお持ちでお話を聞くのが楽しみです。あとおひとりは、僕がこうしてご紹介するのも恐れ多いほどの大先輩である服飾評論家の遠山周平さんです。

遠山: 遠山です。よろしくお願い致します。

中室: 僕の洋服の知識が10だとしたら、遠山さんの知識は100なんてくだらないほどすごい知識をお持ちの方です。このおふたりに素敵なお話をたくさん伺っていきたいと思います。早速なんですが、おふたりがアメリカントラッドを好きになったきっかけを教えてください。

尾崎: 僕は父親の影響ですね。父はいわゆる「VAN世代」の人間で、日本にアイビーが輸入されてきた時代に青年期を過ごしてきました。僕が中学生のときに「お洒落になるにはどうしたらいいの?」という質問をしたら、「VANを着ろ」という答えが返ってきて。それがきっかけでアメリカントラッドにのめり込んでいきましたね。

中室: お父さんは典型的なVAN世代の方なんですね。遠山さんも同じ世代なんじゃないですか?

遠山: そうですね。僕は今年64歳で、尾崎さんのお父さんと同じ世代だと思います。僕がアイビーに触れたのは60年代の頃で、そのとき僕はまだ10代と多感な時期でした。当時はアイビースタイルのブランドが続々と設立していて、従来のファッション感からすると異次元のものが突然現れたような感じだったんです。

中室: それはどういうことなんですか?

遠山: むかしのデパートの洋服売場は、ジャケット、シャツ、パンツを別々の人が仕入れていて、コーディネートという観念が無かった。着れればよいという時代とでもいうか…。それが60年代になりトータルにコーディネートできる洋服が増えてきて、「これはカッコいい」となったんです。

中室: そういった文化を日本に持ち込んだのが〈VAN〉なんですか?

遠山: そうですね。もっと正しい言い方をすれば、〈VAN〉の創業者である石津謙介さんが導入したと言ったほうが良いかもしれません。

中室: なるほど。

遠山: むかし中国に租界という外国人居留地があって、アメリカ人やイギリス人がたくさんいたんですよ。石津さんは天津の租界で仕事をしていて、欧米の洋服文化に触れるわけです。終戦後はそこで通訳をし、ひとりのアメリカ進駐軍の軍人に出会うんですが、その人がまさにプレッピーな人だった。その人からアメリカントラッドに関する情報をたくさん仕入れて、それを日本に持ち帰ったということなんです。

中室: 遠山さんはそれに触れて以来、ずっと好きでいらっしゃるんですね。

遠山: そうです。60年代というのは「MEN’S CLUB」という雑誌が創刊した時代でもあります。実はこの雑誌は、石津さんがアイビーの着こなしを広めるための宣伝媒体として誕生させたという話を聞いたことがあるんです。当時3万部の刷数のうち半分を〈VAN〉が買って、自分のお店にバックナンバーを揃えて販売した。それをアイビーに興味を持った人たちに見せて、着こなしであったり、必要なワードローブについてレクチャーもしていたんです。〈VAN〉が作った洋服を「MEN’S CLUB」が雑誌という形で拡げて、アイビーを浸透させていった。

アイビーとプレッピーの違い。

中室: いまトラッドやプレッピー、アイビーというワードが出てきているんですが、それぞれの違いについてお伺いしたいです。捉え方としては、トラッドという大きな枠の中にプレッピーとアイビーがある、という考え方でよろしいのでしょうか?

遠山: そうですね。アイビーというのは、アメリカの北東部にある名門校の連盟「アイビーリーグ」に由来しています。つまり、その学校の生徒たちがしていた格好を称して「アイビー」と呼んでいるんです。戦争で多くの犠牲者が出たアメリカでは、エリートとなる人物を早急に養成しなければいけないと考えていました。それは単なる勉強だけではなく、食事のマナーとか、文化に対する教養、正しい洋服の着方も必要だと考えていて。

というのも、そのエリートたちが学校を卒業して海外へ出ていったときに、アメリカという国がいかに素晴らしい国かということをマナーや着こなしで正しく伝えられる人を育てようとしていたんです。例えばイェール大学なんかは、生徒たちに対して「模範にすべきワードローブ」というのを提示していました。

中室: つまりアイビーとは、そのエリートたちのことをいうんですね。プレッピーに関してはどうなんでしょうか?

遠山: プレッピーというのは、そういった教育をしなくても済む人たちのことです。エリート中のエリートと表現するといいかもしれません。その人たちは「プレップスクール」というアイビー校に入学するための予備校のようなところに通っていたんですが、そこは裕福な家庭の子供じゃないと入れないんですよ。家庭が裕福であるということは、お父さんやお母さんの生活様式も洗練されているということ。そんな環境で育った人は、アイビー校に入る前から先程話したマナーや着こなしというものの基礎ができあがっているわけです。

中室: もう家庭の中で身に付いてしまっていると。

遠山: そうです。それがアイビー校での着こなしの手本となった。だから、トラッドという大きな枠の中にアイビーという円があって、そのアイビーの円の中にプレッピーがあるということ。いわばアイビーの核のようなものですね。

中室: アイビースタイルをカジュアルダウンさせたものがプレッピーだと認識している人が多いかもしれないんですが、実はそうではないということですね。

遠山: 60年代の第一次アイビーブームがきて、次は80年代に第二次アイビーブームがプレッピースタイルと共に上陸したんです。当時はアメリカの西海岸とか、アウトドアブームみたいなものがあって、そういったスタイルとプレッピーがミックスしてしまった。それで中室さんがいまおっしゃったように、「ちょっとカジュアルなアイビー」という誤った認識が流布してしまったんだと思います。

年代によるトラッドの変遷。

中室: いま遠山さんからカジュアルなアイビースタイルが流布したという話がありましたが、尾崎さんはカッチリしたアイビーと、カジュアルなアイビーはどちらがお好きなんですか?

尾崎: 僕は渋いスタイルが好きなので、カッチリしたアイビーです。80年代の当時、トレンディドラマとかでよく見かける格好というのは第二次アイビーブームのスタイルだと思うんですが、そういうのがあまり好きじゃなかった。父親がVAN世代だからカッチリと洋服を着こなしていて、「父親が見てきた60年代のアイビーってどんな感じなんだろう?」という思いから、古着屋でその年代のアイテムを探したりしていましたね。

中室: そもそもVAN世代の人たちは、60年代に日本に入ってきたアイビーをリアルタイムで見てきていると思うんですが、僕や尾崎さんはその人たちが一度飲み込んだものを見ていたことになりますね。尾崎さんの古着好きは、お父さんの影響からなんですか?

尾崎: いえ、古着は自分で開拓した道です。若い頃は自由に使えるお金が少ないですから、古着屋で安いB.D.シャツを探したりしていました。

中室: それって中学生くらいのときですか? 90年代の前半とか?

尾崎: そうです。そのくらいですね。

遠山: なるほど。90年代というのはバブルが崩壊したときで、イタリアの洋服を着て、ベンツに乗って、デザイナーズマンションに住むという図式が崩れ落ちてしまったんです。つまりファッションの流れが止まって、何を着ればいいのかわからなくなってしまった時代。それで僕も尾崎さんと同じように古着を見つつ、イタリアのスーツの仕立てを経験したくなって仕立て屋に入門したんです。

中室: ファッションというものは時代とともに流行が変わっていきますが、トラッドスタイルも時代に合わせて形を変えながら人々に落とし込まれていったんですね。

遠山: 流行が一時代を席巻したのちに終わりを迎える。そしてみんなが方向性を失ったときに立ち返る場所がトラッドなのかもしれませんね。

日本のトラッド。アメリカのトラッド。

中室: 日本人にとってトラッドが立ち返る場所であるのに対して、トラッドが生まれたアメリカではそういった風潮が見られないように思うんですが、それはどうしてなのでしょうか?

遠山: 先程アメリカのエリート養成の話をしましたが、そういったエリート層がヒーローだった時代が60年代で終焉してしまうんです。エリートのアイコンであったケネディは暗殺されるし、政府はベトナム戦争に参入していく。70年代に入るとエリートだった人たちが汚職をしたりして、アメリカの中でヒーロー像の価値がどんどん下がっていってしまったんです。結局のところ、アイビーもファッションの流れのひとつだったんだ、ということに帰結してしまった。

中室: そうなんですね。

遠山: 日本では70年代に〈VAN〉が倒産するんですが、石津さんは評論家として活動を続けていたし、雑誌で「VANは先生だった」というような特集が組まれたりして、アイビー自体に根強い人気があった。要するに、アメリカで生まれたトラッドというものが純粋培養されて、そのまま日本で生き残ってしまったんです。

中室: それがいまでも僕たちにも影響を与えているんですね。これは僕の勝手なイメージなんですが、僕らと同じ世代の人たちでも、日本人とアメリカ人でトラッドの捉え方は違うような気がします。日本人の場合、ファッションのベースとしてトラッドな感覚があると思うんです。

遠山: それはきっと純粋培養が成功したことの証明になるかもしれませんね。僕らの世代はアメリカから入ってきたものを見よう見まねでコピーしていただけですけど、尾崎さんや中室さんのスタイルを見ていると“オリジナルのトラッド”を感じます。いまの30代の人たちはVAN世代の人が咀嚼したトラッドスタイルを見てきているから、日本の風土を取り入れたオリジナルのトラッドスタイルなんですよね。

いつの時代にも色褪せないブレザーの魅力。

中室: 尾崎さんはこれまでのお話を聞いていかがですか?

尾崎: 日本のトラッドに関するお話は知らないことが多くて勉強になりました。僕は、古着やむかしの写真を見て洋服の歴史を勉強してきたんですが、そういった膨大な資料を見ていると時代性というものが徐々に見えてくるようになるんです。年代ごとに流行した色や柄であったり、フォーカスされたアイテムというようなものが。

中室: 60年代や70年代のトラッドアイテムを見て、完成されていると思ったアイテムはありますか?

尾崎: うーん…やっぱりブレザーですかね。いま僕が着ているのは〈NEWYORKER〉のものなんですが、本当に形が渋くていいですね。ウェストの絞りがないところや、絶妙な着丈の長さ、ポケットやボタンの位置もバランスが良いです。きっとこの形がいつの時代にも合うんでしょうね。

中室: デザイナー泣かせのアイテムでもありますよね。何十年も前から完成されたものが作られているというのは。

尾崎: そうですね。ポケットの位置なんかは人間の肘の位置から割り出されているんですけど、ポジションを少し変えるだけでも見た目に大きな変化が出るんです。その僅かな差の中でデザインを楽しめるのもトラッドの洋服の面白味だと思います。

中室: 肘の位置からポケットの位置が割り出されるということは、ブレザーは端整なルックスに加えて機能美も備えたアイテムなんですね。

遠山: そう思いますね。80年代にデザインの革命があって、アルマーニがソフトスーツを作ったんですよ。ジャケットの着丈を長くして、それに合わせてポケットとボタンの位置を低く設定したアイテムで、伝統を崩すということをやった。物珍しさから瞬間的な人気はあったんだけど、長くは続きませんでした。そしてまたオーソドックスなジャケットに戻るっていう(笑)。

尾崎: 先程の話にあった、立ち返る場所ということですよね。

ヨーロッパのトラッドがアメトラに与えた影響。

中室: 遠山さんは長年トラッドファッションを愛されていますよね。最初は「カッコいい」というところから入られたと思うんですけど、どうしてそんなにトラッドがお好きになられたんだと思いますか?

遠山: いろいろな要因があると思うので一概にコレというものは言えないですが、アメリカやイギリスはもちろんのこと、フランスやイタリアにもトラッドというものが存在するじゃないですか。各国の文化をミックスして楽しめるというのが、僕がトラッドを好きになったひとつの要因なんです。

中室: なるほど。

遠山: さっき、90年代にイタリアのスーツを勉強しようと思ったと話しましたが、実際にイタリアに足を運んだ際に、とあるスーツブランドのモデリストの人と話をしたんです。その人の話だと、戦争に負けたイタリアは空襲で工場が壊滅してしまったから、職人たちはみんなアメリカへ出稼ぎに行っていたそうなんです。それで、僕が話をしたイタリア人はブルックスブラザーズの工場でモデリストとして働いて、イタリアの感覚を取り入れたアイビーのスーツを作っていた。その話を聞いてよくよく考えてみると、ブルックスのスーツって毛芯もパットも薄いし、最初から軽いでしょ?

中室: 確かに軽いです。

遠山: それはイタリアのモデリストたちの影響なんです。それを知って点が線になったというか、面白いように色々なものが繋がっていて、ますますトラッドが好きになりましたね。

中室: 尾崎さん自身もアメリカントラッドが好きなかたわら、フレンチカジュアルを軸とするセレクトショップでバイヤーを務めた経験をお持ちですよね。ヨーロッパへ買い付けに行くこともあったかと思うんですけど、国によって違いとかを感じられました?

尾崎: 感じましたね。イギリスでは、ストライプのシャツに小紋柄のネクタイを締めて、チェックのジャケットを羽織るといったように、柄と柄を組み合わせている高齢の方をよく見かけました。本当に華やかなんですけど、色使いが上手でケバケバしい感じはまったくしない。一方でフランス人は、無地の合わせの中にスカーフなどを巻いて味付けをしている人が多かったです。

中室: 柄にしろスカーフにしろ、ヨーロッパのスタイルは華やかということですよね。

尾崎: もともとアメリカントラッドのルーツはヨーロッパにあると思うんです。でも、アメリカの生活様式ってすごく簡素で合理的なので、汎用性や実用性を重視する。だからアメリカントラッドというのはヨーロッパのトラッドをベースにしつつも、そういった自分たちのライフスタイルによってどんどんソフィスティケートされてできたスタイルなんじゃないかと思いますね。


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