美人白書

Vol.24 姿月あさと


Aug 27th, 2014

photo_tadayuki uemura
stylist_mieko kirihara
hair&make_naoto miyauchi(SUGAR)
text_noriko oba
edit_rhino inc.

宝塚歌劇団「宙組」初代男役トップスターで、現在は歌手として活躍する姿月あさとさん。15年の時を過ごした宝塚時代、結婚後の海外移住生活、さらに現在の東京での歌手活動と、人生のステージが大きく転換してきた道のりをお伺いしました。

未踏の道を開拓し続ける、姿月あさとさんの美の秘訣

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中2で決めた宝塚受験

―― まだ宝塚音楽学校に入る前、姿月さんはどんな子供だったのですか?

大きな子(笑)。4350gで生まれたので、誕生のときから大きかったんです。小学生時代も常にいちばんうしろでした。性格的には少しのんびりしたところもありつつ、いつも外で男の子と遊んでばかりいる活発な感じでしたね。小学校2〜3年生くらいから、そろばん、お習字、水泳、ピアノ、バレエと習い始めて。

―― ピアノとバレエということは、小学校低学年から未来の宝塚トップスターへの片鱗が?!

いえいえ、まったく。ピアノは単に友達が行くからという理由。バレエは集会所を通りかかったときに、ガラス越しのバレエ教室を見て「なんだか楽しそう」くらいの軽い動機です。実力にしたって、完全に”並”でしたね。身長以外では目立つところはなかったです(笑)。しかも体が大きいことは、リフトをしてもらうのに大変など、バレリーナとしては不利な条件でしたし。

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―― めきめき頭角を現したのかと、つい。

とんでもないです。ただ、すごく楽しかったことは記憶しています。もともと体を動かすことが好きだからでしょうね。中学になって、塾に行くか、バレエを続けるか親に聞かれたときも、寸秒の迷いなく「バレエがいい」と答えました。

―― 宝塚受験を決めたのは、中学2年生のときだったそうですね。

はい。初めてステージを見たときに「私もああいう舞台で踊ったり歌ったりしたいな」って。男役になりたい、とか、あの人のようになりたい、のような誰かへの憧れから入ったのではなくて、単純にあのカンパニーに入りたいと思ったことがきっかけです。それで、中3で受験。15歳で宝塚音楽学校に入学しました。

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今でも趣味は”お掃除”。

―― 宝塚音楽学校の規律の厳しさは有名ですよね…。そのなかで今でもご自身のなかに根付いている習慣などはありますか?

お掃除でしょうね。予科生のときは、授業前に掃除をするのが日課ですから、朝6時くらいから毎日行っていました。あのときに教えていただいた掃除の厳しさは今でも染み付いていますね。毎日使うところは、毎日きれいにしなくては汚れていきますし、自分が使用したところを自らが掃除すべきなど、当たり前のことですが、徹底的に叩き込まれました。そのおかげで今でも私の趣味は”お掃除”。

―― 何十年立っても、役に立っているということですね。

掃除の大切なところは、見えないところに”気をもつ”ことだと思うんです。たとえばホコリひとつは目に見えないけれども、触ったらある。いかにふだんから「見えないけれど、あの場所にホコリがあるかもしれない」と気にかけられるかだと思うんです。面倒そうに聞こえるかもしれませんが、習慣になったら、ものすごくラクですよ。年末の大掃除なんて必要ないくらい。ためるから辛くなるんですよね、きっと。

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―― はい…耳が痛いです。

洗濯機のなかに、ホコリがたまる網があるでしょう? 私はああいう場所を妙に一生懸命掃除するんですよ(笑)。洗濯機自体がきれいじゃないと、中身もきれいにならないだろうし、そういうところを見落とさない人間になりたいと常に思っているのです。宝塚音楽学校では、掃除は、上級生が下級生に指導するのが伝統なのですが、そういう細かいところを注意されつづけたわけです。今となってはいい習慣をいただいたなと思っていますね。しかも、そういう習慣は、ステージにも現れる気がします。

―― ステージに? どういうことですか?

ステージに立っているときは、美しい衣装を着て、華やかな姿をお見せしていますが、ステージにあがる以前の家が汚れていたとしたら、どこか上辺だけの華やかさに映るのではないでしょうか。住んでいる場所の状態ってその人の佇まいや雰囲気など”どこかしら”に漂ってしまうものだから。美しいもの、華やかな世界を見ていただく仕事をしている者として、家をきれいにする、掃除の行き届いた場所で暮らすというのは、仕事に向かう基本姿勢でもあるように思います。

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65年ぶりに新組発足の大ニュース。毎日が辛かった。

―― 宝塚時代、転機となった出来事をひとつあげるとすれば何でしょうか。

私が入団したときは、花、月、雪、星と4組編成だったのですが、在団中に5組目が誕生したんです。宝塚にとっては、65年ぶりに新設された組ということで、大ニュースになりました。その新組”宙組”に招集されたこと。これが自分自身のなかでも最大の転機でした。

―― その新組”宙組”でトップスターに抜擢。

当時、総勢80名くらいのメンバーが宙組に呼ばれたのですが、みんながみんな「まっさらな組」に入ることに不安でいっぱいだったと思います。それは、トップとかそうじゃないとかに関係なく。新組結成にあたり、とことん話し合って、ご挨拶の仕方、楽屋のあり方…など舞台以前の決まり事を決めていくことから始めました。それだけでも大変で、毎日辛くて涙が出そうでしたが、でも実は、私たちがいちばんやらなきゃいけないことは、舞台に立って、お客様に喜んでもらうこと。

―― 舞台上で息を合わせるだけでも大変そうですね。

全員が一斉に同じステップを踏むラインダンスってありますよね。ラインダンスは、自分ひとりが足を高くあげればいいのではなくて、横一列がきれいに同じ高さにビシッと合っていなければ美しくありません。宙組をつくるにあたってしたことは、ひとことで言うと、「ラインダンスをそろえるための努力を組全員でした」ということなのかもしれません。道がないところを歩くわけですから、もちろんうまくいくことばかりではなく、途中で崖も落とし穴も猛獣にも会いました(笑)。本当に挫折の連続でしたが、でも、この経験で根性には自信がつきました。

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―― そして、トップになって2年で退団しますが、このときはどのような心境だったのでしょうか。

うーん…。それは、よくされる質問なのですが、私はあまり好きではないんですよね「トップになって2年で退団」という言葉。確かに宙組でトップであった時期は2年と短いかもしれませんが、宝塚人生で考えれば、15歳からスタートして、15年経っているのです。今でも自信をもって言えることは、「私は15年間同じスタンスでやってきた」ということ。あまり理解してもらえないのですが、下の階段のすみっこで歌っていたときも、トップになって真ん中で歌ったときも、自分としては同じ100%の力を注いだと自負しているんです。たとえ目立つところにいなくてもお役をもらっているという面ではまったく同じことですから。

さきほどの掃除の話の続きじゃないですが、見えるところだけではなく、見えないところも頑張っていたから、最終的には、そういうお立場がもらえたのかなとも思っています。みんなで歌っているときは力を抜いて、ソロのときだけがんばるのってやっぱり”ずるい”じゃないですか。ですから、退団のときはトップが短い云々とはまったく思わず、「やり切った、楽しかった!」と清々しい気持ちでいっぱいでした。

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バリ島で4年、ケアンズで3年。ライフスタイルが激変。

―― そして退団後、ご結婚。ライフスタイルのみならず生活の拠点までがらりと変化しますね。

退団したときは、結婚の予定があったわけでも、その予感があったわけでもまったくないのです。が、退団した途端、”あ、私この人と結婚するんだ”と、直感が作動しました。

―― そして、ご結婚され、バリ島へ。突然の移住に戸惑いなどはありましたか?

全然ありませんよ(笑)。怖いだとかイヤだとかも一切なし。むしろ嬉しかったくらいですね。おもしろくないですか? 自分のことを誰も知らないところに行くって。

―― 自分がその状況だったらどちらかというと…不安の方が。

もしかしたら当時は、本名と違う「姿月あさと」という名前での仕事から離れたかったのかもしれませんね。友人も家族もいない場所でしたが、心のどこかで”ラクだな〜”って感じていたくらい、何の抵抗もなく飛び込めました。

―― 言葉など、大変だったかと思いますが。

これまでにまったく触れたことのなかったインドネシア語圏での生活でしたが、1冊の本を片手にとにかく単語を覚えることから始めました。市場でも値札はついていなくて、会話をしながら値段を聞いて買うことが基本。”話さなくては食べ物が手に入らない”という切迫感は、語学上達のいちばんの鍵だったかもしれません。一種のサバイバル感ですね。

―― そのなかで取得されたのですね。

はい。今はバリ島も変わってきて空港もデパートも新しくきれいになるなど、いろいろなものが便利になっています。でも、私が行った14年前は、まだ街も発展していなくて、不便なことがたくさんあったんです。でもだからこそ人との距離も近くて、優しさや素朴さに触れられました。不便ななかで暮らしていると、必然的に会話が増えると思うんです。

日本もその昔、自動改札なんてなくて、駅員さんが切符を切っていた時代がありますよね。そういうときに何気に交わされる「おはようございます」などの会話のやりとり。ああいうのが不便のなかの豊かさだと感じます。今は私も便利なものを愛用していて、実際「便利だな」と感じているのですが、少し寂しくもありますね。バリ島時代はそういう意味でもすごく充実していました。

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―― 人との距離が近くて、自然にも囲まれていて…。

バリ島でいちばん好きだったのは、”夕日の時間”です。夕方6時くらいになると自然に空を見上げて、海に夕日が沈む様子を見に行ったり。今振り返ると、とてもぜいたくな時間だと思いますね。宝塚も、山や川がある自然豊かな場所でしたし、育った大阪も淀川の近くでしたので、やはり自然のなかにいるのが私には合っているようです。東京のコンクリートのなかにいると、ときどき息苦しくてたまらなくなる。そんなときは自然の多いところに脱出します。

―― さらに4年後、オーストラリア ケアンズへ。ここで3年を過ごしますね。このときも移住に抵抗は…

まったくありませんよ、もちろん(笑)。今度は星のきれいな場所でしたね。そして”大人が素敵”な街でした。仕事が終わってから、家族や友人とバーで飲んだりクラブで踊ったり。大人がアフターファイブを堂々とエンジョイしている姿を心底かっこいいなと思いました。

―― 日本とは違って見えたということですか?…

そうですね。日本は、夜遊ぶ場所は若者のためにあるところが多くて、大人はコソコソ遊んでいるような感じがします。ケアンズに行って、いつまでも堂々とエンジョイできる素敵な大人になろう! と思いました。目一杯おしゃれをした大人たちが、ダービーを楽しんでいる姿は、今でも忘れられないくらい本当に素敵な光景でした。

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歌っているときは、体が浮いているような感覚。

―― 退団後、セルフプロデュースのライブ『THE PRAYER』を行っていますが、そもそもなぜセルフプロデュースを始めることに?

退団してから、元米米CLUBの石井竜也さんと「ツキノイシケイカク」というユニットを組んだのですが、そのときのプロデューサーの方から「小さな箱でもいいから、自分が本当に歌いたいものを、一緒に音楽をつくりたい人と組んで形にする。生涯のライフワークになるようなステージを自分の力でコツコツと始めてみたら?」と言われて、その言葉が腑に落ちて、やってみようと思ったのです。

―― それで始められたのですね。

今では、いちばんの勉強の場であり、何よりも楽しい時間です。今は1年に1度、もう10回以上行っていますが、毎回まったく違うステージになります。準備をしているときは、24時間ステージのことを考えて、友人と会っても音楽の話、お店に入ってもBGMに集中しすぎて買い物を忘れてしまうくらい。今歌いたい歌はなんだろう。今伝えたい言葉は何だろう。今、一緒に音を出したいミュージシャンは誰だろう。毎回、自分探しをしているような気分でステージをつくっています。

―― 曲を選ぶうえで意外な発見があったのでしょうか?

発見の連続ですよ。昨年は、アニメ「はじめ人間ギャートルズ」のエンディング曲「やつらの足音のバラード」を歌いましたが、改めて歌詞に感動しました。子供のころは、意味も分からず口ずさんでいましたが、今聞くともう深い深い。普遍的で、忘れてはいけない大切なことが歌われていて。今の時代にも、未来にも歌い継がれていくべき名曲だと思いますね。

―― そういった名曲を蘇らせられるのもセルフプロデュースのおもしろさですね。

まさに。それに私歌っているときは、いちばんラクなんです。

―― 本名に近い感覚で歌っているということですか?

それは違います。あくまで「姿月あさと」として。歌っているときは、まるで無重力状態の小宇宙にいるかのような浮遊感があって、ゆらゆらとその歌の世界に漂っている感覚。現実に引き戻されるようなメールや電話もないですし(笑)。

―― そうですね(笑)

聴いていていい曲でも、実際に歌ったらつまらなかったり、その逆もあったり。予定調和は一切ないのです。

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―― 「似合う」と「好き」が違う…まるでファッションのようですね。と強引な方向転換ですが、ふだんはどのようなファッションを?

宝塚にいたときは、スカートを履くことはなかったのですが、今はスカートが多いですね。ワンピーススタイルが特に好きでシンプルでオーソドックスなワンピースが好きでよく着ています。

―― ワンピースですか。少し意外です。ちなみに選ぶときのポイントは何ですか?

サイズが入るか、否か(笑)。色で言うと、今年は白のアイテムが欲しいなと思って探していました。白いワンピースを清潔に大人っぽく着こなしている人って素敵ですよね。着る色で気持ちも明るくなりますから。ファッションのおもしろいところは、着ている服で”自分”が変わること。今日も、水色のカーディガンを羽織ったコーディネートのとき、突然「ウォール街で働くOLさん風」のスイッチが入りました(笑)。洋服からこういう妄想が生まれて、表情や仕草が少し変わるのもファッションのおもしろいところですよね。

―― ウォール街のOLさん、いいですね! これからチャレンジしてみたいファッションはありますか?

ファッションは大好きで、これまでもいろいろなスタイルにチャレンジしてきましたが…プライベートのファッションの方向性では、やや迷い中です。40代というのはなかなか中途半端なんですよね。でも、ひとつ50歳までの目標として心の片隅にあるのが「ミニスカートを履くこと」(笑)。そういう10代20代がなかったので、やっぱり通過しておきたいな、と。

プライベートで迷っている分、仕事で衣装を着せていただくのは、大好きです。”自分はこう”と自我を出さずに、ファッションのプロに”ゆだねる”。そうすると、意外な発見があったりしますよね。

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―― ”自分はこう”という思いが大人になるにつれて、強くなりますが。

あまり自分に対して、いろいろな決めごとを持たないほうがいいと思うんです。そうでないと、そのときに来る流れに乗れなくなりませんか?

―― その流れが”新組発足”や”海外移住”など、まったく予想もしていなかったものだとしても。

はい。流れには乗りながら、その場所で”どうするか””自分には何ができるか”については、自分なりに考えて努力するというのが大事だと思います。それを他人に決めてもらうことはしません。全部ゆだねてもダメ、すべてが自分はこうだからという決めつけだけでもダメ。ゆだねるところと自分で決めることの両方が大事なのだと思います。

―― そうなんですね。姿月さんの絶妙なバランス感覚のヒミツの正体が少し分かった気がします。それでは最後に。今何をしているときがいちばん幸せですか?

寝ているとき(笑)。ベッドルームをホテルのように気持ちよく整えて、1日の終わりに「あ〜いい1日だった」と思いながら目を閉じれたら最高ですよね。

最後に姿月あさとさんから
“美しくなるためのメッセージ”

小さいころから、自分のやりたいことは自分で決めていました。習い事を選ぶにも、宝塚受験をするときも自分の決断。自分で決めてそれに対して精一杯の努力をすることは、思えば小さいころからしていたのかもしれません。ただ、自分の意思だけではどうにもならない”大きな流れ”に乗ることも大事ですよね。これまでも、変化の波に、楽しみながら乗ったことが、私の世界を大きく広げてくれたのだと思います。

今月の美人
姿月 あさと

ヴォーカリスト・女優。元宝塚歌劇団宙組の初代男役トップスター。宝塚時代は、圧倒的な歌唱力と端正なビジュアルにも熱い支持が集まり、伝説のトップスターとして人気を得た。2000年の退団後は、海外と東京の往復生活をしながら、歌手としてさまざまなジャンルで活躍。2012年11月に秋元康氏によって書き下ろされた「Actress」を発売。2014年10、11月にはセルフプロデュースライブ『THE PRAYER Ⅸ』を開催。11、12月には、宝塚100周年を記念して女性キャストのみの『CHICAGO』にも出演予定。 http://www.shizukiasato.net/

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