美人白書

Vol.25 安藤裕子


Sep 24th, 2014

photo_mayuko ukawa
hair&make_yuko ando,yutaka kodashiro(mod's hair)
text_noriko oba
edit_rhino inc.

のびやかで柔らかく、透明感のある声で多くの人を魅了する安藤裕子さん。“キャラ”の急展開があった子供時代やシンガーになるきっかけなど、いくつものドラマティックな人生の転換期を絶妙な笑いを交えて語ってくださいました。彼女の魅惑的な雰囲気のヒミツが少しだけ分かるかもしれません。

シャイでシニカルで、素直。安藤裕子さんの美の秘訣

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空想のなかで生きる女の子ふたり組。

―― 安藤さんの小さいころの夢は何ですか? 将来なりたいものはありましたか?

小さころなりたかったものですか。私、記憶が芽生え始めたのがものすごく遅いんですよ。9歳ごろからかな。そのときも“大人になったら…”なんて意識はまったくなくて、“風に乗りたい”“オズの世界に行きたい”とかそのレベルですので。風変わりな子だったと思います。

―― 風に乗りたい??

はい。自分のなかでは、風と話ができるという設定になっていたので(笑)、学校の帰り道、風が話しかけてくることに、自分が答えて、またその返事を待つ。そんなことを本気でしていましたね。こんな調子ですから低学年のころは友達と話すのも苦手だったのですが、3年生のときにすごく気の合う、そういう妄想的なことを対等に話せる友達ができたのです。その子も少しぼんやりした子で、“まだ人間になる前”という感じのふたり。

―― それはすごい出会いですね! 意気投合したふたりはどんな遊びをしたのですか?

本が好きだったので、一緒に図書館に籠っては、好きな本を開いて“クスクスクス”と声を潜めて笑ってたり。ちびまる子ちゃんの野口さんが2人いるような。あるときは、学校でいろいろな怪事件が起きるような本にハマって「これ、実際にやってみよう」ということになって。トイレの鍵を閉めて、ドアをよじ登って出てを毎日繰り返すんです。休み時間に先生がドアをよじのぼって鍵を開けて「誰だ!」なんて怒っているのをふたりで陰から“クスクスクス”と笑いながら見てたり。

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―― またシニカルな。

そうなんです。勝手に他人の名前で男の子にラブレターを書いたり。って、これ今考えるととんでもないですよね。そういうシニカルな遊びと“空も飛べる”っていう空想女の子な部分のあやういバランスで成り立っていました。実際にその相方は、空を飛ぶつもりで家の屋根から傘を開いて、飛んだりしていました。下がふかふかの畑で事なきを得ましたけれど…。妄想は、現実的な“怪我”とかを加味しないので、あるときはふたりで幅広の滑り台を手と脚を縛って駒のようにまわりながら降りようとして救急車を呼ぶはめになったり。割とお騒がせでした。そういえば、私も家の屋上からぶら下がるところまではしたことがあります。

―― 安藤さんも?!

そのときは“神様に会いに行こう!”と思って。

―― すごい感受性です……。

でもヘリにぶら下がった途端に何だかものすごく怖くなって、全筋力を使って、現実に戻ってきました(笑)。そんなぼーっとした子供時代を経て、高学年からは一転ギャル方向に舵を切るのですが…。

―― え…?

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急展開! 空想少女からギャルへ。

―― それはあまりに方向性が違いすぎませんか?

はい我ながら。クラス替えの影響が大きかったですね。5年生のときに学年の華やかどころが集中するクラスになり、しかもそのなかでもトップオブトップのような女子に気に入られ、いきなりのF4(※漫画『花より男子』に登場する、学園を牛耳る美男、御曹司4人組)入り(笑)。部活もバスケ部という花形に入って、突如開花しちゃったんです。

―― 安藤さん自身も変わったのですか?

それはもうガラリと。それまでちょんまげとかおさげにしていた髪をほどき、整髪料を付けて指でくるくるしちゃう感じです(笑)。制服もルーズソックスやスニーカーにシフォンのリボンを通したりと、ギャル方向へまっしぐら。廊下を通るときには後輩も道をあけるほど、性格もやさぐれていましたね。PTAでも「安藤さんに近づかないように」となるくらいの要注意人物扱いで。去年まで風とお話しして妄想で生きていた人とは思えないくらい(笑)、変わりました。そのころ、親の離婚があったりと家庭環境が変わったということもあったと思いますが。

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―― その勢いのまま中学校へ?

はい。私は三姉妹の末っ子なのですが、いちばん上がいわゆる優等生、2番目が相当の“ワル”という編成で、その下だったので、中学では真ん中の姉の名が知れ渡りすぎていて、先生からも「お前が安藤の妹か」、先輩も「安藤先輩の妹なんだぁ」とすり寄ってくる派と「安藤先輩にやられた腹いせに妹を…!」という仕返し派が絶えず訪れるという状況でした。その中2のころに、大人になったら何になりたいかという課題があって、初めて「将来の夢」について考えました。

―― 何て書いたのですか?

「お母さんになりたいです」と。

―― 意外すぎます!

一瞬教室も静まりました。一見不良の安藤、夢地味っ!みたいな。自分でも分からないのですが、母親になりたかったんですよね。今…ようやく子供のころの夢の答えにたどり着きましたが、確かこれまだ最初の質問ですよね(笑)。

―― はい。あまりにドラマティックな小中時代で聞き入ってしまいました。

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ささいなきっかけから人生が動き出す

―― 歌を歌いたいと思うようになったのはいつごろからですか?

歌いたいと思ったことは…まだないかもしれません。音楽で身を立てたいと思い始めたのは、大学生のころでしょうか。もともとは、映画監督になりたかったんです。高校のとき、誰にも言わず見せず小説を書いていて、そういうものを映像化したい、映画関係の仕事に就きたいと大学には進学せずに映画の勉強ができる専門学校に行きたいと思ったのですが…。

―― 行かなかったのですか?

はい。それまで小中高とエスカレーター式の学校にいて、学校の大半の子は進学というなかで、自分がそこから外れることに急に“こわい”と思ってしまって。“この目標はいったん保留で”と進学を選びました。でもまぁこれが不遇の大学時代でして…

女子大だったのですが、4年で“上代文学”という数人しか受講しないような弱小ゼミで仲間に出会えるまでは、超退屈でした。毎日お昼は図書館にこもってベーグルをひとりで食べるという、「裕子っておとなしいよね」「あ、うん、まぁ」と小3の私に逆戻り。あまりに暇だったので、自分のつくったものを形にしてみたいと思い、映画製作会社を訪ねて「雇ってください」とお願いしに行ったんです。そのたびに断られて、これはどうにもならないなと思っていたのですが、あるとき父に関係者を紹介してもらえたのです。

その食事会の場では、制作現場で女がやっていくことの現状、映画の勉強をしていない私について、とにかくあらゆる角度からこんこんと諭されて、最終的には「君がメガホンを取れる可能性は限りなくゼロ」だと言われました。そしてもしも映像の業界を知りたいんだったら「出演する」方向から行ってみたら?と提案してくれたんです。

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―― つながって行きそうですね、その話。

そうなんです。私も「出てみたら?」と言われたら「出てみよう」と素直に思って(笑)、あるオーディションを受けに行く事に。そのときに“一芸披露”しなくてはいけなくて、多くの人が歌っていたので、“じゃ私も”ってことで歌ったわけです。結果、オリコンの創業者の小池聰行さんから賞をいただいたんです。そのときに彼が「安藤さん。君は、これからも上手い下手関係なく、そのままで歌い続けてください」と言ってくださって。この言葉で嬉しくなって、「私、歌でいけるのかな」と(笑)。オーディション後、レコード会社の方とも話したのですが、なぜか「人のつくった曲は歌いません!」と強気な発言をしてしまいまして、その日から曲づくりを始めました。

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ニットブラウススカートブーツ/NEWYORKER BLUE

絵を描くより、小説を書くより、歌ったら人が集まってきた。

―― その日から始める行動力はすごいですね。曲づくりはどのように?

飽きっぽいのでね…理論を習うこともせず、完全に独学です。鼻歌でつくり始めました。つくり始めると、全然思う通りには行かないのですが、おもしろいんですよ。小説を書いたり絵を描いたりと、もともと創作が好きなこともあるのかもしれませんが。しかしまぁできあがった曲はすごくダサかったです。初めにつまずいたのは“日本語の音自体のもたつき”。日本語ってメロディに乗りづらいんです。

―― そのときに影響を受けた音楽はありますか?

言葉の音の流れとメロディの噛みが素敵で自然で、「はっぴいえんど」には影響を受けました。彼ら風の曲をつくって、そのやり方を真似して、自分のからだに馴染ませたりしましたね。将来アレンジャーになりたいという男友達にトラックをつくってもらってライブをしたり、動きもどんどん大きくなっていって。「シンガーになりたい」と望んだというよりは、歌っていたら味方が増えたという感じです。絵を描くより、小説を書くより、歌ったら人が集まってきた。

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―― 曲は、どんなときにどんな場所でつくられているのですか?

お風呂とかバスに乗っているときとか、ひとりでぼんやりしているとき。“あ、今きた”ってバスのなかでこっそり声を潜めてボイスメモに録音することもありますよ(笑)。さぁつくろう、と時間を決めてつくるタイプではないです。

―― イメージが浮かぶときは、言葉が浮かぶのですか? それともメロディが先に?

メロディに言葉が付随して一緒に出てくる感じです。「あ」や「か」などの単音でもメロディはそれ自体が言葉をもって出てくるというのが私のやり方です。ぼんやりとしているときに“あ、きたな”と思ったら、ピアノやギターでコードを押さえながら、メロディがどこに行きたいのかを辿っていきます。スムーズにできるときは、メロディがリズムを得て言葉を持って進んで行く、そんな感じです。“筆が進む”という状態があるでしょう? 感覚的には似ていると思います。

―― 声についてはどうですか?

うーん。私自分の声が めちゃくちゃきらいで。このしゃべり方とか声の低さとかオカマっぽくないですか? モテない声なんですよ。嫌いなので、どんどん声が小さくなってしまって、何言ってるか分からない、ますます話すのが苦手っていう悪循環。今でこそ、「初めまして」の人とも無理なくしゃべれるようになりましたけれど、昔は、あまりにしゃべれなくてラジオの本番中に泣き出して、周囲を困らせるなんてどうしようもない時代もありました。

で、これじゃダメだ!と一念発起して“ペラペラしゃべる人格”をつくりあげて今に至ります。だから、今日しゃべっているのは“取材用の私”です(笑)。親しくなればなるほど無言になりますから。もっとも無言率の高い実家では、4分の3は無言です。母が話しかけてきても、週刊誌めくりながら「………うん」「………(ページめくる)」。こんな感じです。

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―― ライブ中のMCはどうですか?

人の前で歌うということは、よくも悪くも“裸”で立たないと答えが得られないものだと思うので、ライブをするときは素の状態。なので、MCのときに突然“取材用の私”が出てくるわけもなく、ボソボソボソ…とマイクに声が乗らないくらいの小さな声で話始め、お客さんが「ん?何て??」と思うか思わないかくらいのタイミングでPAさんがマイクの音量をガッと上げてくれています(笑)。

ライブ自体も人前に立つのが怖いので、ステージに上がる前は本当に本気で逃げ出したいくらい嫌。でもいざ音が鳴ってしまえば楽しくて、終わったら「早く次やりたいねー!いつにしよっか?」と超ご機嫌。小3の内向的な私と小5のお調子者の私が見事にビフォアアフターで現れます(笑)。

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体に刻んだ“願掛け”

―― 北海道空知の「ワイナリー」を舞台にした映画『ぶどうのなみだ』が10月11日より公開されます。10年以上ぶりの女優業復帰とのことですが。

復帰といっても、その前に出ていたのはエキストラのような感じでしたので、本格的に役をいただいて演じるのは初めてです。なので、やり方も何も分からず、監督や共演者の方に引っ張られるままに演じました。監督も「今、この言葉自然に出ますか?」「今どんな気持ちですか」ととてもていねいに指導してくださって、少しずつ自分に暗示をかけて別の人格になっていくような感覚でした。

―― ヒロインのエリカは、大きな声で笑って、おいしそうにごはんを食べて、ワインを飲んで、旅人としてやってきたのにすぐに土地の人たちに馴染んでいました。ご自身と共通するものはありましたか?

いや、私の本質は大泉洋さん演じるアオのほうに近い気がします。ワインづくりに奮闘する少し偏屈で閉鎖的、でも自分で納得するまでは…という性格。演じてみてエリカのように、人に対して感情をあらわにすることは、私の知らないことだなって思いました。撮影期間中は、プライベートの時間もいつもより大らかで、屈託なく笑えたり、少し寛大になっている気がしましたね。共通点と言えば、唯一役づくりがまったく必要なかったのが「ガニ股でやってきて、仁王立ちする」シーン。私、すごいガニ股なんですよ。ここはすごくナチュラルにできました。

―― 安藤さんのファッションについても教えてください。ふだんはどんなスタイルが多いのですか?

汚いです。あ、カジュアルです(笑)。昔は、古着が好きで、ひとつのコーディネートのなかにいろんな素材や柄、方向性が混ざったような不思議な格好をしていた頃もありますが、年々シンプルにカジュアルになっていきますね、子供が生まれてからは特に。

その人の本質とか雰囲気にしっくりとハマっている服を選んでいる人、着こなしている人はセンスがいいと思いますね。私もOLさん風とかパリっとしたキャリアウーマン風の格好とか一度もした事がないので、試してみたいけど、きっと“着せられた感”が出まくるんじゃないかな。

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―― ライブで必ず付けているアクセサリーなど、何かお守り的なアイテムはありますか?

子供が生まれる前は、ものすごい量の“石”を身につけていました。片方10連くらいのを両腕に。ところが娘が生まれてから、どうも石を体が受け付けなくなって、今は特にないです。身につけるものではありませんが、私にとっては“ハジチ”がお守り的な感じかもしれません。ハジチというのは、昔沖縄の女性が手の甲に入れていた入れ墨なのですが、4年前くらいに私も自分で入れたんです。

―― 左手のそれですね。何の文様なのですか?

ハジチは地域によって文様は違いますが、私が入れたのは八重山地方の文様で、“かじまやー”、風車です。健康や長寿を願う意味で入れました。これを入れた4年くらい前は、体調が相当悪い時期で、それに伴って精神的にも大きな負担を感じていたんです。気持ちが滅入って音楽に対しても楽しみを見いだせないくらいでした。かじまやーを体に刻むことで、これで大丈夫だ、立っていられるという感じがあったのかな。相変わらず体調はすぐに崩すのですが、願掛けのようなもの。

―― そうなんですね。最後に安藤さんのお肌の透明感は何か秘訣があるのですか?

いやいや特に。昔は絶対に日に焼けないようになど気をつけていましたけれど、今は子供の送り迎えなどでなかなか難しく…シミが気になります。唯一気をつけているのは、“保湿”だけは怠らないこと。潤いが足りないとすべてのものが悪いサイクルでまわり出して、肌に悪いことが全面的に起き始めるんです。何はなくとも保湿第一、潤いを与え続けること。潤いがあればおおむね良好です。もしかしたらこれは肌に限らずすべてのことに言えるかも、ですね。


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最後に安藤裕子さんから
“美しくなるためのメッセージ”

私は三姉妹なのですが、3人とも肌質は似ていますね。保湿はきっとみんな気をつけているかと(笑)。肌は保湿で、心の潤いは何で満たすかというと、ずばりお肉です。私は食べることが大好きで特にニンニクとお肉が大好物というスタミナ女子なのです。年に1度は、「こんな贅沢していいの?!」と思う格式のあるレストランに足を運んで、心ゆくまで味わいます。そして、清水の舞台から飛び降りるくらいの気持ちでお支払いします。

今月の美人
安藤 裕子

シンガーソングライター。03年、ミニアルバム「サリー」でデビュー。05年、月桂冠のテレビCM「のうぜんかつら」が話題となり、一躍注目のシンガーに。CDジャケットやコンサートグッズのデザイン、Music Videoの監督をも手掛け、自身の作品のアートワークをすべてこなす。ライブ・ステージの評価も高く、バンドとアコースティックの2形態で全国を回り、動員を増やしている。また、ドラマの主題歌やCM曲書き下ろしなど、楽曲提供も積極的に行う。10月11日から公開の映画『ぶどうのなみだ』では、ヒロイン役を演じる。

Vol.26 西 加奈子

Vol.24 姿月あさと


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