TRADITIONAL STYLE

Vol.13 六代目 中村勘九郎


Sep 11th, 2013

Photo_shota matsumoto
Text_yu fujita

十八代目中村勘三郎の長男として5歳のときから数々の舞台を踏んできた中村勘九郎さん。昨年より約1年続いた六代目中村勘九郎襲名披露公演を終え、新歌舞伎座も開幕。ますますの活躍が期待される31歳が考える歌舞伎役者の使命とは。

ファッションのことは聞かないで。

ー ご自身でスーツの生地をオーダーされたそうですが、とてもお似合いです。着心地はいかがですか?

中村勘九郎 とても着やすいです。ガンガン着ちゃっていますよ。

ー やっぱり、あつらえると違いますか?

中村勘九郎 まったく違いますね。僕は太もも周りがすごくあるので、太ももに合わせて市販のパンツを買うとウエストがガバガバになっちゃう。今回は太ももも気にすることなく履いていますし、着ていてとてもラクです。

僕ね、買い物が苦手なんです。太ももの話もあって、買いたくても買えるものがない、という理由もありますが、まず試着ができない。試着をして、サイズが合わなかったりすると店員さんが違うものを持ってきてくれたりするでしょう。それが悪くてね、「断りきれない。もう買うしかない」って思っちゃうの(笑)。だから妻と買い物に行くと「いやぁ、女子はすごいな」と思いますよ。

ー 女性はさんざん試着した挙句に、買わなかったりしますよね。

中村勘九郎 「買わない」という選択肢があるじゃないですか。僕には考えられないですね。

ー では、勘九郎さんが買い物をするときは…

中村勘九郎 気にするのは「M」か「2」。手に持つと店員さんが来ちゃうから、じーっと見て……、買います。だから僕にファッションのことを聞いちゃいけないんですよ(笑)。洋服については無頓着です。

初日と楽日はスーツです。

ー とはいえ、スーツにはなじみがあるんですね。今日のシャツやネクタイの選び方も決断が早かったです。

中村勘九郎 皆さん、少なくとも劇場入りの初日と楽日はスーツでいらっしゃっていますね。先輩方にならって僕もスーツは若いときから着ています。色は黒が多くて、今回仕立てた紺色でしかもチェックが入っているようなものは初めてです。

その分、ネクタイは結構本数を持っているかもしれません。周りに賛成してくれる人が少ないですけれど、今日選んだ「紫」のような”いやらしい感じ”の色も好きです。自分で買うときは「赤」とか「真緑」とか。気分が変わりますよね。

芝居をやっていると一日中室内にいるので、おめかしして出かけることがないんです。それが子供のころからあたりまえだったので、ファッションに興味がいかなかったのかもしれませんね。学生時代とか、みんな『エアマックス』が欲しいとか、洋服にこだわっていたけれど、僕はそういうものが全然ありませんでした。

ー 舞台が生活の基本にある勘九郎さんにとっては、洋服は舞台と舞台の間に着るもの、という感覚なんですね。

中村勘九郎 ええ、うちの父もそうでしたしね。父は買い物にも行かない人でしたから。

仕事の転機はありません。

ー そろそろ仕事についてお伺いします。勘九郎さんは5歳で歌舞伎の舞台を踏んで以来、歌舞伎を演じ続けていらっしゃいます。仕事がすなわち生き方でもあると思うのですが、役を選ぶ、あるいは引き受けるときに大事にしてきたことはありますか?

中村勘九郎 歌舞伎の場合はとても特殊でして、自分で役は選べないんです。主役を演じる人が決まって、その人からの流れで役者が配置されていきます。そして、いただいた「お役」というものは必ずやることになっているんです。なので「役を選ぶ」ことの心がけのようなものはありませんが、自分が主役であったり、物語の主人公になる役をいただく機会が増えてきたので、その場合は全体のバランスを見るようにもなりましたね。与えられる側から役を与える側にだんだん変わっているのかな…という思いは最近になって感じます。

ー 現在31歳とはいえ、長い芸歴をおもちです。これまでを振り返って一番の転機はどこでしたか。

中村勘九郎 転機ねぇ……、僕はないんですよ。

ー たとえば、巡り合った役で意識が変わったり、自発的に全体的に色々と関わるようになったきっかけはありますか?

中村勘九郎 それを言ったら最近かもしれません。精一杯やらざるをえない状況が多いので……。

そうだなぁ、18歳のときから出演させていただいていた新春浅草歌舞伎は、これまでの仕事で印象深かったもののひとつですね。市川猿之助さん(公演当時は市川亀治郎)、中村獅童さん、僕と弟の七之助、市川男女蔵さんの5人で新しく新春浅草歌舞伎を任されたのですが、そこで客席がガラガラというのを体験しました。僕はそれまで父と一緒に芝居に出ていたので、お客様が一杯になっている状態で芝居をするのが当たり前になっていましたからね。

「来年の興行はないぞ」と言われて。

ー 今聞くと、豪華な顔ぶれですけれども。

中村勘九郎 今だったら考えられないですよね(笑)。でもね、本当にガラガラだったんです。猿之助さんのお父様、段四郎のおじ様が手動のカウンターを使ってお客様を数えてくれて。僕たちは当日券のことを「つっかけ」と呼んでいるのですが、「つっかけで来てくれたお客様がこれだけいるよ、みんな頑張って!」って声をかけてくれたんです。あれは一生忘れませんよ、本当にうれしかった。

原因はわかっているんです。宣伝を何もしなかった、危機感がなかったんですよね。浅草という街でやるのに、街中にポスターを貼ることもしなかった。それで第一回もダメ、第二回もダメ。それで第三回目は「ない」と松竹の制作サイドから言われたんです。「来年はここで新喜劇をやる」と言われたんです。

ー それは、さすがにショックですよね。

中村勘九郎 新春浅草歌舞伎は若手が中心の興行として昔からあったものなのですが、僕たちもいろいろな役をできる場がなくなるのは辛い。「これはダメだ」と話し合って、兄弟と猿之助さんと獅堂さんで今は亡くなられた松竹の永山会長の家に行ったんですよ。しかもアポなしで。ドアが開いて、「どうしたんだおまえら?」と聞かれて「来年から浅草公会堂の公演がないって言われたのですが、僕たちやりたいんです」と気持ちを伝えて。そうしたら「いいよ」と言ってくださった。

そこから自分たちの興行に対して真剣になりましたよね。それで、表と裏が違うポスターを考えたんです。

ー それは私も記憶に残っています。普段着のかっこいいみなさんと、配役の格好をされた着物姿の5人のギャップがとっても新鮮でした。

中村勘九郎 ポスターを貼ってくれるように街の中を僕らがお願いして回りました。浅草は街自体が早く終わってしまうので、1日かけて芝居を楽しんでもらうために芝居開始時刻を早めたり……。それでドーンと火がついた。

ー そういう経験を若いときにできたのは振り返れば、貴重ですね。

中村勘九郎 自分たちで興行するなら、自分たちで動かなくては、ということを学びましたね。ただ、そういう経験があったからこそ、歌舞伎座の興行についてもきちんと考えなくては、と思っています。世の方々は歌舞伎座が1年間通しでやっているとは知らないでしょう? 宣伝するタイミングもチケット発売のときだけで、公演直前のアピールはない。そこで安心していたら危険だな……と僕は思っています。

それから、高校生のための「歌舞伎鑑賞教室」(国立劇場で毎年開催)の内容も考えないとね。面白い演目をやらないと、歌舞伎を一気に嫌いになっちゃうでしょう? やっぱり、一発目が大事です。そこで「なんだこれ? 面白いな」と思ってもらえたら、調べるじゃないですか。

役になっていれば何でもいい

ー では、日常の役者としての勘九郎さんの取り組みについてもお伺いします。諸先輩方から見て学ぶことは多いですか?

中村勘九郎 はい。「役になっていれば何をしてもいい」って言いますが、役へのアプローチは人それぞれですから、いろいろな方の芝居を見ることが大事です。とはいえ、お客様の好みが一番ではありますよね。

ー 確かに、そこには正解がないですね。歌舞伎座は約1か月同じ演目が上演されますが、1か月の中でご自身ではどうやって調整されていますか?

中村勘九郎 僕は「初日だから」という言葉が嫌いなんです。お客様は初日も楽日も同じ料金を払って観に来てくださっているのだから、最初から完成形を見せなければいけない。ただし、客席にお客様が入っているのとそうでないのとでは芝居が全然違ってくるんです。踊りだとかはいいんです。音楽が流れているので、崩れない。芝居には「間(ま)」というものがありますから、その日のお客様の反応によって狂ってくるんですね。だから毎日、その瞬間にお客様に合わせて調整はしていますね。

それからスタッフにビデオも撮ってもらっているので、改めて見ることで翌日から直していくこともあります。

ー 歌舞伎の場合、過去に誰かが演じている役を演じる訳ですから、演じることのやりにくさもあると思いますが、そこはもう慣れましたか?

中村勘九郎 初役の場合は、教えていただいた方の通りにやります。次に演じるときは、初役をやったときに感じた自分の思いだとかを少しずつ入れていく感じですね。

ー 「思いを入れて演じる」と言葉でいうのは簡単ですが、難しいことですよね。

中村勘九郎 いいえ。一番大切なことは演じていて自分の心が動いていないといけないと思っていますから。ただ単にセリフを言うのがうまかったり、体が曲がったり、顔がきれいだったりしてもダメなんです。だって、人間を演じているんですから。

ー 歌舞伎以外でも、現代舞台や映画に挑戦されていらっしゃいますが、こういう役ならやりたいなど、役を選ぶ基準はあるのですか?

中村勘九郎 ないです。だって、歌舞伎をやっていたら何の役もできますから。女もできる、動物も化け物も神様も…、歴史上の人物にもなれちゃいますからね。

ー 言われてみると、そうなんですね。これは発見です。

中村勘九郎 踊りも踊るし、楽器も演奏しなくてはいけませんしね。歌舞伎役者でいることがいちばん役者としては演じる幅は大きいんですよ、実は。それと、歌舞伎公演では3年後まで仕事が入っていますから、空いたところで面白いものがあれば、といった「運」や「縁」で歌舞伎以外の仕事をさせていただいていますね。

当たり役はいりません。

ー これから歌舞伎役者としてどう成長されたいと思いますか? もちろん初役には挑戦されるでしょうが、“当たり役”に巡り合いたいといった気持ちはありますか?

中村勘九郎 どうなんでしょうね? 一般の人はそんなことはだれも期待していないでしょう? 「当たった」といえば、制作サイドはそればっかりもってくるけど、役者にとってそれは危険ですよ。それを鵜呑みにして演じていたら……、少なくとも僕はつまらない。せっかくだったら、いろんな役を演じたいです。

ー ゆくゆくはこういう役者になりたい、とか「この役でいえば勘九郎だね」とか言われたいといった“欲”のようなものはいかがですか?

中村勘九郎 まったくありませんね。一般に言われている「お家芸」という価値もよくわからないですよね。だって、作家でもなく役者が勝手に決めちゃうのは、役者のエゴでしかないですよ。まぁ、「冠」を付けると、皆が見に行きたくなる気持ちもわかりますけれど…。

ー 勘九郎さんの切れ味鋭い口調に今日は驚きっぱなしです。ふだんから、こういった話は弟さんとされたりするのですか?

中村勘九郎 全然しません。父とも一切しませんでした。

父が言っていたのは、「国のものになったらダメだよ。国からお金を出してもらうようになったら、歌舞伎じゃない」。余談ですが、うちの父親は国立劇場には若いときは出ていたようですが、そんな理由で出なくなったんですよ。歌舞伎は庶民の芝居、大衆の演劇、傾奇者(かぶきもの。注:戦国時代から江戸初期にかけて生まれた社会風潮。奇抜な言動を好み豪奢で目立つ装束を身につける等、常識を逸脱した行動に走る者を指す。この美意識が歌舞伎という芸能に受け継がれた)たちの芝居じゃないとダメだと僕も思っています。

ー 勘九郎さんにも、舞台に上がったら“傾奇者”のアナーキーな部分は残して演じたいという気持ちがあるんですね。

中村勘九郎 そうですね、少なくとも舞台の上では。現代まで残っている歌舞伎の演目には「ああ、これはもう物語を作った人の頭が狂っている、いっちゃってるな」という作品も多いのですが、その極みに到達するのは……、多分、ほとんどの人が到達できないで死んでいるんだと思うんですよね。僕は少しでもその高みに近づきたい。作家が描いていた世界とはどんなものなんだろう、と考えながら演じて、それを次の時代まで残していきたいですね。

この記事はファッションが好きな方が読んでいるんですよね。衣装の美しさも歌舞伎の魅力のひとつですから、それを目当てに見に来ていただければ。たとえば「仮名手本忠臣蔵」の大序の幕では、舞台の上に浅黄色、玉子色、赤、黒、その真ん中に紫色の長裃の衣装を付けた役者が並びます。この絵は何度見ても、本当に美しいですから。

座右の銘もありません。

ー さて、最後にこの連載では座右の銘を書いていただくのが恒例なのですが、勘九郎さんの座右の銘は何ですか?

中村勘九郎 ええー! やめておきましょうよ(笑)。僕、座右の銘がないんです。ちなみに、好きな言葉もありません。

ー こういうのは苦手ですか?

中村勘九郎 いやぁ……、役を演じていると、その人に影響されてしまうんです。その人の座右の銘が自分の座右の銘にもなるし、その人の言葉が自分の言葉にもなる。僕は多重人格者みたいなもので、自分が何者かもわかっていないんです(笑)。

ー 役者でいるからには、あえて透明な器でいたいというか、空っぽでありたい?

中村勘九郎 そうですね、役を演じるときは「無」でいたい。だって、演出家の方に指示されたときに自分の中に何かもっていたら、「それはちょっとおかしいんじゃないですか?」といった展開になってしまうから。

ー 座右の銘って、ある意味で“自分らしさ”の表現のひとつだと思うのですが、そういう表現方法が好きではないんですね。

中村勘九郎 はい、イヤです。「らしいね」という言葉は、そう自分を演出している人には褒め言葉になりますが、そうでない人にとっては「それはあなたの考え方でしょう」と僕は思ってしまいます。

ー 温和そうなイメージと随分違う勘九郎さんの一面を今日は見せていただいた気がします。ありがとうございました。

Vol.14 穂積和夫

Vol.12 浅葉克己


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