TRADITIONAL STYLE

Vol.34 堤大介


Jun 10th, 2015

Photo_shota matsumoto
Text_tomoko ogawa

初監督作『ダム・キーパー』(ロバート・コンドウと共同監督)が2015年、第87回アカデミー賞の短編アニメ作品にノミネートされたアメリカ在住のアニメーション監督・堤大介さん。ピクサー・アニメーション・スタジオでアートディレクターを任されるなどその経歴は華やかながらも、絵の道に入ったきっかけは意外なものでした。作品に対する考えや、家族と仕事とのバランス、ピクサーを離れて設立した自社「トンコハウス」に対する想いなど、その真摯な人柄そのままに語っていただきました。

はじまりは自分探しでしかない留学だった

―― 堤さんは高校まで野球一筋だったそうですが、当時は絵やアニメに興味はなかったんでしょうか。

堤大介 落書きするのが好きという程度でした。すごく絵が上手な友人が周りに数人いたので、彼らのやっていることを真似してクラスメイトの似顔絵を描いたりするくらい。絵を描くのが上手いという認識はなかったです。

―― 高校卒業後にアメリカへ留学されましたがそのきっかけは何だったのでしょうか?

堤大介 それまで打ち込んできた野球もプロになる才能はないなとわかって挫折しましたし、特にやりたいことがなかったので自然と海外へ行くという選択になりました。というのも母親が、仕事でも海外に行くことが多かったからか、海外志向の家庭で育ったんです。母ひとりで息子一人、娘一人を育ててくれたのですが、小さな頃から「高校を卒業したら家を出ていくこと。できれば日本を出ていくこと」というのは言われていました。強制されることはありませんでしたけどね。

―― 留学先にニューヨークを選んだのはなぜですか?

堤大介 覚えてないんですよね。当時の僕は、アメリカといえばニューヨークとカリフォルニアぐらいしか知らなかったんじゃないかな。都市に行くと遊んじゃうから行かない方がいいというアドバイスを真に受けて、ニューヨークからバスで1時間半くらいの郊外を重点的に探したんです。結局は英語がそんなにできなくても大丈夫で費用が安く、田舎すぎないところへランダムに願書を送りました。アメリカは名門校でなければ、入学だけはできるので最初に入学OKという返事がきた学校に決めたような気がします。

―― ある意味、自分探しをされていたんですね。

堤大介 まさに自分探しでしかないですよ!

―― そこで初めてアートという世界と出合うことになるわけですね。

堤大介 はい。入学したアメリカのコミュニティカレッジで、特に強い意気込みもなく絵のコースを取りました。その学校は生徒の半分くらいがおじいちゃんおばあちゃんなんですが、彼らが僕の絵をすごく褒めてくれたんです。あとでそれは彼らが褒め上手だっただけなんだとわかるんですが。僕は体育会系だったから褒められることに慣れていなくて、しかも純粋だったので(笑)、彼らの意見を真に受けて自分には絵の才能があるんだと本気で思ったんです。

諦めずにしつこく食らいつく能力

―― その学校で壁にぶち当たったり、みんなに褒められるのが信じられないと思う瞬間はなかったんですか?

堤大介 もちろんありましたよ。僕がかつて尊敬していた先生には2度クラスから追い出されました。悪い態度をとったわけじゃなくて、「君は才能がないから、他に行け」と哀れみの目で言われたんです。それはショックでしたね。努力すれば報われると信じていて、そこに関しては人に負けないくらいやっていたので。

―― それでそのクラスをとることは諦めたんですか?

堤大介 いや、これが自分の特徴でもあると思うんですけど、ダメと言われたときにこそしつこいというか、むしろ追いかけてしまうところがあって。そういう諦めの悪い性格なんです。こいつを振り向かせてやるんだ、みたいに逆に燃えてしまった。

―― その言葉が着火剤になったと。

堤大介 はい。それで、次の学期は彼のお弟子さんのクラスをとったんです。だけどその先生は弟子のクラスにも顔を出すので、「お前まだいたのか」と言われまして。その学期の最後にも「努力してて素晴らしいと思うけど、君は“持ってない”からもうやめなさい」と言われました。その学校には3年いたんですが、3年間彼らのクラスをとり続けたんです。

―― すごくタフなメンタルですよね。

堤大介 もはや意地の張り合いですよ。卒業するときにちょうどその先生の回顧展があったんですが、彼の教えについて話す3人の生徒代表のひとりに僕が選ばれたんです。だから、僕の中では勝ったのかなって大人げなく思っています。でも今思うと、その先生の教え方はあまり良くなかったと思っていて、僕はやっぱり人は褒めて育てるべきだという考えです。

絵画からゲーム、そしてアニメの世界へ

―― それまでのアートとは違う、アニメの世界に興味をもったきっかけは何だったんでしょうか。

堤大介 大学3年のときにウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオのインターンシップに光栄にも選ばれたことですね。初めてディズニーのアーティストたちと毎日接することになって、彼らがすごく絵が上手だということがわかったんです。ディズニーの絵はいわゆる漫画なんですが、僕がやっていた美術的な部分でもトップレベルじゃないと彼らの仕事はこなせないとそこで初めて知るんです。

でも当時ディズニーはちょうど衰退期にさしかかっていて、どうしようかと。アニメーション関係の会社が多かったのが西海岸だったので、ひとまずニューヨークを後にして西海岸へ移りました。ネットで会社を探すなんていう時代でもありませんでしたから。そこで就職したのが、ルーカス・ラーニングというわりと有名なゲーム会社で。

―― アニメーション会社ではなくゲーム会社に入社されたんですね。

堤大介 はい。僕はゲームはやらないのでジャンルとしては抵抗があったんですけど、その会社の教育用ゲームには興味があって。そこはほかにもとても優秀な人たちが入社試験を受けていたんですが、なぜか僕だけ受かったんです。で、勤めて1年目の大掃除のとき、僕の面接テストの解答用紙が出てきて。同時にほかの受験者の絵も見れたんですが、一番下手なのが僕の絵だったんですよ、それはもう間違いなく。

―― それは衝撃的事実ですね。

堤大介 そうなんです。それでボスにどうして自分が受かったのかを聞いたら、「君のが一番下手だった。だけどまず君はニューヨークから引っ越してきて後がなかっただろ? それに君と話して、君にかけてみたいって思ったんだ。実力でいうと君は一番下だったけどね」と言われて。伸びしろよりも現時点での力量が問われがちなのが専門職という仕事なのに、長期的視野で見てくれたことが嬉しかったですね。その上、僕の当時の状況まで考慮してくれて。このボスにはとても感謝していて、今の僕自身も人に対して現時点だけの評価では考えないように意識しています。

―― そこからどうやって映画の世界に入られたのですか?

堤大介 やはりゲーム業界にはなじめず、ニューヨークがどこか恋しくもあり、退社して戻りました。ニューヨークではブルースカイ・スタジオという20世紀フォックスの会社に勤めて、初めて自分は映画がやりたいんだって思い始めたんです。元々映画が好きでしたし、野球と同じくチームだからこそできることに気持ちをくすぐられたというか。

そこでは自分の満足できる映画は作れなかったのですが、その後、ピクサーでクオリティとしてもビジネスとしても最高の映画を作ることを学びました。ブルースカイ・スタジオでは映画を作ることの素晴らしさを、ピクサーでは本当に意味のある映画を作るということを知りました。

チームを組むなら、自分が敵わない人間と

―― 堤さんがアニメーション制作を続ける動機はどこにあるんでしょうか。

堤大介 好きだからという理由のほかに、そこで成長したいという気持ちが強いからですかね。成長といえば、今一緒に仕事をしているロバート・コンドウ(『ダム・キーパー』の共同監督)が出会ったばかりの頃に、「自分が敵わない人間のすぐ近くに身を置くことが成長にはとても大事だ」と言ってましたね。この考え方には僕も共感できて。とは言っても、才能重視の業界でキャリアができあがってくると、自分よりできる人が傍にいることはやはり怖いんですよ。

―― 脅威の存在とタッグを組むということですもんね。

堤大介 正直僕は、ロバートと仕事するのが辛いんですよ。自分の一番ダメな部分を突きつけられるというか、彼は人間性も才能面でも素晴らしいので、僕は自分に対して苛立ちが湧いてくるんです。でも僕にはない才能を持っている彼とでなければ、一緒に独立してトンコハウスを設立できなかった。しかも彼は僕より若く、どんどん伸びるでしょう? だから、彼に追いついてしがみついていくしかないという思いはあります(笑)。

―― 彼にとっても堤さんがそういう存在なんじゃないですか?

堤大介 もちろん彼はそう言ってくれてるけど、そう思ってもらえるようにがんばらなきゃと。たぶん彼は自分がもう脅かされないと感じたら僕から離れていくんじゃないかな。そういう意味では大変だけど、お互いに切磋琢磨していきたいです。

クリエイターにとって、風通しのいい場所をつくる

―― そんなロバートさんとショートフィルム『ダム・キーパー』を制作したきっかけはなんでしょうか。

堤大介 映画作りのイロハを知るためには、自分たちで一から十まで全てを一度作ってみなければということで、とにかくやってみたんです。でも、アートディレクターをやってきた僕らが脚本を書いて監督をやるということに対して、周囲からは「なぜアートディレクターを極めずに監督なんてやろうとするんだ?」という厳しい目を向けられましたね。

―― アートディレクターだけやってればいいじゃないかと?

堤大介 はい。僕らはアートディレクターとしてある程度の名前があったから注目を浴びることができたわけです。でもシンプルに監督としては注目を浴びる価値はない。だから僕らの中では作品の質でそれを見返してやろうとする気持ちもありました。でも、根本は自分たちができるはずのないことに挑戦することにこそ価値ある、という思いが原動力になっています。

―― 社名の「トンコハウス」はどういう意味なんですか?

堤大介 最初はほかにもいろいろ考えたんです。ウマミとか、コンブとか。でもけっこう商標をとられてたんですよ。だったら意味のわからない言葉にしようと。僕らの中では『ダム・キーパー』が会社の基盤になっているので、この主人公の豚と狐を合わせて豚(トン)狐(コ)です。

―― “ハウス”というのもアットホームな印象がありますね。

堤大介 みんながここへやってきて、リスクを冒して失敗しても大丈夫だという勇気が持てるような、クリエイターにとって風通しのいい場所を作りたくて“ハウス”にしたんです。僕やロバートも含めいろんな人が離れていくときが来るかもしれないけど、またいつでも戻って来れる家みたいな雰囲気にできればと思っています。

―― なるほど。トンコハウスのモットーはありますか?

堤大介 やっぱり何かを作るときになぜこれが必要なのか、さかのぼってなぜピクサーを辞めてまで、トンコハウスという会社を作らなきゃいけなかったのか。そのなぜに答えられる作品だけを作ろうとは言っていますね。

―― 理由を明確にするということでしょうか。

堤大介 なぜこの映画やこの物語を作って人に観てもらわなくてはならないのか、ということをとことん話し合って明確にしてプロジェクトを進めようと話しています。これをやったら面白いんじゃないか、売れるんじゃないかという程度で終わらせない。あらゆるプロジェクトの核として必ず「なぜ」から始めようとしています。

家族で過ごす時間が短くても、クオリティは100%にしたい

―― 堤さんは1日の中で仕事とプライベート、どのようにバランスを取っていますか?

堤大介 仕事と家族との時間のバランスは考えているんですが、おそらくちゃんとはできていないなあと自覚しています。でも家族との時間は絶対ないがしろにしたくないので、時間は短いけれど、一緒に過ごすときのクオリティは100%を目指したい。基本的に朝早く仕事をスタートして、子どもの夕食までには帰ることを目指しています。

―― 奥さんの理解があってのアニメーターの世界という印象があります。

堤大介 でも妻の理解や優しさに甘んじてはいけないと思っています。じつは妻の伯父が宮崎駿さんなんですが、妻は伯母から相当苦労話を聞いて育ってるんですよね。はじめは「さすがに宮崎さんみたいに(忙しくは)ならないでしょう?」みたいな感じだったのに、いきなり僕がピクサーを辞めてびっくりしてると思いますけどね(笑)。ピクサー時代は自由に時間が使えることが多かったので。

自然体なライフスタイルが創造を生む

―― 堤さんがライフスタイルにおいてこだわっているところがあれば教えてください。。

堤大介 インスピレーションをもらえる場所で働きたいので、空間にはこだわりたいですね。トンコハウスは8帖~10帖のわりと狭い空間なんですけど、家具は全部自分たちで作ったりしています。日本のアニメーションスタジオを訪れて思うのは、働くスペースへの投資をもっとするべきじゃないかなってこと。お金もスペースもないのであれば、手作りというやり方もありますし。そういう点も含めて僕らトンコハウスのスタイルが、ここ日本にもいい影響を与えられればうれしいなとちょっと思っています。

―― インスピレーションをもらえる場所というのは具体的にはどんなところなんでしょうか?

堤大介 僕らの場合は自分たちでやるのが好きなので、古い木を買ってきて壁やドア、テーブルを作ったり。心地よさは人それぞれなので、大事なのはインスピレーションを得られる環境ってなんだろうと意識して考えることじゃないですかね。心のゆとりがあってこそ発想できることってあると思いますし。

―― 日々のファッションについて意識していることはありますか?

堤大介 自分が自分らしく、自然体でいられるようなファッションを念頭に置いています。着飾るのは好きじゃないけど自分が着ていて、アバウトですが“いい感じ”だと思えるようにはしたいし、意識もしています。

―― アニメのキャラクターの参考に、街にいる人のファッションを観察することもありますか?

堤大介 もちろん。昔の印象だと東京の人はみんな同じ格好に見えるって思ってたんですけど、観察すると実はすごくいろんな人がいるんですよね。通常、男だったら綺麗な女性に目がいったりするじゃないですか。でも絵描きの特権なのかもしれないですが、味のある顔の人やいろんなファッションについ目がいくんです。ニューヨークでも同じで、あそこにはいろんな人種がいるのでファッションもひとつに固まってないところが好きですね。

100%を注ぐ真剣な遊びは続く

―― 世界中のアーティストが1冊のスケッチを埋め、つなげていく『スケッチトラベル』などのプロジェクトを手がけてらっしゃいますが、仕事以外のことに対する原動力は?

堤大介 仕事の内外ということはあまり意識しないですね。例えばスケッチトラベルのときも、絵が好きという想いだったり僕の好きなアーティストとつながることができるというファン的な意識があっただけで。今、トンコハウスで教育プロジェクトを進めていますが、ビジネスとしてはあまり理にかなわないことなんです。でも、自分の好きなことに情熱を注ぐこと、どんなことであろうと目の前のことに100%注ぐことがすべてだと思っています。

―― 遊びも仕事も好きこそが原動力なんですね。

堤大介 仕事はもちろんですが、僕は遊びだからこそ真剣にやろうというタイプ。お金とかビジネスとか抜きにして一所懸命になれるのって貴重じゃないですか。プロでないからこそ、お金をもらえるわけじゃないから真剣にやらなきゃもったいないというのが僕の持論。遊びに対して真剣になっちゃうのを煙たがる人たちがいるのは残念です。真剣にやることの何が怖いのかなって思います。

―― 今後の具体的な目標や挑戦してみたいことがあれば教えてください。

堤大介 日本とアメリカという2つの国、2つの文化を生きてきた自分だからこそ、その2つを合わせないとできない作品を作りたいと思っています。例えば、日本のクリエイターたちの力を借りて、僕らの映画を作るということです。日本だからこそ作れるものが絶対にあると確信しています。すぐに取りかかれるわけでもないので、そのための種まきを今はしています。

今月のトラディショナル スタイル
堤 大介

高校卒業後ニューヨークへ。現地のコミュニティカレッジで美術と出合い、美大へ進学。ゲームソフト会社、映画スタジオで働いた後、ピクサー・アニメーション・スタジオからヘッドハンティングを受け、2007年に入社。2013年、インターンやボランティアスタッフを集めて短編アニメーション作品『ダム・キーパー』を制作、ロバート・コンドウと共に監督を務める。2014年ピクサーを退社し、コンドウとともに、アニメーションスタジオ「TONKO HOUSE(トンコハウス)」を設立。

Vol.35 高橋智隆

Vol.33 重見 高好


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