美人白書

Vol.32 平林奈緒美


Apr 22nd, 2015

photo_nahoko morimoto
text_noriko oba
edit_rhino inc.

『la kagu』、『(marunouchi)HOUSE』など話題の施設や雑誌『GINZA』などのアートディレクション、アーティストのCDジャケットを手がけるなど、幅広い分野で活躍する平林奈緒美さん。静かな語りから飛び出す仕事哲学は、どれも徹底した姿勢で貫かれていました。“外出ほぼナシ”“休日ゼロ”で働く、彼女の毎日。その過ごし方を教えてもらいました。

渾身の毎日を積みあげる、
平林奈緒美さんの美の秘訣

PHOTO

小さいころは、法律家になりたかった。

――平林さんが今のスタイルに至るきっかけや経緯を聞きたいのですが、好きだったことや何か好きで集めていたものはありますか?

特筆するような、これといったエピソードはないんですよ。強いて挙げるならば、叔母がお茶の師範でしたので、私も3歳のころからお茶を習っていて、物心つくころから大人に囲まれている時間が長かったことくらいですね、特殊だったのは。あとは、本当に普通でした。

集めていたものも特にはないです。叔母に連れられて、よく広尾の明治屋に行っていたので、日本のスーパーにはないようなお菓子の包装紙は、捨てずに取っておいた記憶はありますが。ただ、当時からあまりプリプリしたかわいいものやレースのものは好きではなく、シンプルなものを集めていた気がします。

――デザインの方向に進みたいと思ったのはいつ頃からなのでしょうか。

進路を決める高校2年生のときに漠然と美大に行くことを考えましたが、このときも深い理由はないです。それまでは、法律の勉強をしたいと思っていたので。

PHOTO

――法律ですか。デザインとは全然違いますね。

はい。小学校3年生のときの担任の先生がすごくおもしろい人で、授業にときどき自分の友達を連れてくるんですよ。いろいろな職種の人が来て話をしてくれるのですが、私は特に弁護士の話に惹かれました。

法律は、扱う人や状況によって解釈も変わりますよね、国語ほど個人的な読み方に頼るでもなく、物理の方程式ほど動かないものでもない、という“隙間”がたくさんありそうな感じがおもしろそうだと感じました。でも、いざ進路を選ぶ段階で両親の大反対に合って。私も私で小3から高校生までほかに目移りせずに思っていたわりにはあっさりやめたんです、なぜか(笑)。かといって、英文科に行くのも違う気がして、美大を目指すことにしました。そのときも特にデザイナーになりたいと思っていたわけではなく、将来のやりたいことは行ってから考えようと、それくらいの気持ちでした。

PHOTO

モノを見る力を養った20代

――進路はどのように決めたのですか。

大学時代、ちょうどイギリスのレコードのジャケットブームというのがあって、私も好きでしたが、特にU2の『WAR』のジャケットがものすごくかっこよかったんです。こういうのをつくる職種は何だろうと調べ、グラフィックデザイナー、アートディレクターになりたいと方向性が定まっていきました。

といっても、そんなに選択肢もないんですよ。就職するとしたら、個人事務所か、中堅のプロダクションか、広告代理店か、メーカーか。まず人の下につくのは難しそうで、個人事務所は無理だろうと(笑)。プロダクションは中途採用が多かったですし、今でこそ広告代理店のアートディレクターはいろいろなことをしていますが、当時は広告屋という感じが強くて嫌でした。

――そして資生堂の宣伝部へ。会社員時代に経験できてよかったことはどんなことですか。

直属の上司である課長が、歴代超個性派ぞろいで、私もどうしてか彼らにかわいがられ、教えてもらったことはたくさんあります。あ、デザイン以外でなんですけれど(笑)。時代もバブルの最後くらいでしたから、まだまだ勢いもあり、連日20代の女性ひとりでは到底入れない、いろいろなところに連れて行ってもらいました。ウィスキーが美味しいお店、高級寿司屋、そこで本当に美味しいもの、本物の質感など、覚えたことや触れたものは、今になっても役立っています。

PHOTO

――特に覚えているエピソードを教えてください。

入りたてのころは、撮影があるとスタッフみんなのお弁当を用意するのですが、選ぶときにも「絶対に、自分で一度食べてから、おいしいと思った弁当以外出すなよ」と、デザインよりもそういうところに厳しい指導が入るんです。いろいろな趣味、職業の人が集まっているなかで、食べることは全員に共通する楽しみだから、そこは大事にしろと言われました。「美味しいものも用意できないヤツなんかにいいデザインはできない」とも。言われた意味も、今になればよくわかります。

――そんなにかわいがってもらえたのには、何か秘訣が?

何でしょうね、ただお酒をすごく飲めるからじゃないですか(笑)。

――いい教育をしてもらったんですね。

本当にそう思います。モノをどうやって見たらいいのか、その根底を言葉ではなく、実際の空間に連れて行ってもらい、サービスを受けさせてもらい、教えてもらいました。表面だけの「おしゃれだから」「かっこいいから」じゃない理由がきちんとあって、いいものが在ること。ものを見るときに「なぜいいのか、素敵か、かっこいいか」を実践編で叩き込まれました。これはマニュアルを見てレイアウトの勉強をしているだけではわからないことですし、経験豊富な大人の度量があってこそできた体験です。

PHOTO

いいものをつくることは大前提、その先の売上にこだわる。

――会社にはどれくらい在籍していたのですか?

11年半です。

――長いですね。辞めた理由は何でしょうか。

いろいろなことが重なって決めたことなので、これという理由ひとつではありません。が、簡単に言うならば、会社の方針に私の考えが合わなければ、私が会社の考えを変える努力をする必要はないと感じたことです。だんだんとそこにエネルギーを使いすぎて、デザインをする時間も少なくなっていましたし。あとは、年齢もあがって、この先を考えたときに、上司がそうだったように、私も現場よりも人事的な責任を負う立場になっていくことも予想できて、そのあとで辞めるのは辛いだろうと思いました。

まぁ挙げればキリがないのですが、やはり会社なので、たとえいい仕事をしても担当は何年かで変わってしまうし、ちゃんと仕事をしていない人、と言ったら変ですが、そういう人にも当然仕事はありますし、納得がいかないと感じることもありました。当時はよく年俸制にしてくれと言っていましたよ(笑)。

PHOTO

――今、仕事を受けるときに、気にすることはどんなことですか。

発注を受けたからには、「売上を上げたい」ということは常に気にして仕事をしています。それを達成できる器がクライアントさんにあるか、というところも大事です。カタログなどでも単に「かっこいいものをつくりたい」「素敵なものをつくって」と言われても、売っているものが素敵じゃなければ意味がないですし、そこを調整してでもいいものをつくりたい、という気概や土壌がないと目的は達成できません。

PHOTO

――転機となった仕事を挙げるとしたら何でしょうか。

雑誌『GINZA』(2011年5月号〜2014年2月号)のアートディレクターを引き受けたことは大きな挑戦でしたね。雑誌の仕事をしたこともない私のところへ、ある日突然編集長が「お願いできますか」と訪ねてきたんです。印象的だったのは「いい雑誌だったけど、(終わっちゃって)残念だったね、と言われるようなものはつくりたくない」という言葉。私も「売上がないのに、デザインがよくて賞だけ取っているような雑誌はつくる気はない」と返しました。同じ考えをもっていることがわかって、やってみようと思ったんです。

いいものをつくるのは大前提、数字を上げるという結果にどこまでシビアになれるかは、大事なことだと思います。私はアーティストではなくて、デザイナーですから。

PHOTO

粘って10年。

――平林さんのアイディアが生まれるのはどんな場所ですか。

やはりクライアントさんと話しながらアイディアが浮かぶことがいちばん多いです。そこから、ほかの作業をしながら、食事をしながら、なんとなくずうっと頭のなかで考え続けていて、最終的にPCに向かいます。「今からこの案件について考えよう」といった区切り方でうんうんと机で唸る、みたいなことはあまりないですね。プレゼンの直前まで頭のなかだけでいろいろなことが更新されていき、PC上では白紙、前日に急に手を動かし出すということもしょっちゅうです。言い方を変えると、最初に“なんとなく手を動かす”ことはしません。

何も思いつかなくても、何も考えていなくても、とりあえずカチャカチャと手を動かせば、自動的にレイアウトはできあがるけれど、そしてそんな風にすぐにデザインに取りかかる人も多くいますが、それは違う気がして。

――ぎりぎりまで考えてから。

「これで完璧だ!」と思うことなんてほとんどありませんし、かといって、時間をかけた分だけいいモノができるという保証だってどこにもない。2、3案できて、ここで終わりにしようと思えたらラクだとは思うんです。

どこで諦めるか、という自分との折り合いの問題で、これ以上粘ってさらにいい案ができるかはわからないけれど、でも、そこでやめないほうを選ぶ、粘るというのはフリーランスになって10年間変わらずにやってきたことです。

PHOTO

――アイディアの引き出しを増やすために心がけていることは何かありますか?

特に意識はしていないですね。本はたくさん買いますが、“いいデザインを集めました”というような本やデザインのための本には、興味が向きません。逆に全然デザインと関係のないカタログや冊子のなかから、いいデザインを探すほうがおもしろいです。モノも同じで、たとえばペンひとつでも、素敵な文房具をセレクトしたショップに行くよりも、“アスクル”のなかから、これイケてる! というのを探すことのほうが断然楽しい。業務用の製品や伝票など、デザインされているけれど、デザインが表に出過ぎていないものが好きです。

――そういったモノのどこに惹かれるのでしょう。

機能的で整然としていて、デザインの計算はきちんとされていながら、華飾がないところです。

――では、あまりお店などには出かけない?

お店どころか、ほとんど外出はしませんね。

PHOTO

平日は夜12時まで、土日は8時まで仕事。

――外出をほとんどしないというのは…?

仕事は、朝10時に始まって、夜はいちばん遅くとも12時までで帰ることを会社の決まりにしています。私はほぼ毎日12時までいますので、平日は朝から夜まで事務所にいます。夜ごはんは、奥にキッチンがあるので、当番制で料理をつくることになっていて、外で食べることもなく。

――ランチには出ますよね?

いや、ランチも会社で取ります。日曜日に、1週間分のスープ、たとえばカリフラワーとトマトスープのようなものを大きな鍋でつくって、小分けにして持ってくるので、毎日お昼はスープとパン。

――休日は何をしているのですか? 尋問みたいですみません。

土日は、スタッフはお休みなのですが、私は10時から夜8時まで事務所で仕事をしています。

PHOTO

――1週間のうち1日も休まないんですか!

1年に1度、まとまったお休みを取りますが、それ以外は会社にいます。…すみません、つまらなくて。

――毎日朝から夜まで仕事して外出もせず、いつリラックスしているのでしょうか。

家が近いので12時に会社を出ても12時半くらいには家に着きます。そこから寝るまでの2時間お酒を飲むのですが、その時間ですかね。時間がもったいなくて、バスタブにお湯を溜めて入るようなこともないので、ぼうっとしたり、何もしないことができないタチなのかもしれません。基本的には家と会社の往復。たまには友達とお酒を飲むこともありますが。

PHOTO

――華飾なく機能的に整理されていて、こんなことを言ったら変ですが、平林さんのデザインのような時間割で生きているのですね。

(笑)。お店を巡ったり、街を歩いたり、飲み会など不特定多数がいる場所に行くと、よく知らない人とどうでもいい会話をしなきゃいけないのが疲れるし嫌なんです。時間はすごく大切なので。

――ファッションについても教えてください。普段はどのようなスタイルが多いでしょうか。

シンプルなものが好きですね。色もモノトーン、カーキが多いかな。いくつか好きなお店もありますが、やはりネットで買うことがほとんどです(笑)。同じようなものばかりを集めてしまうんですよ。女の人は、このテイストは持っているから、次に買うなら違うものが欲しいと考える人が多いと思いますが、私は、あまりそういう願望がないんです。今と違うスタイルにトライしてみたいとか、違う雰囲気になってみたいと思う感覚がまったくないですね。

PHOTO

――仕事道具で欠かせないものは何ですか?

“スマイソン”の手帳2冊です。見開きに1週間のスケジュールが入るタイプの手帳と、日記タイプの手帳。日記タイプの手帳は、1日ごとのページになっているので、この日にあったこと、受け取った電話など、細かいことまで思い出せるようにメモをする、もう何年も習慣です。

――手帳のほうには風邪薬の処方箋まできれいに貼ってありますね! しつこいですが、疲れたときに“ま、いっか”と思ったり、“今日はもういいか”と思う日はないのですか?

PHOTO

ありますよ、もちろんあります。けれど、ひとつをなぁなぁにしてしまうと、なし崩しにそのほかの事も乱れてしまう気がするので、年に1度の1週間のお休みを楽しみに、あとは休まずやります。

――平林さんの考え方や生き方について、身近な人はどんな風に思っているのでしょう?

夫には「大変だね」と言われます(笑)。


PHOTO

最後に平林奈緒美さんから
“美しくなるためのメッセージ”

フリーランスは、仕事の出来がよくなかったときは誰も叱ってくれず、ただ仕事が来なくなるだけというのが当たり前。その環境のなかで自分が自分の仕事に対してどこでOKを出すかは、仕事の質や成長を決める大事な部分です。これ以上時間をかけたところで、今あるものを超える案が出るかわからなくても、完成まで「粘ろうとすること」には、常に意識的でありたい。諦めないひとつを積み重ねてきた10年があったからこそ、今があるのだから。

今月の美人
平林奈緒美

武蔵野美術大学空間演出デザイン学科卒業後、(株)資生堂宣伝部入社。ロンドンのデザインスタジオ「MadeThought」に1年間出向後、2005年よりフリーランスのアートディレクター、グラフィックデザイナーとして活動を始める。 (marunouchi) HOUSE、la kagu、UNITED ARROWS等のアートディレクション、HOPE、NTT DOCOMOパッケージデザイン、矢野顕子・宇多田ヒカル・DREAMS COME TRUE等のCDジャケットデザイン、雑誌『GINZA』のアートディレクションなど。JAGDA新人賞・ADC賞・NY ADC GOLD・British D&AD silver など受賞多数。

Vol.33 青山有紀

Vol.31 中川正子


FEATURED ARTICLES