毎日を大いに喜ぶ。西加奈子さんの美の秘訣
エジプトで過ごしたきらきらの子供時代。
――小さいころに読んだ本で、印象に残っているものはありますか?
私は、父が駐在員だったので、小学校1年生から4年生の終わりまでエジプトに住んでいたんです。エジプトで通っていた日本人学校に、すごく仲のよかった子がいて、彼女が『シートン動物記』を読んでいたので、じゃあ私は『ファーブル昆虫記』をと読み始めたのですが…この本がおもしろかった。正直、昆虫の生態にはあまり興味がなかったのですが、学者さんのような偉い人が、まるまる1週間アリの巣の観察とかしてて、「大人なのにこんなことしていいんや!」ってうれしかったです。
――エジプトでの生活というのは想像がつかないのですが、どのような感じだったのですか?
エジプトで過ごした子供時代は、人生のなかのキラキラしてた時間やと思う。さっきのシートンの子とずっと一緒に遊んでいたのですが、ある日彼女と“この世でいちばん怖い漫画を描こう”ということになったんです。彼女は「眼の手術」、私は「トカゲを食べる」を描きました(笑)。いちばんの恐怖がそれやっていう世界にいたなんて、すごい守られてるなって。だって今だったら、『闇金ウシジマくん』みたいのがいちばん怖いじゃない?
親も忙しかったので子供同士で過ごす時間が長くて、毎日が冒険みたいに楽しかったけれど、一方で「自分たちは異質なんだ」ということも感じていました。エジプトにはエジプシャンという均一があるなかで、「自分たちが部外者」だという意識と、あと、恥ずかしいという思いもありました。
――恥ずかしい? どうしてですか?
駐在員は待遇がよかったので、学校の日本人の友達はみんな高級住宅地に住んで、いい暮らしをしていたんです。でも私たちが遊ぶエジプシャンの子は、大人のサンダル履いて、ボロボロの服着ていて。別に自分の手柄でもないのに、いい服着ながら彼女たちと遊んでることが無性に恥ずかしいことに感じました。でも金持ちが恥ずかしいなんて、考えること自体が絶対にあかんことと思ってて。もちろん日本に帰れば、一般家庭なので、帰国したときにすごくほっとしたのも覚えています。普通の人になれたと言ったら変ですけれど、そんな感覚。
それからずいぶん経ってから太宰治の『人間失格』を読んだときにすごく救われた気がしたんです。本のなかに「僕は実家の大きさにはにかんでいたのだ」という文章があって、あの悩みは自分のなかにもっていてもよかったんだと思えました。
たまに顔を出す“ドヤ感”が邪魔。
――西さんが作家になりたいと思ったのはいつごろなのでしょうか?
25歳くらいかな。そのころは大阪でいろいろなバイトをしていたのですが、そのなかのひとつがライターだったんです。お店取材をして小さな記事を書くという仕事。たとえば、喫茶店の取材ならコーヒー豆の産地や味わいやその他の情報を入れなくてはいけないのですが、私はそれよりも「コーヒー煎れてくれるおっちゃんの顔にでっかいほくろがあった」とか「運んでくる人がおもろかった」とかに興味があって、それを書きたかった。当たり前ですが、そんな原稿はボツになりますよね。だったら自分でおもろいおっさんがコーヒー煎れてくれる物語を書けばいいんじゃん。ということで書き始めました。実際に書いたら楽しくて仕方なかった。
――最初から楽しいと思ったんですね。
だって、なんぼだってウソついていいからね(笑)。この間、一緒に飲んでいた映画監督の方が「脚本見てぞっとするときがある」っておっしゃるんですよ。「満員の東京ドームに…」とか書かれていると「満員…?撮影どうしよ」ってなるって。小説の中だったら、満員どころか「東京ドームが飛んだ」とも書けるんです。もちろん、それが“奇抜”とか“驚かし”を狙っただけならダメやけど、物語に対して真摯でありさえすれば何を書いてもいいんやって思うと、すごい楽しいですね。
――物語に対して真摯って、どういうことですか?
自分の物語にまっすぐ向き合うというか…どう読んで欲しいかよりも、何を書きたいかを大切にすることかな。たとえば「どう?こんな設定思いつくなんてすごいやろ?」ってなったら絶対ダメだと思うんです。でも、少し名前を知ってもらったり本が売れたりすると、「かっこいいって思われたい」って、たまにそういうことしちゃうんです。「5枚で書いてくれ」って頼まれたら「よぉし、驚かせちゃうぞ!」とか腕まくりしちゃって(笑)。そういう自分の“ドヤ感”が邪魔。
――そんなときどうでするのですか?
“今ドヤやな”って自分でツッコミます。これを大阪っぽいとくくったら乱暴ですけど、でも気持ちのどこかに“かっこええのがかっこ悪い”みたいな感覚はある。作家って夏目漱石のおかげで(笑)、めっちゃ優遇されるんですよ。人生の師みたいに扱われて、「先生」とか呼ばれたり。政治のこととか知らんのに聞かれるし、寂聴さんの影響で“奔放な性体験をもっているんじゃ…”と思われたり(笑)。ちやほやされるとつい嬉しくなってしまって、かっこいいこと言っちゃったりするんですよね。
そんなときに自分の心のなかの声が「お前何言うてんねん」とか「カッコいい〜、よっ!作家っ!」みたいにからかってくるんです。新刊の長編小説『サラバ!』を書いていたときにも、途中で煮詰まって書かれへんときとか「は〜…」とか頭を抱えていると、自分の声が「今の感じ、作家っぽいね!ヒュー!」ってどこからともなく。うるさいけど、おかげでブレーキかかります。
「僕はこの世界に、左足から登場した」
――今お話に出てきた『サラバ!』は、作家生活10周年記念作品として、10月末に発売されます。書き始めるきっかけは何だったのでしょうか?
2013年の2月に『黄色いゾウ』という小説が映画化されることになって、そのプロモーションで大阪にいたときに最初の1行が浮かびました。梅田の地下街を歩きながら、一緒にまわっていた編集者の人に「今、一行目を思いつきました」と言ったのを覚えています。「僕はこの世界に、左足から登場した」という一文。編集者の人もものすごく喜んでくれました。
――主人公は、イランで生まれてエジプトに行きます。西さん自身と境遇が似ていますが、書いているなかで新たに思い出したことなどはありましたか?
境遇は似ているのですが、私のことではありません。でも、今回執筆するにあたって久しぶりにエジプトへ取材に行きました。革命があって治安悪なったって聞いてたのですが…あまりの変わってなさにびっくり。もうちょっと変わっとけよというくらい(笑)。革命も同窓会とかピクニック感覚で参加している人も多いみたいで、あそこに行ったら誰かに会えるからって、お弁当もって家族で出かけたりする人もいるんだって。改めてこの国大好きだと思いました。
――執筆中、苦しいこともありましたか?
これは長編に限らずどの作品でもそうですが、1日が終わっても、「終わった!」みたいなすっきり感はなくて、ぬる~っとずっと脳みそのなかで続いている感じなので、多分、体は休まっていなかったと思います。小説を書くことって思っている以上に身体的な作業なんです。だからか長編書く人にマラソンを始める人が多いですよね。
――最初の一行を書き始める時点で、結末は決めているのですか?
ハッピーエンドということだけ。私は、全然プロットを立てないで書くタイプなんです。設計図なしに上下巻もある長編をやろうとするのは、自殺行為に近いというか、書き終えてほんまうまくいってよかったとほっとしました。よく登場人物が勝手に動き出したとか聞くけれど、そんなわけないだろう、って思うの。でも、まるきり違うかというとそうでもないというか…。たとえば、今回の主人公は1人称で「僕は――」で物語が進むんですね。ひとりの人間の半生を上下巻という長さで書くときに1人称って危険なんです。彼が見ていない世界を描写できないから。
悩んで3人称で書こうともしたけど、そうすると「僕はこの世界に、左足から登場した」というあの一文にウソをつくような気がして、1人称にチャレンジしました。そしたら、最後の最後に“1人称だからできたカラクリ”みたいのが浮かんできて、そのときは本当に幸せでした。うれしすぎて地味に体が動きましたね。
――地味に?
窓をガッと開けてガッと閉めました(笑)。「やった!」とか叫ぶわけではなく、開けて閉める感じの無音の興奮。『サラバ!』は、本当にそういう瞬間が何度もあってうれしかったです。
――『サラバ』では、挿絵も描かれていますね。
下巻に入ってから、装丁の絵をあんな風にしたいとアイディアが浮かんできて、装丁家さんとの打ち合わせの前にもう描き始めていました。初めてのミーティングの日には、「これを使って欲しいです」って断れないくらい大量の絵を持っていって、がんじがらめにしてしまいました。
ふとしたときに覗く“素の顔”に萌える。
――エッセイでは、西さん独特の人間観察やそれに対するコメントの秀逸さに笑わせてもらっています。日々常にアンテナを張っているのですか?
…なんやろな、これほんま女性作家の呪いだと思うんですけど、作家ですって言ったらだいたい怖がられるんですよ。めっちゃ見てるんちゃう? 書かれんちゃう?って警戒される(笑)。特に意識しているわけではないし、おもろい人に合う確率だって変わらないと思う。だけど、そういう人に会っても仕事にも人生にも役に立たないと思ってる人は、どんどん記憶から消してるのかもしれないね。
カメラマンが撮る写真もそうじゃない? 同じ景色を見ていたのに「ここ撮るんだ!」って感動することがあります。同じものに出合ってもどこに“引っかかり”があるかによって、出てくるものは全然違うし、それはその人の体じゃないと受け取れない何かなのかもしれないですね。
――ちなみに西さんは人のどこを見ていますか?
顔。“素”とか“ギャップ”が出た表情を見るのが好き。たとえばね、駅のホームで別れ際の友達同士なんかずっと観察しちゃう。「バイバイ」って手を振ってひとりになってから、この人はどうやって素の顔に戻すのかなって。ゆっくり顔を戻す人、微笑をたたえたまま余韻を残す人、または顔面の変化をおそれて手を振る時点ですでに真顔の人(笑)。
――「バイバイ」のときは、実際どこで顔を戻そうか悩みます。
あと、お洋服売り場の店員さんの顔もすごい好き。ちょっとよそゆきの顔をしてて、服のことを聞いたら何でも答えてくれる。でも、突然「お昼はどこ食べにいかれるんですか?」とか聞くと、一瞬だけパッと素の顔に戻るんですよね。それが…いいんですよ、萌えます。レジでふたりの店員さんが話しているときに、急に「ふたりは仲いいんですか?」と聞いてみたり。「あ」っていう感じで素の表情になる感じとか本当、好きです。
――ショップでそんなやり取りが(笑)。ちなみに西さんはふだんはどのようなファッションを?
ユニセックスな感じが好きです。顔が男顔ということもあるのでしょうけれど、レースとかアンサンブルとかガーリーな感じは似合わないんです。色も昔は、世界中の色を着てみたい!という感じでしたが、最近はベーシックな色に落ち着いてきました。
――西さんが美しいと思う人はどんな人ですか?
許せる人。今、人のやることや発言に対して何でも文句言ったり許せない!って怒り出したりする人が多くないですか。許せる人は、自分の弱いところやあかんところも分かってて、それでもちゃんと自分に自信がある人だと思うんです。
生きようとしているほうが好き。
――落ち込んだときはどうやって立ち直っていますか?
落ち込みの種類にもよりますが、精神的に疲れた、うまくいかなかった、恥をかいた、とか個人的な落ち込みだったら、“プロレス”ですね。DVDやYouTubeで入場シーンだけでも見ます。特に三沢と蝶野の試合の入場シーンは何百回と見てる。あの再生回数増やしてるのうちやと思うよ。どんだけイヤな気分でもほぼ100%治る。入場のときの“顔”が本当にすさまじいんです。感動して泣きながら、「うち今までにこんな顔したことあるかな。自分に起きたことなんて、三沢ほどじゃない。まだまだだ」って元気になります。
――プロレスにハマったきっかけはあるのですか?
大好きないとこのお兄ちゃんの影響ですね。彼は病気で亡くなってしまったのですが、お笑いもプロレスもそのお兄ちゃんから教えてもらいました。幼いある日、一緒に猪木が出ている試合を見ていて「かなちゃん、猪木に上からアゴでドンッてされたら死ぬで」と言われて、それがあまりに衝撃的で。そんな強いやつおんの!?って(笑)、それからですね。
――元気になりたいときに聞く音楽はありますか?
黒い音楽が好きです。レゲエでもスカでも、歌詞がどんなに暗くても、たとえ奴隷主にムチで叩かれたというような内容であっても、生きてる感じ、死に向かっていない感じがするので。プロレスもそう。暴力的なことをしているのに絶対的に死には向かっていない気がするんです。自分が死にたいと思うことはないけれど、でも弱っていたり落ち込んでいるときって確実に一歩近づいてるから。
そういうときにプロレスとかヒップホップは元気になります。プロレスラーとラッパーって、パンプアップしてるし、顔や雰囲気が似てるんですよね。逆に“虚無”っぽさを感じる音楽は苦しくなってしまって聞けないです。それが悪いとかじゃなくて、私の好みの問題。生きようとしているほうが好きです。最近の短編にも、ダイレクトになんで自ら死んだらあかんかっていう話を書きました。
――最後に、西さんが大切にしている言葉を教えてください。
ふたつあって、ひとつはおばあちゃんからお母さん、お母さんから私にずっと言われてきた「もの喜びしなさい」という言葉。大げさなほど、ものすごく喜びなさいということ。ありがとうとかうれしいは、言って言い過ぎることはないと育てられて、実際に親もおばあちゃんもそうしているのを見ているし、自分もそうありたいと思っています。
もうひとつは、スヌーピーの作者、チャールズ・M・シュルツの「配られたカードで勝負するしかないのさ。たとえそれがどんな意味であれ」という言葉。またプロレスの話になってしまうのですが(笑)、今プロレスはドームも満員にするくらい盛り上がっているんですね。でもきっとこれまでプロレスラーたちはさんざんお客さんから言われてきたと思うんですよ「プロレスおもしろくなくなった」とか「猪木、蝶野で終わった」とか。彼らはそこで諦めないで一試合一試合いい試合してきたから今がある。
私も昔、知らないおじさんに面と向かって「今の若い子の小説なんて読まれへん」て言われたこともあるし、「太宰で小説は終わった」って言う人もいるし、「本が売れない時代」と言われているけど、でも今私たちが持ってるカードはそれしかないんだから、一冊一冊いい本書いて、めっちゃ売れます、めっちゃおもろいです。って胸張って言いたいなと思っています。
最後に西加奈子さんから
“美しくなるためのメッセージ”
「You play with the cards you’re dealt…whatever that means. 配られたカードで勝負するしかないのさ。たとえそれがどんな意味であれ」自分の生まれた環境とかいる場所とか時代を恨んでも何も始まらない。私も仕事仲間同士でめっちゃグチることはあります。しんどいときはね、それもアリだと思う。でも発信する側が「仕方ないじゃん!」って開き直るのは絶対ナシだと思うんです。すごく共感するし、大切にしたい言葉です。