TRADITIONAL STYLE

Vol.24 瀬筒 雄太


Aug 13th, 2014

photo_shota matsumoto
text_maho honjo

今回登場するのは、日本を代表するプロロングボーダー、瀬筒雄太さん。14歳でプロ資格を得るも、20歳で日本のツアーを退き、現在は鎌倉を拠点に活躍中。国内外のコンテストやサーフトリップで培った独自の価値観とは? 人生を楽しむ究極の秘策も伝授!? 夏本番を迎える七里ケ浜で、自称・ひねくれ者のサーファーに、今の気持ちと人生訓を語ってもらいました。

10歳で本格スタート、14歳で最年少プロサーファーに

―― サーフィンを始めたのはいつからですか?

瀬筒 雄太 小さなころから家族全員でやってました。8、9歳ぐらいに一度、家族のペースに巻き込まれるのがイヤで、嫌いになった時期もありましたね。子供のころからひねくれ者だったので、思えば早めの反抗期。でも10歳のとき、何が動機かまったく覚えてないけれど、真剣にやらせてほしいとお願いして、それからは毎週末、海に通ってました。

―― そこで、あるサーファーとの衝撃的な出会いがあったんですよね。

瀬筒 雄太 中村清太郎くんですね。地元福岡のイベントで彼のサーフィンを見て、ズドーンと雷が落ちました。何が、どこが、って言われると説明できないけれど、もうすべてがかっこよかった。周りの大人が「カリフォルニアの武者修行から戻ったばかりで、スタイルがほかの人とはまったく違う」とか話していたのもあるけれど、とにかく「中村清太郎くんみたいになりたい!」と。もちろん彼を真似てロングボードに転向、あとは無我夢中でした。

―― 小学生、中学生でサーフィンにハマるって、どんな生活なんですか?

瀬筒 雄太 基本的には学校に通う(笑)。海に行くのは週末で、家族にビデオを撮ってもらって、それを通学前にチェックしたり、授業中は波乗りの落書きをしたり居眠りしたり…。あ、サーフィン日記とかつけてましたね。当時は「写ルンです」で写真を撮って、ノートに貼って、日付、天気、海のコンディション、今日の課題と結果、来週の課題を毎回記録。実際長くは続かなかったけど…懐かしいですね。

―― 師匠と呼ぶ人はいたんですか?

瀬筒 雄太 エリアのうまい人たちが面倒を見てくれました。10歳のころから40、50歳のおじちゃんたちにかわいがってもらって。あとはプロのライディングや教則DVDを観て、日々鏡の前でイメトレ。基本的に独学です。

―― そしてなんと、14歳でプロテストに合格。史上最年少のプロサーファーに。

瀬筒 雄太 うれしかったけど、騒がれもしたけど、そんな自分をはたから見ている感じでした。自分はただ中村清太郎くんみたいになりたくて、彼がプロサーファーだったからそこを目指した。それだけだったんですよ。

直感を信じて、15歳で単身千葉へ渡る

―― 15歳で親元を離れ、千葉へ向かい、プロサーファーの道へ。その年齢でその決心は、潔いものに思えます。

瀬筒 雄太 直感と感覚です。最初は進学も考えたけど、14歳でプロテストに合格してプロサーファーの道が目の前にあるのに、そこに行かないってありえないなって。学校に通いながら…ってフツーだし、絞ったほうが自分は楽しめると思って。あと、親父が三浦知良さんが好きなんですよ。カズさんも単身でブラジルに渡ってますよね? そんな話も後押しになって、最終的に親父が「好きにやりなさい」って言ってくれたんです。

―― 15歳の瀬筒少年にとって、その言葉は励みになりますね。

瀬筒 雄太 両親は全身全霊でいろんなことを教えてくれて、さらに自由にさせてくれたので、本当に感謝してます。親父とは今も仲がよくて、大の親友であり、そっと背中を押してくれるありがたい存在。自分は母親を18歳で亡くして、もちろん自分の人生を変えた大きな出来事でしたけど、逆に自分にはいい経験だったと捉えてます。そういえば親がケンカしたとき、逆に自分が説教したこともあったし、つい先日も親父から相談をもちかけられたりして。子供を自立した人間として扱う、そんな両親でした。

―― ちなみに、どんな子供だったんですか?

瀬筒 雄太 えーと、すごいひねくれ者でした。みんなが右行くならオレ左、みたいな。高校進学しないって決めた途端、中学もろくすっぽ行かなくなって。みんなが学校行くならオレ行かない。みんなが親元にいるならオレ離れるって。理由はなくて、感覚的にそうしたくなっちゃうんですよ、なんででしょうね(笑)。

―― ひねくれ者だけど、愛される。そういうふうに見えます。

瀬筒 雄太 周囲の支えには本当に感謝してます。直感と感覚ですべてを選んできたけど、振り返ると結果、1本の道になっているのは、応援してくれる人たちに恵まれたから。好き放題やらせてくれるけど、道からそれると、ちょいちょいと手が出てきて落ちないようにしてくれる。いろんな方からのそんなサポートは、今思い返すとさらにありがたみを感じますね。

―― 道理から外れることをしたことも?

瀬筒 雄太 あ、素行不良とかはないですよ(笑)。でも…プロサーファーとして方向性が見えなくなった時期はありました。

プロサーファーって、いったいなんだろう?

―― 方向性が見えなくなったとは?

瀬筒 雄太 千葉での生活は、最初は新鮮でした。まず、学校に行かなくていい(笑)。基本的には食う、寝る、サーフィンの最高な毎日。でも、2年経ち、3年経ち、少しずつ「プロサーファーってなんだろう?」と思い始めて。

―― というと?

瀬筒 雄太 それは自分の肩書きなんだけど、コンテストの賞金だけでは足りなくて、実際はだれかのサポートやアルバイトで生計を立てている。「プロになったらサーフィンだけで生活できて幸せだね」って言われてたけど、いやそんなことないぞ、と。だれかに負担をかけて、自分の生活に責任を負えないってどうよ、って。なんのためにプロサーファーになったのか、自分は何がしたかったのか、だんだんわからなくなってきたんです。

―― 抱いていたイメージと現実との間に、ギャップを感じ始めたんですね。

瀬筒 雄太 それと同時に、点数を競って順位を決める、競技としてのサーフィンにも興味が薄れていきました。悶々とした思いを抱えつつも、それを洗い流してくれるのもやっぱりサーフィン。プロという肩書きはさておき「自分はサーフィンしているときが幸せで、一生続けるのが夢」ということもわかってきた。さらに小さいころ、自分が中村清太郎くんに感じた「唯一無二の存在になりたい」という思いもあらためて湧いてきて。すると、プロサーファーはツアーを巡ってお金を稼ぐもの、という固定概念の枠から、また外れたくなってきたんですよ。

―― それはまた、”みんなとは違う道を行きたい癖”が…

瀬筒 雄太 ここでもまた顔を出してきたんですね。すると「ならばこのやり方もある」とか「最低限これはやるべきだ」とか、周囲の大人がまたちょいちょいと手を出してきてくれて。サーフィンをしながら別の畑で収入を得ている人のスタイルや、逆にプロサーファーでいることに誇りを感じている人の考え方など、平等に多くの選択肢や方向性を見せてくれました。

―― とはいえ”みんなと違う道”はそう簡単に確立できるものではなさそうです。

瀬筒 雄太 自分は何ができるだろう、何がしたいのだろうとひたすら考えたとき、言葉でいうと平凡に聞こえるかもしれないけれど、「サーフィンの価値観を伝えること」だったんです。偶然か必然か、海外でも競技としてのサーフィンではなく、洋服とか音楽とか、ジャンルを超えてサーフィンとミックスさせる新しいムーブメントが起きていたんですよね。

「ダクト テープ」でサーフィンの景色が変わった

―― 海外の活動といえば、サーフィン界のカリスマ、ジョエル・チューダーが主宰する「ダクト テープ・インビテーショナル」に日本人で唯一招待されています。世界のベストロングボーダー16名が参加するコンテストなんですよね。それってどうやって招待されるものなんでしょうか。

瀬筒 雄太 それが突然、Facebookにメッセージが来たんですよ。「今度試合をするからこないか?」って。サッカーでいえば、「ジーコからいきなりメール来た!」みたいな(笑)。

―― 瀬筒さんのサーフィンスタイルをリスペクトしてのオファーですよね?

瀬筒 雄太 それは素直にうれしかったですね。でも、現地に行くまで信じられませんでした。だってジョエルにメールして時間と場所を聞いても返信がないんですよ。知り合いにどうにか確認して会場にたどり着いたけど、ろくに英語もしゃべれないし、最初はすごく不安でした。

―― 実際はどんな雰囲気のイベントなんですか?

瀬筒 雄太 それがいい意味で、かなりゆる〜いんですよ。前日夜から会場入りして、いろんな話をしながらメンバーやスタッフで酒を飲んで。翌日の試合も、普通だったらストレッチして意識高めて…となるところ、朝からビール飲んでるやつもいる。仲間でテント立てて、キャンプファイヤーして、BBQブースも出て。そんななか午前中に予選、午後はリラックスタイム。また酒飲むやつも、サーフィンするやつも、スケートするやつも。夜はライブがあって、またみんなでぐでんぐでん。

―― ゆ、ゆるっ!

瀬筒 雄太 でもその翌日の決勝はいたって真剣に。ただピリピリムードは一切なし。結果が出ても、1〜4位の表彰台に段差がつくわけでなく、負けたやつにも「いいライディングしてたな」と声をかける。で、夜はまた打ち上げがあって、盛り上がる。そんな流れです。

―― ええーー! そんな大会があるなんて、驚きですね。

瀬筒 雄太 試合前に酒を飲むなんて、アスリートとしてタブーじゃないですか。でも、そこにいるのは、それだけで生計を立ててる超一流のメンバーなんですよ。そんな彼らがストレッチすらせずに、海に入る。でもだれよりもサーフィンを楽しんでいるのは彼ら。小さなアマチュア大会でそんな雰囲気を味わってはいたけど、メジャーの場でそれを目の当たりにして、衝撃を受けました。

―― 日本のツアーではまず考えられないムードですよね。

瀬筒 雄太 プロもアマも関係なく、場の雰囲気と波乗りを純粋に楽しむ。ああ、これがサーフィンの良さだよなって、再認識しました。なおかつ、自分の感覚に異常にフィットしましたね。

自分流に洋服を着こなすのが好き

―― 「ダクト テープ・インビテーショナル」への参加を機に、日本のツアーから退かれます。

瀬筒 雄太 どちらも春先に始まるスケジュールで、「名誉ある大会に招待されたので」と、日本のツアー不参戦の意志を表示して、そこで活動スタイルを完全にスイッチしました。国内外の招待制の大会に出たり、アマ・プロ・ボード問わず、さらにライブやBBQも楽しめるイベントをオーガナイズしたりなど、自分が体験してきたサーフィンの楽しさを伝えるべく奔走しています。

―― さらに現在は鎌倉に拠点を移し、材木座のセレクトショップ「MID TIDE 鎌倉」に勤務。思い切った決断に思えます。

瀬筒 雄太 これも直感と感覚で決めました。とはいえ「毎日波がある環境に身を置くべき」「プロサーファーとしてありえない」など、厳しい意見もたくさんありました。でもその話が来たとき、鎌倉に行ったら違う自分が見えてくるな、って感じたんです。

―― 今はどんな生活を? 千葉の暮らしとはどう変わりましたか?

瀬筒 雄太 平日は朝サーフィンして、10時〜19時まで仕事。週2日の休みはもちろんサーフィン。鎌倉は千葉にくらべて波がないけれど、それもわかってここに来たし、いざやってみると接客も洋服の企画もすごく楽しくて、充実しています。何より昔と違って、自活できてないのに「プロです」と虚勢を張る必要がない。就職して地盤を固める、それが今の自分に必要なことだったんですね。

―― 「MID TIDE 鎌倉」にてお洋服や小物を扱っているわけですけど、瀬筒さん自身はどんなファッションが好きなんですか?

瀬筒 雄太 親の影響と、あと若いころはお金がなかったので、古着が好きでしたね。好きな物を好きなように解釈して自分流に着るのが好き。17歳のときは、ビッグジョンのベルボトムを履いて、髪を長〜くして、ヒッピーみたいでしたし、18歳のころはプチダメージのスキニーパンツにライダースを合わせてパンク風味に。もう好き放題ですね。ただそのファッションカルチャーの時代背景まで理解して、着こなすようにはしてた、かな? 落ち着いた服装ができるようになったのは…まぁここ最近です(笑)。

結論。人生は楽しまないと意味がない

―― ひとつお聞きしたかったのが、プロサーファーでもビジネスマンでも主婦の方でも、自分のもつ最大限のパフォーマンスを発揮したい瞬間ってあると思うんです。そのために必要なことってなんでしょうか?

瀬筒 雄太 自分はですけど、その最大限のパフォーマンスとやらを発揮できたとしても、そのときに楽しさとか幸せを感じられなければ、意味がないんじゃないかと思ってます。大切なのは、「最大限の」ではなくて、「楽しんでいるか」。

―― 確かに今までお話を聞いていると、必要なのは緊張感とかストイックさとか、そういうことではなさそうです。

瀬筒 雄太 仕事のストレスをサーフィンで解放するとかってよく聞きますけど、まずは「仕事も楽しい、サーフィンも楽しい」をベースにしたい。辛いことも振り返れば意味があるものだし…。うーん、うまく言えないですけど、起きていることすべてを自分の栄養にしていこうって捉えるようにしたら、まずは楽しむことが先、って考え方が逆転していったんですよね。

―― ちなみに、海や地球の環境問題について考えることはありますか?

瀬筒 雄太 考えるというより、そこはシンプルに「やるかやらないか」だと思います。環境にやさしい商品でも高価で手が出なければ自分にとっては意味がないし、それよりは海から上がるときにゴミひとつ拾うほうが素敵なことだと思います。だからエコとかリサイクルとかオーガニックとかは苦手な方。自分は海にゴミを捨てたりしないけど、捨てる人の批判も別にしない。極論ですけど、世界がよくなったからって幸せになるとは限らないんじゃないかな。逆に世界がひどくても幸せになることだってできるはず。幸せは環境じゃなくて、ひとりひとりの心の持ちようがつくるものだと思いますよ。

―― 若くして、そこまで達観しているのが驚きです。何より、プロサーファーにもさまざまなスタイルがあることを教えてもらいました。

瀬筒 雄太 その昔、「プロフェッショナル」という単語を辞書で引いたことがありましたね。そこには「それ専門の分野で生計を立てること」と書いてある。サーフィン分野で生計を立てればそれでプロサーファー。実はプロ資格も返してしまいましたし。お金の稼ぎ方や、価値観の提供、新しいスタイルの確立なんて、スイッチの入れ方で無限大。もともとひねくれ者だし(笑)、これからも先入観に捉われずに、活動を続けていこうと思っています。

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