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大統領選挙翌日の11月9日水曜日、多くのニューヨーカーが目覚めたのは前日までとはまるで違う世界だった。空もどんより曇った街の空気は重く、電車や道路で行き交う人々はお互いの視線を避けるように地面に目を向けていた。20%以上がアメリカ国外生まれ、白人は半分以下、移民やLGBTQなどのマイノリティーの文化が根深いニューヨーク市では、スタテン・アイランドをのぞく4つのボロー(地区)で8割近くの投票者がクリントン大統領候補に投票した。
市民にとって今回の敗北は言うまでもなく大きなショックだった。言葉もなくニュースを眺め、鈍い恐怖と非現実の感覚の中、息苦しい1日、2日が過ぎていったと感じた人は多いだろう。
そんな中、14ストリートのL・F・M線と7アベニューの1・2・3番線をつなぐ長い地下通路と、ユニオンスクエア駅構内にカラフルな壁が現れた。行き交う人がそれぞれの思いをポストイットにつづり、壁に貼っていく。”レヴィー”というアーティスト名で活動しているマシュー・チャベスによるプロジェクト「Subway Therapy」だ。
もちろん実際チャベスはセラピストではない。突っ込むと「I’m just a dude!(僕はただの男だよ)」と気さくに答える。「levee(レヴィー)」とは、「堤防」のことで、チャベスが目指しているのは人々の抱える感情が溢れかえる前にはけ口を作り、ストレスを軽減することだ。実は地下鉄の通行者から秘密を受け取るというパフォーマンス作品から始まった「Subway Therapy」は6ヶ月も前から続いている。ポストイットを使った壁は選挙翌日の水曜日から続いている。
荒れたイメージの「サブウェイ(地下鉄)」と「セラピー(癒し、治療)」という相反する2つのものを掛け合わせた「Subway Therapy」という言葉だが、不思議としっくり来るものがある。毎日忙しく人々が行き交うサブウェイはニューヨーカーの日常の大きな部分を占めている。泣いたり笑ったり、絶望したり、思いにふけったり。ニューヨーカーならパーソナルな時間を過ごした経験があり、特別な意味を持つサブウェイという場所での「セラピー」。これは意外にも親密で、自然なアイデアではないだろうか。
選挙から10日近く経っても、立ち止まる人は絶えない。メッセージを残していったり、壁を眺めていく通行者のほとんどは穏やかで、メッセージの大半はポジティブなものだ。チャベスは、壁は選挙に対する反動ではなく、個人の思いを表現する場所だという。「自分(が綴る)のは愛のメッセージか、憎しみのメッセージか。どちらであろうと僕が批評するわけではないけれど、考えて欲しい。世界はまさに今、この壁を見ているんだから」私自身書いてみて、このシンプルな行為を通して行き場のなかった思いが形になり、心が少し軽くなるのが分かった。
グラフィティやパフォーマンス、MTAアートから9.11メモリアルまで、ニューヨークのサブウェイはいつも様々な表現の場となってきた。 また、世界恐慌の時も、第二次世界大戦の時も、ベトナム戦争のときも、9.11のときも、サブウェイはここにあったのだ。街の記憶が呼び起こされ、一帯感が生まれる。予告なしに電車が止まったり、空調や電気が壊れていたりするニューヨークのサブウェイだが、こんな時はいつもセラピーがわりになっていてくれたのかもしれない。
Illustrator,Writer
リース恵実
京都で生まれ育ち、2008年より主にブルックリンを拠点に活動している。著書に「ビール語辞典」(誠文堂新光社)がある。
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