努力すれば、未来の選択肢はどんどん広がります
―― 幼い頃から、星空を身近に感じる環境で育ったのですよね?
油井亀美也 長野県の川上村という小さな村のレタス農家で育ちました。レタス農家の朝は早くて、深夜の2時にはもう作業開始です。休憩時に空を見上げると満天の星が瞬いていて、「宇宙は果てしなく広いんだろうな」「自分ってすごくちっぽけなんだろうな」「宇宙の謎を解き明かそうとする人間ってすごいよな」などと思いを巡らせていました。天体望遠鏡を手に入れてから、さらに宇宙の成り立ちや仕組みに夢中になって…。小学校3、4年で天文学者か宇宙飛行士になろうと決めて、卒業文集には「火星に行きたい」と書いていました。
―― その後は防衛大、航空自衛隊という進路を選んでらっしゃいます。
油井亀美也 防衛大に進学したのは、経済的な理由からでした。当時は自衛官から宇宙飛行士に進んだ例がなくて「ああ、夢は閉ざされたな」とすごく落ち込んでいたんです。
―― 一度は夢を諦めたんですね。
油井亀美也 でも防衛大にすばらしい先輩がいて、こう言われたんです。「目標を失って悩んでるのはわかるけど、今やるべき訓練と勉強は悩みながらでも続けるべき。がんばった分だけ未来の選択肢は広がるし、何もしないとその選択肢すらなくなる」と。本当にそのとおりで、パイロットになるのか飛行のための天気予報を行う気象幹部になるのか、パイロットでもテストパイロットなのか戦闘機パイロットなのか。最終的には、ふたつとも自分の夢だった「宇宙飛行士」か「テストパイロットの飛行隊長」か、どちらも選べる状況にまで立てたんです。目の前のことに必死に取り組んだ結果だと思いますね。
―― なれないとわかっていても、どこかで諦めていなかった。
油井亀美也 とはいえ、ずっと長い間、宇宙飛行士が見えない時期は続きました。それが、パイロットになる為に訓練を受けていた時期に映画『ライトスタッフ』を見て、ひと筋の光が見えたんです。そこで描かれていたのは、テストパイロットから宇宙飛行士を選んでいたというアメリカの歴史。その後、僕はテストパイロットの道へ進むわけですが、妻に「なぜそんな危険な仕事をするのか」と聞かれ、その歴史を話して「自分は宇宙飛行士になりたい。これはそのステップなんだ」と説明したんです。
―― その数年後、宇宙飛行士の募集を教えてくれたのは、その奥様なんですよね?
油井亀美也 妻がその話をずっと覚えていてくれて、「募集しているよ」と。ただ僕は自衛隊の仲間を裏切る気がして迷っていました。でも「チャレンジせずに諦めるのは違う」と、彼女が願書をプリントし、健康診断の予約を取りつけてくれて。そんな妻はもちろん、当時の上司や仲間の応援なしに今の僕はありえない。だからこそ、ほかの人の役に立ちたいという気持ちが強くありますね。
大きな不安ほど、克服すると大きな自信になる
―― そして見事2009年に宇宙飛行士訓練生となり、2011年に宇宙飛行士と認定され、2012年、3年後の宇宙ステーションの滞在が決定。振り返ると順調にも見えますが、実際に宇宙へ旅立つまでに、約6年もの年月をずっと訓練で過ごしてらっしゃいます。どんな気持ちでいたのでしょうか。
油井亀美也 2年間の訓練期間を終えて、宇宙飛行士と認定されても、宇宙滞在が決まるまでは不安です。またISS長期滞在滞在クルーとして任命されても、健康診断でひっかかれば即NG。先が見えない不安は常にありましたね。ただ、やるだけやれば自ずと結果は出る。そう信じて日々の訓練に集中すると、見えてくるものがあったんですよ。
―― というのは?
油井亀美也 「この訓練自体が本当にいい経験だ」と思えるようになったんです。もちろん宇宙にはどうしても行きたいけど、万が一行けなかったとしても、今、すごく貴重な経験をしているし、自分が成長しているのがわかるし、何よりすばらしい仲間との出会いそのものに感謝するようになったんです。
―― そして2015年5月、ようやく宇宙へ出発! のはずが、事故の原因究明のため、打ち上げが延期になりました。そのときの気持ちはいかがでしたか?
油井亀美也 もちろん残念な気持ちはありました。その分ミッション期間が短くなったし、自分が高めてきたモチベーションを持ち直すのも大変でした。でもすぐに「これは与えられた時間だ」とリセットして次の行動をスタートさせましたね。ミッション成功のためには、地上で支えてくれる人々とのコミュニケーションがキーだと思っていたので、彼ら彼女らに会いに行き、さらに信頼関係を深めました。また、もっと自信をつけるために追加訓練もお願いしました。家族には「失敗したことで、アメリカ、ロシア、日本がさらに安全確認をする。ということは、次の打ち上げは世界で一番安全な打ち上げなんだ」と説明しました。すべては解釈次第なんです。
―― 事実は変わらないから、解釈を変える。
油井亀美也 状況を積極的に解釈する、というのは訓練の賜物かもしれません。テストパイロット時代、機種の性能限界を少しずつ広げていくことに携わっていました。要は未知の世界を少しずつ既知の世界に変えていったあの経験が、今も生かされているのかもしれないなとは思います。
―― そして7月、本番を迎えます。その乗り込み時もすごく冷静だったとか。
油井亀美也 あまりに脈拍が変わらないのでドクターも驚いてましたね。でもそうやって安心できるぐらい訓練を重ねてきたんですよ。やっぱり、努力したことは絶対に裏切らないですから。不安って誰もが持っている。私もそうです。いきなり宇宙に行けと言われたら不安ですけど、不安には原因があって、それを突き詰めて取り除く。その作業をひとつひとつやる。すると不安だった分だけ自信に変わる。そういうものではないでしょうか。
宇宙ステーションはアイディアの宝庫です
―― そしていよいよ! 宇宙という空間に飛び出したときは、どう感じるものなのですか?
油井亀美也 まず、あまりに地球がきれいすぎて言葉にならなかったですね。さらに、地球が目の前に大きく見える一方で、地球をうっすらと包む青い部分が大気で、それが空気で、その下にしか人間は住めないのかと思うと、ベールのように薄い薄い大気を目のあたりにして、地球がすごく壊れやすいもののように感じました。素直に「もっと大切にしないといけない」という思いがあふれてきました。
―― “地球愛”のようなものが芽生えるのでしょうか。
油井亀美也 一方で、科学技術を駆使した宇宙ステーションでの暮らしを経験して、水も空気もリサイクルして、電気も太陽発電でまかなうこの場所での技術をもっと活用すれば、地球を守れるんじゃないかと考えたりもしました。
―― 「こうすれば」「こうしたら」というアイディアがあふれてきそうです。
油井亀美也 また、地球上では摩擦を起こしている国同士の飛行士だとしても、宇宙上では国境など関係ありませんから、お互いの技術を提供し、命を預けて仕事をするのが当たり前。それを見ながら、ここと同じことが地球上でもできれば、世界はもっと平和になるのにと感じたりもしました。
―― そう考えると宇宙ステーションって、理想の空間なんですね。
油井亀美也 それぞれに遂行任務責任があって、誰が見ていようがいまいが責任を果たさないと、自分を含めた全員の命が危ないという厳しい世界です。そのために何が重要かというと、お互いを尊重し合うこと、信頼し合うこと、なんですよね。宇宙ステーションではそれができるのに地球に戻るとできなくなる…。単純に不思議だなと感じていました。
―― 確かにそうです。なぜなのでしょうか?
油井亀美也 やっぱり甘えがあるんじゃないかなと思います。地球はなんでも許してくれる、という。何を捨てても燃やしても、歪みがあってもどうにかなる、明日は来る。そう考えると、宇宙ステーションは甘くない。やはり厳しい世界なんですよね。
失敗は早く報告する。それが信頼につながります
―― 滞在中、「こうのとり」のキャプチャという大役も見事に果たされましたね。
油井亀美也 「こうのとり」の中には宇宙ステーションで必要な物資が入っているんです。水の再生フィルタなどの最重要アイテムをはじめ、僕の場合は体を洗う石けんや綿棒、ある飛行士からは「俺のコーヒーが入ってるんだぞー」と言われたりして、さすがに緊張しましたね。
―― プレッシャーが大きい分、成功した喜びは大きいですよね。
油井亀美也 地上のチームがすごく上手に「こうのとり」をコントロールしてくれたんですよ。アメリカにいる若田さんも、日本語を交えたジョークでリラックスさせてくれて。みんなで協力するとここまで大きいことができるんだと実感したし、任務を遂行したことで周囲からの信頼度が増したのもうれしかった。大きな喜びとともに、正直ほっとしたのもありますね。誰だって失敗は怖いですから。
―― ちなみに…宇宙ステーションで失敗したことってあるんですか?
油井亀美也 小さな失敗はね、ありますよ。宇宙飛行士は失敗しないと思われているかもしれないけれど、そんなことはありません。ただ、そこで大事なのは早く正直に言うことです。悪い報告ほど早く上げるべき。いい報告はあとでいいから(笑)。
―― うーん、言えるかな…。失敗は隠してしまいそうです。
油井亀美也 勇気はいるかもしれないけど、「失敗しました」「助けてください」は、ぜひ言うようにしてください。なぜかというと、そうすることで、周囲のあなたへの信頼度も増すからなんです。
宇宙服に備わるのは“機能美”という美しさ
―― 少し話を変えて、ファッションについて教えていただきたいのですが、せっかく油井さんにお話を聞けるので、今日は宇宙服についてお聞きしたいと思っているんです。
油井亀美也 いわゆる宇宙服となると、いろんなタイプがあります。ソユーズに乗り込むときの宇宙服はけっこう簡易的なもの。つくりも単純だし、長く使えるものではありません。一方、船外活動をするときの宇宙服は、二酸化炭素を取り除いたり、熱をコントロールしたり、気圧を保ったりなど、小さいながらも宇宙船と同じ機能を備えています。
―― 服を着るというより、小さな宇宙船に乗り込むという感じなんですね。
油井亀美也 そして、気圧がある宇宙ステーションのなかでは、今日のような洋服を着ています。これらはね、本当に多機能&高機能。いわゆる“機能美”を備えているのが宇宙服なんです。
まず、必要なところにマジックテープがついています。自分の道具や物がフワフワ浮いてどこかへ行ってしまわないよう、必要なものをそばに置いておくのにマジックテープはマストです。そしてテザーという紐も必需品。大切なものは服とテザーでつないでおけば、なくなることはない。これに慣れてから、地球上でも携帯電話には必ずテザーをつけるようになりました。服と話が離れますが、アラーム機能があるものは、必ず一日一回鳴るようにセット。どこにあるのか把握できるし、なくしたときもその音を頼りに探せばいいのでおすすめです。
―― なるほど。すべて「地球でいかせる宇宙の知恵」ですね。
油井亀美也 よく使うものとそうでないものを分けて、どのポケットに何を入れるのか決めたりなど、頭を働かせて洋服を使いこなす感じですよね。特にロシア製は、宇宙開発の歴史が古いだけあって、中身がひと目でわかるメッシュポケットがあったり、内腿にテザー付きの細長いポケットがあって爪切りなどの多機能ナイフが入れられたり、すごくよくできています。そうそう、腰回りにチャックがあるので、全部脱がなくてもトイレに行けるのがすごく便利!
―― ちなみに…重力がないということは、物をなくして探しまわっている人とかもいるのですか?
油井亀美也 ちょこちょこいます(笑)。「俺の道具、見なかった?」なんてよく聞かれますから。僕も、なくしたらすぐに言います。で、みんなで探します。見つけた人も、なくしたことを申告した人も信頼されるのが宇宙。おもしろいですよね。
「亀」の如く、一歩一歩、確実に遠くへ
―― この先、人間と地球と宇宙はどうなっていくと思いますか?
油井亀美也 どんどん身近になっていくと思います。アメリカの民間会社が宇宙旅行を提供すべく、ロケット開発を進めているのは有名な話ですよね。多くの人に宇宙から地球を眺めてもらって、地球はこんなに美しくて、こんなに小さい星なんだって実感してほしいですね。
―― いざ俯瞰で見たら、どんな気持ちがするのかすごく楽しみです。
油井亀美也 そういえば、こんなことがありました。ある日、宇宙ステーションからイギリス上空の写真を撮ろうと思い、そのときはアメリカ上空だったので「大西洋を渡る間に」とコーヒーを飲んでひと息ついたんですよ。「さて」と地球を見たら、もうとっくにイギリスを通り過ぎていて、心底驚きました。
―― は、はやっ!
油井亀美也 たぶん最初に海外旅行に行った人は、目的地にたどり着いても「信じられない」って思ったと思うんですよ。「何十時間か前はあそこにいたのに」って。僕も宇宙ステーションから、地球が90分で一周してしまうのを眺めながら、同じような感覚に陥りました。すると「地球は本当に小さい」と実感するようになるんですよね。
―― 今年6月には、同期の大西卓哉さんの宇宙ステーション滞在も決まっています。
油井亀美也 宇宙から帰ってきた僕が今すべきことは、彼らのサポートです。こうのとりについても、「あそこにマジックテープを」とか「ここに捕まる手すりをつけて」とか、実際に使った人間だからこその気づきを伝えています。そうすることで大西さんも成功し、「こうのとり」も進化し、僕も信頼される。すると、次の機会や目標も見えてくるんじゃないかと。すべてが循環なんですよね。
―― 今年、46歳を迎えました。
油井亀美也 さらにチャレンジを続けたいですね。簡単な道と困難な道があれば、当然険しい道を選んで、もっと遠くまで行きたい。そのために、今やるべきことをしっかりやる。宇宙でもよく言うんですよ。「今やっていること以上に大切なことはない」って。目の前のことをひとつひとつやる。成果はすぐには出ない。でも努力すれば不思議と叶う。そうやって「人事を尽くして天命を待つ」が僕の人生の成功セオリー。ほら「名は体を表す」ですよ。私の名前には「亀」がついてますからね。