「観た後に何も残らない」のが理想
―― 映画『TOO YOUNG TO DIE! 若くして死ぬ』を公開前に拝見させていだきました。エネルギーを吸い取られたというか…、私の場合は「圧倒されました」という一言に尽きます。そこでまずお伺いしたいのが、宮藤さんは観客の人に何を感じてもらいたいと思って、創作しているのでしょうか?
宮藤官九郎 映画に関していえば、観た後に何も残らないというか。電気がついたら終わり、というのがベストなんですよね。余韻はあってもいいけれど、「最後はスッキリ終わりたい」ということは、脚本を書いているときに考えています。
―― なるほど!
宮藤官九郎 舞台の話になりますが、昨年、大人計画の劇団員だけでなんのメッセージもないコントを上演したときに(宮藤さんが脚本と演出を手掛ける「ウーマンリブ」シリーズ第13弾、『七年ぶりの恋人』)、観に来てくれた人が「何をやったか覚えていないぐらい笑いました」と言ってくれて。僕にとってはそういう反応がいちばんの理想的といいますか。「覚えていないけれど、面白かった」という言葉のなかに、こっちが相手を十分に楽しませることができたんだ、という手ごたえを感じました。
―― 記憶に残ったシーンを挙げられるよりも、ということですね。
宮藤官九郎 はい。その言葉で気が付きました。観終わってから「あのシーンがよかった」とか「あれはどういう意味?」とか言われているうちは、まだまだなんだな、と。「何をやったか覚えていないわ!」というぐらい“詰まっているもの”をつくることが理想ですね。今回の映画もそれに近いものができたと思っています。
ハッピーエンドにこだわる意外な理由
―― 今回の映画もそうですが、宮藤さんの作品はハッピーエンドが基本ですね。それも、「観終わってスッキリ!」という志向に通じるのですか?
宮藤官九郎 それは……僕の性格にもよるのかもしれません。(自身が手がけた、もしくは出演している)映画や舞台が終わった後で、人からああだこうだ言われるのが好きじゃないんです。
―― そこが関係してくるんですか?
宮藤官九郎 相手は「感想、言わなきゃ」って思ってくれているんでしょうけれど。こっちとしては、「終わっているから。いいんじゃない、もう」という気持ちもあって。でき上がったものに対して、あれこれ聞かれても、性格的になるべく言いたくない。そうなると、「言われなくても済むようなもの」をつくりがちですね(苦笑い)。
―― そう言われると、『あまちゃん』(NHK連続テレビ小説)しかり、これまでの作品も誰もが納得できるエンディングになっていますね。
宮藤官九郎 ひとつの作品をつくったら、そこで完結させたい。物語の世界はある時間になったら消える。自分とは関わりがなくなるけれど、登場人物の生活は作品のなかで続いていく…といったところで自分は「切りたい」んです。今回の映画も、そういう終わり方にしたいという思いがありました。
―― はい、観ているほうが照れるほどに映画らしい終わり方でした。これから観る方のお楽しみのために言いませんけれど、スカッと気持ちのいいエンディングで。
宮藤官九郎 そうなんです。逆に言えば、ラストシーンで誰もがわかる画が撮れたので、あとは自分の好きなようにしたらいいな、と。それでほかのところは遊ばせてもらいました。
小さく“まとまっちゃう”のはイヤ
―― 今のお話にあったように、「言いたいことを書いたら、あとは遊ばせて」という発想で脚本を書いているのですか?
宮藤官九郎 違いますね。自分のやりたいことを全部入れたうえで、「一貫して何か言っているらしい、この作品は」というぐらいのつくり方でいいかな、と思っているんです。
―― メッセージ性は強く打ち出さない?
宮藤官九郎 自分の言いたいことがあるなら言えばいいんですよ。でもそれを言うために作品を作るのは、不純な気がするんですよね。画面を通して「こういうことが言いたいんだ」というより「俺はこれがやりたかった、意味はそっちで考えて!」という方が表現として健全な気がします。
―― ということは、宮藤さんは脚本を書くときに作品テーマは掲げないのですか?
宮藤官九郎 ないです。
―― 大人が集まる会議などで、コンセプトを求められたりしませんか?
宮藤官九郎 それは僕は考えなくていいかな。映画を売り込む人やプロデューサーさんが考えてくれればいいわけで。コンセプトを掲げることから始めちゃうと、小さくまとまっちゃうんですよ。
―― それは宮藤さんとしてはイヤなんですね
宮藤官九郎 そうですね。今回の映画を例にして説明すると、「高校生がひとりだけ地獄に落ちちゃって。そこに鬼がいて、その鬼にいじめられるって面白いじゃん!」ということが最初にあったんです。「これ、面白いかも」という発想からつくり始めて、映画タイトルにもなっている『TOO YOUNG TO DIE!』がそのまま伝えたいことでもあるのですが、それが薄っすらと見えてくればいいかな。その方がつくり方として誠実な気がするんですよね。
20年以上のキャリアを重ねて思うこと
―― 宮藤さんがエンターテイメントの世界に入るきっかけは、「お笑い」に興味があったからだそうですが、20年以上この世界に身を置いてみて、意識の変化はありますか?
宮藤官九郎 本質はまったく変わっていないと思います。過去の作品を振り返ると、その都度作品に向かっていた気持ちの違いがあると思うけれど、多くの人に「変わらない」と言われるので、「根本は変わらないんだな」と。
―― 観てくれる人には笑ってほしいし、ある時間だけ違う世界に行ける、その時間を人に提供したいという?
宮藤官九郎 子どものころから面白いことを考えて、人を喜ばせることが好きなだけなんですよ。その快感が今、仕事になっている。そこはこの仕事を始めたときから何も変わっていないかな。それが続いているのは幸せなことだな、と思います。
―― 笑う側から見れば、驚いたり、しみじみしたりと、笑う理由もさまざまですが…。
宮藤官九郎 僕の場合は、「びっくりさせたい」がいちばん大きいかもしれませんね。そのびっくりしてもらう中に、細かく感情の揺さぶりをつくりたい。ここは「切ない気持ちになってもらいたい」「ここはでも笑ってほしい」とか。自分の作品をつくる上でいちばん大事にしていることです。
―― そういう気持ちで脚本を書かれているとは!
宮藤官九郎 同じシーンで笑う人もいれば、泣く人もいるというのが理想なんです。もともと僕は舞台で芝居をすることからこの世界に入ったのですが、舞台をやっているとどんなにウケているときでも、笑っていない人が100人の中に5人ぐらいいるわけですよ。
―― そうなんですか?!
宮藤官九郎 「いま笑わなかった5人は、次は反応するはずだ」というのが僕にとっての希望なんです。次にその5人が笑ってくれても、「あそこの5人が笑ってなかった!」って(笑)。演劇を初めた頃から気になっていて。だから、いまでも常に「全員が笑っているわけじゃないぞ」って言い聞かせています。だからかな、一話の中に観る人の感情が動くように、いろいろ入れたくなっちゃう。そこは貪欲ですね。
―― いわゆる“万人ウケ”は目指さない宮藤さんの作風はそこからくるのですね。
宮藤官九郎 僕が面白いと思って全力でやったところで、すべての人に伝わることではないってことが、面白い。歳をとってそう思えるようになりましたね。笑ってくれた95人を次も笑わせることに目を向ければ、毎回同じことをすればいいわけで。「5人笑っていなかった」という現実があるから、新しい作品を生む原動力にもなります。
―― だからこそここまで続けることができた、とも言えますね。
宮藤官九郎 過去に成功したものとか、評価の高かったものをプレッシャーに感じないように、そこから逃げるというか、うまくかわしているのかもしれません。30歳を過ぎたころから、周囲の重圧とか期待はどうでもよくなったんですよ。「前の作品がいくら評価されたっていっても、それを嫌いな人もいるんだから」と思うように気持ちを切り替えました。
創作には“ひらめき”が不可欠です
―― それだけ純粋な気持ちで脚本に向かわれていることに尊敬しますが、その分「ひらめき」がとても大事になってきますね?
宮藤官九郎 「きた!」「これはいける!」という瞬間がいまもあるんですよね。この先、新しいものをまだまだつくらなくてはいけないと考えると、この衝動は薄れていくのかな、と思うときもありますが…。締め切りまでに納品できるような仕事のやり方をそろそろ身に付けなくては、とは思っています。
―― “大人の割り切り”みたいな仕事のやり方は先延ばしに?
宮藤官九郎 うーん…しなきゃ、しなきゃと思いながらこの先もしないかな。「過去の経験」を基準に仕事をしていくことになりますよね? それはやっぱり不純だな。観てくれる人は初めて僕の作品に触れるのだから、自分も同じ気持ちでつくらないと。そう思います。
―― いまもひらめきが降ってくる瞬間を待っているんですね。
宮藤官九郎 何日かかっても書けない。「わー、これは無理だわ」ってところから奇跡的に一日で書けたとか、そんな経験は僕だけでなく、書き手ならみなさんにあると思います。これは僕のジンクスになっているのですが、手でキーボードを叩くのが追いつかないほどセリフが先に走るというか、頭が手を追い越す瞬間がやってくるときがあるんです。そうやって生まれた作品は、後で読み返してもパワーがあるんですね。
ファッションポリシーも「記憶に残らない服装」
―― 最後に、宮藤さんの服装に関してもお伺いします。ずっと印象が変わらない宮藤さんですが、年齢を重ねて着こなしに変化はありましたか?
宮藤官九郎 ここにきて、若作りしているように見えるのだけはイヤだな、と思うようになりました。といっても、20歳のときから着ているものをいまでも着ているんだから、若作りに見えても当たり前なんですけどね(笑)。でも気に入っているし、気持ちは若いから「まだいいや、これで」ってなっちゃう。いま45歳なんですけど、自分が大人になったらもうちょっと服装が変わると思っていました。なんでそうならないんだ? と考えたら、ちゃんとした洋服を着ていく場が僕は好きじゃなかった。娘の幼稚園の入園式に向けてスーツを買ったのですが、結局、着ない。人間的に成長しないから、洋服も成長しない…。
―― パンクコントバンド「グループ魂」でも活動されていますが、いわゆるバンドマンの格好もされませんね?
宮藤官九郎 しませんね。今日一日、一緒にいたけれど何を着ていたか全然思い出せない、っていうのがいちばんその人に合うファッションなんだと思いますよ。「変な靴履いてたなー、アイツ」って思われたらダメじゃないかな(笑)。
―― 洋服は奥様が買ってきたものを着ているというお話がありますが。
宮藤官九郎 はい。自分のセンスに自信がないし、ヘンにこだわっているのかもしれません。たまに自分で洋服を買いにいくと、ものすごく時間がかかるんですよ。すごく迷うということは、人の眼を気にしているんでしょうね。「洋服を褒められたということは、これを選んだ自分が褒められているのか?」みたいに考え過ぎちゃう。だから、人からもらった洋服を着ているほうが気がラクなんです。洋服はもらいものがいちばん好きだし、それが自分に似合っているものなんだと思います(大笑い)。
- 今月のトラディショナル スタイル
- 宮藤官九郎(くどうかんくろう)さん
- 1970年宮城県生まれ。脚本家・監督・俳優。’91年より松尾スズキ主宰の「大人計画」に参加。『ウーマンリブ』シリーズでは作・演出を手掛ける。映画『GO』(’01年)で日本アカデミー賞最優秀脚本賞、読売文学賞(戯曲・シナリオ賞)ほか、『うぬぼれ刑事』(’10年)で向田邦子賞を受賞。最近の脚本作に、ドラマ『あまちゃん』(’13年)、『ごめんね青春!』(’14年)、『ゆとりですがなにか』(’16年)、映画『謝罪の王様』(’13年)、『土竜の唄』(’14年)などがある。映画監督としては’05年『真夜中の弥次さん喜多さん』で監督デビューし、2005年度新藤兼人賞金賞受賞。’09年『少年メリケンサック』、’13年『中学生円山』を発表。第4作となる『TOO YOUNG TO DIE! 若くして死ぬ』が6月25日から公開。
パンクコントバンド「グループ魂」のギター“暴動”としても活動中。
- 映画『TOO YOUNG TO DIE!若くして死ぬ』
- 2016年6月25日(土)より公開