Vol.51 トラッドな春夏スーツ服地の知識を蓄えれば仕事も快適にこなせる。
サマースーツの定番服地となるウールトロについて、ニューヨーカーのチーフデザイナーの声と共にその特徴を予習。今シーズンのス...
NEWYORK LIVES
初めてニューヨークのケネディ空港に到着した時は、頭がかなりもうろうとして疲れていた。一番安いチケットで来たので、2回乗り換えて24時間の空路だった。
想像していたきらびやかな空間ではまったくなかった。建物内の照明は暗くペンキがあちらこちら剥げていた。
たくさんの異人種の人たちが様々な服を着ていて(Tシャツからダウンジャケットまで)初冬の感覚が微妙にぶれて軽く違和感のある景色の中、スーツケースを積んだカートを押していった。映画の画面に入り込んだような不思議な感じだった。以前に西海岸に訪れた経験があったが、その時の明るい感じとは違ってまるで異星に来たような感覚があった。
みんなが歩く方向につられるように歩きながら疲労困憊の頭で友人の顔を探した。
その時はショートステイのつもりだった。まさかこの街で音楽をはじめ、ミュージシャンとして生きていくことにはなるとはまったく夢にも思っていなかった。でも今から思うと、私の運命は空港に降り立った瞬間から始まっていたようだ。
友人の顔が見つかった。これから彼らの家に向かって、お茶でも飲みながらおしゃべりして、床に就く時間が近づいた気がしてホッとした。
ところが彼は、少し申し訳なさそうにこう言ったのだ。
「僕たち最近バンドを始めたんだけど、実は今日から『エレクトリックレディ』という有名なスタジオで、リハーサルをレコーディングさせてくれることになったんだ。だからこの足でそこに行って今晩中にセットアップしなくちゃいけないんだ。疲れていて悪いとは思うけど、これはなかなかない大きなことなんだ。大丈夫かな?いい?どうしても疲れているなら家に先に送っていくけど」と。
『エレクトリックレディ』がジミ・ヘンドリックスの関わったスタジオだということは知っていた。それは私がどんなに疲れていたとしても、簡単に否とは言えない特別な状況だということは察することができた。
「OK。スタジオに一緒に行く」と言った。それがキーワードとなったように、そこからニューヨークの新しい扉が開いていった。
スタジオに着いて一番最初に紹介されたのは、クリス・ロード・アルジというU2やBON JOVIのアルバム制作で知られている有名なエンジニアだった。
「着いたばっかりで疲れているでしょう。ラウンジで横になって休んでいていいよ」と言ってくれた。その時はもう、この宇宙船の操縦室のように機材がいっぱい点灯している部屋を見て、眠気も疲れも全て忘れてしまっていた。邪魔にならないようにスタジオの隅の椅子に座らせてもらって、ずっと彼らの作業を何時間も眺めていた。
それから10日間、毎日続けてスタジオに通い、丸一日よくわからない英語を聞きながら、今まで見たことのない世界を見学させてもらった。そのスタジオで見た込み入った制作光景、制作者たちからあふれでる熱情は強い磁力を持って私の記憶に印象を残した。 彼らのやっていることも言っていることもほとんどわからないまま、何か熱いものがどんどん私の中に入ってきた。
この作業を見よう見まねで家で始めたところから、私のミュージシャンとしての第一歩が始まった。いわゆる「宅録」というものである。ニューヨークで始めたのだけれど、「宅録」に使うような機材は日本製品に優れているものが多くて、マニュアルも日本語で手に入った。当時はテレビも英語が全然わからず、暇つぶしのようにマニュアルを読みまくっていた。
ミュージシャンやエンジニアになるという発想はまだなかった。自分の周りはバリバリのジャズミュージシャンばっかりで、駆け出しの自分の居場所が音楽界にあるとはまったく思えなかった。
ところがこういう演奏の上手なミュージシャンに限って、「宅録」で使うような機材の使い方が苦手なようだった。そこから友人の音楽制作を手伝ったりするようになり、どんどん音楽制作の世界に引き込まれていった。
こうやって、軽い気持ちで訪れたこの街で思いがけない展開にでくわして、今に至るまで住み続け、音楽ばかりの生活をし、しかもそれ以外の自分は考えられないところまでやってきた。人生は先が読めない。その未知さの中に、私の音楽への道のインビテーションがあった。旅はしてみるものだ。
Musician
本田ゆか
ニューヨークを拠点に活動している日本人音楽プロデューサー/ミュージシャン。ニューヨークで出会った羽鳥美保とチボマットというバンドを1994年に立ち上げ現在に至る。チボマットのほか、ショーン・レノン、マーサ・ウェインライト、オノ・ヨーコ・プラスチック・オノ・バンドなどのアルバムのプロデュースに関わっている。(撮影:Nathan West)
阿部好世「ひとつひとつ積み重ねた、今の自分に繋がる大事な街」(1999.12〜2001.8)
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