知りたいことにまっしぐら! ヤマザキさんの美の秘訣
――ヤマザキさんが漫画家デビューされたのは30歳のときですが、その前は17歳からずっとイタリアで暮らしていたんですよね?
14歳でパリをひとり旅したときに、イタリア人の陶芸家でマルコというお爺さんと知り合って。まぁ、彼は私を家出娘と勘違いしたわけなんですが、以来、母親と彼が連絡を取り合うようになりまして。高校に入って「翻訳家になるのもいいし、イギリスあたりに留学でも……」と考えていたら、母が彼から「他の人間がしゃべることを訳す仕事なんてつまらん。あのころ勉強していた絵はどうした、イタリアに来い」と言われたようで。で、母も「じゃ、行くしかないわね、イタリア」と。
――す、すごい流れですね。
「行けばなんとかなるわよ」と母。そこで「じゃ、行ってきます」っていう自分もヘンなんですけど(笑)。
――そこではもちろん恋愛も。
フィレンツェの美術学校に通い、油絵や美術史を学んでいたのですが、自称・詩人という、生活能力のない男性と出会い、10年ほどお付き合いしました。そこでイタリアの政治や文化が一気に身近になりましたね。彼は文壇とも関わりがあって、作家の大先生から「キミは日本から来ているのか。ミシマ、カワバタ、タニザキ……だれのどんなところがキミの琴線に触れるの?」なんてことを聞かれるわけです。
――うわ……どんな対応を?
「いや……知りません」とは言えないので(笑)、日本から大量に送ってもらって、一気に読みましたよ。10代の若い脳にはスイスイと入っていっていきました。
マンガを描き始めたのは、生活のため。
――20代の後半には、妊娠、出産も。
妊娠がわかって、その詩人の彼には別れを告げました。だって、詩人とはちがって世の中が何かも判っていない完全に無防備な存在が登場するわけですから、共倒れするわけにいかない。そこでですね、マンガを描き始めたのは。
――稼ぐために、ですね? とはいえ、何をきっかけに?
通っていた美術学校で、マンガ好きのオタクがいたんですよ。彼が「マリは文章も書くし、細密画も描くのに、なぜマンガをやらないのか」と。
――それまでに描いたことはあったんですか?
いえいえ。ただ、美術学校にいた日本人留学生から、つげ義春さんのマンガや、シュールな作品が多く掲載されていた漫画誌「ガロ」をもらって、ハマってはいました。小中学生時代、パルコ出版から出ていた「ビックリハウス」が大好きで投稿までしていたぐらいですから、サブカル的なものへの思い入れは強くて、それらを参考に描き始めたんです。
――「ビックリハウス」、さきほど懐かしそうにご覧になっていましたね。最初はどんな作品を?
ブラジルを舞台にした、ブラジル人しか出てこない、ブラジル音楽のマンガです。
――イタリアでも日本でもない!
いちばんわけがわからなかったのは、それが送られてきた講談社の編集者でしょうね。「なんだ、こいつ」と。それで目を付けられて、フィレンツェのルポルタージュマンガを依頼されて、デビューに至るわけです。
多少変人だけど一緒にいると楽しそう(笑)。で、結婚。
――その後、一度日本に戻られますね。
そのときちょうど、空前のイタリアブームだったんですよ。日本イタリア協会の事務局をやり、大学でイタリア語やイタリア美術を教え、加えて旅番組のレポーターまで。「ヤマザキマリの週末はイタリアン」なんていう料理番組もやってましたよ。ガス台にこぼれた具材を拾ってフライパンに入れちゃうラフさが主婦にウケてたんですから。収入を得るためでしたが、すごく楽しんでいました。
――その後、今のご主人と出会うわけですが……。
母が、マルコ爺さんの娘夫婦のところに行くから一緒に行こうと。そのときに彼の孫の話が出て「とにかく変な子なの」と言うんです。「クラシック音楽を聞いただけでオーケストラと指揮者の名前までわかる」とか「ローマ皇帝のみならず教皇の名前まですべて言える」とか「高校を飛び級して16歳で大学に入った」とか。
――そ、それはすごい!
いや、確かにすごいんですけど、となると友達がいない(笑)。たまたま私は美術史もやっていたし、本も読んでいたから、事実、話が合ったんですが、それから彼のほうが「ボクにはマリしかいない」状態に。毎日お手紙が来て、出会って3か月後に、電話で「結婚してください」と言われました。
――ヤマザキさんが34歳、ご主人が20歳……。
そして息子が6歳。どんな家族を構成すればいいんだか、ですよね。でも、共同生活者としておもしろいことを提供してくれそう、そうしたら私も触発されて創作欲がわくだろうな、単純にそれっていいなと思ったんです。経済力とか出産を結婚に求めていなかったので、それは普通の人とは視点が違うかもしれません。
まだまだ知りたいことが多すぎるんです。
――それからは、家族でエジプト、シリア、リスボン、シカゴ、そして今またイタリアへ。怒濤の移動生活に見えます。
でも私にとってはこれが日常、至って普通。ある程度住んでしまうと、もっと視野を広げたくなってしまう性質なんですね。子供のころから、探究心と分析癖がものすごくて、いつも鼻息が荒いから、あだ名は「馬子」。授業で蘇我馬子が出てきたとき、みんな私を振り返るという(笑)。とにかくつねに情報が入ってきて脳で処理されて、私の考え方と化学変化を起こしていないと気持ちが悪いんですよ。
――それは今後、年齢を重ねても変わらなそうですか?
うん、変われないと思います。今まで、体力的な面で年齢を感じたことは合っても、精神面では意識したことがないんですよ。いつも言っているのは、体はしょせん”肉の袋”。そこに執着しても仕方がないかなーと。肉の袋は老化したとしても、脳に刺激を与えて新陳代謝を促して、そっちで若さを保っていることのほうが、重要に思えるので。
ビル・カニンガムの女性版を目指したい。
――ちなみに、話は変わりますが、このインタビューのタイトルは「美人白書」というのですが……。
そんなインタビューで”肉の袋”とか、発言しちゃってますけど……(笑)。
――いえいえ、見事な表現です! だからこそぜひ聞いてみたかったのが、ヤマザキさんにとっての「美人な男、美人な女」なのですが。
そういう意味では「肉の袋に執着していない人」はかっこいいなと思いますね。たとえば、私にとってのアイドルって安部公房だったんですよ。見た目とかどうしようもないけど、中身が超ハンサム! って思ってました。容姿はどうでもよくて、大切なのは、その人が何を残したか。だから死んだ人ばっかり好きになる。今はいない二千年前に生きた人々にも、夢中になれてしまうんですね。
――女性に対してはどうでしょう?
女性も果てしなくそれに近くて、知性と教養が感じられるというのは絶対条件。研ぎ澄まされた何かがあるとか、審美眼が鋭いとか、どこか頭の良さを感じさせる人。ファッションで言えば、流行に敏感だけどそこに捕われない、バランスのいい着こなしをしている人を見るときれいだなーと思いますね。というのも、頭のいい女性は”肉の袋”の演出も巧みだ、というのが私の持論なんです。
――”肉の袋”の演出も巧みって……どういうことですか?
男性は「自分は自分、どう見られてもいい」でもいいけれど、女性はそこにジェンダーの意識を少しプラスしてほしい。だから女性を捨てたオトコオンナみたいな、バランスの悪い人はダメ。頭のよさを前提に、女らしさをちょっと遊ぶ感じ? 「今、私は女らしくしているけれど、だからって実際そんなことはどうでもいいの」みたいな雰囲気が出せる女性、いいですよね。
――イタリアでは、思わず振り返ってしまうオーラのある女性に出会うことがあります。
ストリートスナップフォトグラファーの元祖、ビル・カニンガムのドキュメンタリー映画『ビル・カニンガム&ニューヨーク』はすごくおもしろかったですね。登場するおばあちゃんたちもいいし、ビル・カニンガム自身、いつも安い青の作業着を着ているんだけど、どこかおしゃれ。ああいうのを超越した素敵さ、と言うんだと思う。おしゃれって語学と一緒で、文法どおりにやればしゃべることはできる。でも大切なのはそれで何を語るかでしょう? あなたの装いの向こうには何があるの? その向こうの何を伝えたいの? という。
――ご自身はどんなファッションを?
“肉の袋”を隠すだけの、大量生産されたものには興味がないですね。だからといって斬新すぎて”服に着られている人”になるのも辛い。さりげなくつくられたものだけど、洋服なりの自己主張がデザイナーさん越しに見えるものが好きかな。最終的には、ビル・カニンガムの女性版みたいな人になれたらいいなぁ。「腰ミノ巻いているだけなのに、なんかかっこいい!」とか(笑)。
「おなかすいた」と同じ感覚で、「ああ、マンガ描きたい」
――4月26日の「よい風呂の日」には、『テルマエ・ロマエⅡ』も公開に。でも、「まだ序章です」とおっしゃっていたのを聞いて、びっくりしました。
ここまで爆発的に売れる作品は、最初で最後かもしれない。それはそれでいいんです。それより私にはまだまだ表現したいことがたくさんあって、発動してくれる編集者の方々もいる。なので、自分の時間と体力の続く限り、どんどん描いていきたいと思っています。
――『スティーブ・ジョブズ』『プリニウス』など、評伝の連載が続いています。
基本的に、自分のことを”評伝おこし係”と思っています。過去にこんなに素敵な人がいたことを知らせたい。そこに使命感を感じるんです。ジョブズに関しては、彼を嫌いな人は大嫌いだし、好きな人は狂信的に好きだし、そのバランスの悪さを取り払いたくて、描きました。
――「バランス」というのはヤマザキさんのなかのキーワード、という気がします。
私もそうとう変人ですけど、変人側だけに落ち込んではいけないという働きかけはいちおうあって。ジョブズも変人だけど、ただの変人ならばあそこまでの成功はなかった。そのあたりを絵にしてみたかったんですね。プリニウスは、古代ローマの大博物学者ですが、ほとんどなんの文献も残ってない。そういう人は考証を辿るのも楽しいし、描きごたえがあります。あーこうやってしゃべっていると、もう描きたくなっちゃう。ごはんを食べたくなるみたいにマンガが描きたくなるんです。
――すごい! おなかすいた、みたいな?
そのとおりですね。自分が見たい物をすぐ具体化したくなっちゃう。だから申し訳ないんですけど、実は読者はそのあと。でも描きたいものだけ描いて、それが単に一方的だったらまたバランスが悪いので、そこは大変なんですけどね。でもとにかく、マンガ家の仕事を選択して、本当によかったと思います。
――漫画家になることをすすめてくれた、あのマンガ好きのオタクには……
ヘンなヤツなんで避けてたんですけど、いやー、今となっては本当に感謝です(笑)。
最後にヤマザキマリさんから
“美しくなるためのメッセージ”
年相応のシワがあって、それでもちやほやされている、知的でチャーミングな女性に憧れます。自分の外見は、単なる”肉の袋”。見た目に執着するのではなく、旅に出て、文化に触れて、人にもまれて、それらたくさんの経験をして、中身を充実させる。そうすることで、女性は美しく輝くのではないでしょうか。