見えない世界をつなぐ画家。
小松美羽さんの美の秘訣
夏休みの自由研究は「カタツムリの繁殖」絵日記。
――小さいころの絵の思い出といえば、どんなことでしょうか?
家で動物をたくさん飼っていたので、兄弟みんなで動物の絵を描いていたことは覚えていますね。
――どんな動物を飼っていたのですか?
犬やインコ類、モモンガ、ハムスターもいたり、熱帯魚や蚕も飼ってましたね、あ、亀もいっぱいいたなぁ(笑)。家のなかはプチムツゴロウ王国状態で。少し大きくなると、お小遣いで勝手にいろいろな動物をつれて帰って来て「また買って来たの!」とよく母親に叱られていました。
描くことだけじゃなく、観察も好きだったので、夏休みの自由研究のテーマは、「カタツムリの繁殖」にして観たものを絵に描いたり。カタツムリってすさまじい繁殖力なんですよ。知ってます?
――知りませんでした(笑)。独自性があって先生にも褒められそうです。
いや、繁殖させて育てて終わり。という観察日記だったので、先生からはもっと卵の数を数えたり、そういう成果を発表しなさいと言われたような(笑)。
――絵の教室には通っていたのでしょうか。
本当はすごく習いたかったんですが、小さい頃の習い事は、長刀(なぎなた)と水泳でしたね。
――え…?そうなんですか。
私はとにかく社会性がないから、長刀を習って厳しい上下関係を経験したり、長野県は海がないから水泳を習いなさい、という理由で、自分が習いたいとお願いしたわけではないのですが。その代わり、美術館にはしょっちゅう連れて行ってもらいました。
幼いころ、美術館の感想ノートに残した言葉とは。
――小さいころに印象的だった作品はありますか?
ありますよ! 村山槐多の『尿する裸僧』は、大好きでした。最初にすごい衝撃を受けてから、そのあと何度見ても、毎回心に迫るものを感じて、美術館に通っては飽きずに眺めていましたね。絵と一緒に、同性愛者だった彼が好きな人に寄せた告白の手紙も展示されているのですが、戦争をしていた時代に、誰の理解も得られずにひとりで抱えていた苦悩も感じられて、その文章も夢中で読みました。
『尿する裸僧』は、「信濃デッサン館」の常設展で展示されているので、ぜひ行ってみてください。長野県は、全国の県のなかでは、美術館の数がいちばん多いんですよ。美術館の感想ノートに「いつか私もここに絵を飾られる人間になる!」と書いたことも覚えています。
――小さいころから画家になろうと決めていたんですね。
そうですね。あとは…“かっぱ”になりたかったかな。
――……。…?
小学校のとき、すごく真剣に差別について考えた時期があって、そこからいろいろ調べるうちに、妖怪はなんて素晴らしいんだろうと行き着いて、さらに発展して「自分が実は妖怪の子だった」といつか判明したらなんて素敵だろうとまで、妄想するようになりまして。まぁこれは残念ながら妄想のままで終わってしまいましたが。でも、そんなことばかり考えていたら、ある日夢で百鬼夜行(※)を見たんです。
※妖怪の群れが深夜に大行進すること。
――それは、夢でもこわかったんじゃないですか?
いやいや、こわいどころか大興奮ですよ。現実でも見たい!とさっそく妹や友達を誘って近所の森に出かけていきました。簡単には探せませんでしたが。
描きたいものがあふれて、時間が追いつかない。
――小松さんの作品に多く描かれている、目には見えない生き物たちは小松さんの頭のなかで、どんな風につくられていくのでしょうか。
うーん…いや、いるんですよ。探すとけっこういます、東京にも。
といっても、彼らはあちら側の世界の匂いを漂わせている生き物なので、私が興味をもって近づいても、別に交流できるわけではないのですが。たまに、ごく稀に興味をもって近づいてきてくれる時もありますけど。
――それはどういう…小松さんにはもののけのような彼らの姿が見えて、それを描いているということ?
しょっちゅう会えるわけではないですが。あの、彼らは、あちらの世界にいるので、やはりとても異質な存在感をまとっていますよ。
私はそれを証明写真に映すように頭の中におさめたり、スケッチに描き溜めて、作品にするときは自分なりの想いやデフォルメを加えて完成させます。そのストックもかなりの量になってしまったので、今、描きたいものがたくさんありすぎて、時間がまったく追いついていません。
――たとえば、どんな風に見えるのでしょうか?
1年前、猿の神様ハマヌーン(※)が生まれたという、インドの山に籠って瞑想の日々を過ごしていたのですが、このときは日にちが経っても何も見えなかったんですね。でもある日、こんな虫くらいに小さい赤い姿のものが目の前に現れたんですよ、2体ほど。それで、お辞儀をしたと思ったら唐突に戦いはじめて(笑)。何なら途中に休憩を挟んでまた闘い始めたりして。最終的にはもつれ合いながら草むらに入っていってしまって、見失いました。
※インド神話に出てくる猿の神様。怪力と勇気、忠誠心、不死の神として、インドで根強い人気がある。
――えーーー、何なんですかそれは! 頭が混乱しますが、彼らは小松さんに見てもらいたかったのでしょうか。
どうでしょうね。こういうことは滅多にはないけれど、彼らの姿が見えるということも何かの宿命だと思っていますし、私自身があっちの世界にすごく興味があるので。
――そこは小さなころから一貫しているんですね。
そうですね。彼らの世界の平等性というのは、今私たちの世界の国同士、宗教間で起きている争いごとを超えるものがありますし、さまざまな垣根を超える彼らの存在を描くことは、平和への想いでもあります。
狛犬を描き続ける理由。
――小松さんは、狛犬が好きで、さまざまな場所の狛犬を訪ねたり、また作品にしていますよね。
はい。狛犬は守護獣ですが、そのルーツがすごく興味深くて、原点はイスラエルにあるんですよ。最初は羽根の生えた姿をしていて、それがエジプトに渡ってスフィンクスとなり、ローマ時代になると獅子の台座として1対になり、シルクロードをわたり中国大陸に着くと、唐獅子に。そして、その思想が日本に入ってくると、なぜだか犬になるという。知れば知るほど、狛犬にはいろいろな宗教観がミックスされていて、本当に平和な生き物だと思います。
――今、制作途中のこちらの作品も狛犬が。
これは東京都の武蔵御嶽神社の狛犬様。実際の写真に私が見ている狛犬の世界を描いています。もうひとつは、佐賀県有田町の狛犬ですね。
私は、昔からどうして人間だけが特別なんだろうという想いがあって、人間が死んだときと動物が死んだときで扱いが違うことにも疑問をもっていたんです。でも、私たちも動物も死を迎えて、魂だけになったら、やっと差別のない平等な場所に行ける。私にとって狛犬は、“動物も人間も平等”という、憧れの世界にいちばん近い存在、というかそこを守ってくれている守護神なので、これからもずっと描き続けていくつもりです。あ、そうそうマイ狛犬もいるんですよ。見ます?
純粋さを失わず、生涯描き続けること。
――見たいです!
これは、昭和15年のもので、私が七五三のときにもお世話になった長野県にある神社の柱からつくられた狛犬さんだそうです。
――すごくかわいいですね。
あと最近、明朝時代の狛犬も骨董やさんで手に入れたんですよ。イスラエルで発掘されたという約2000年前のローマ時代のオオカミの彫刻も。いい顔してますよね。今後、世界中のこういうモノを集めようかと思っていて、ショ—ケースも買わなきゃですし、いや、もっとがんばって働かなきゃです。
――明朝時代の狛犬は、艶もありますね。
あぁ…。骨董屋のおじさんが「これは緑石でできているから、頬で撫でると輝くよ」ってその場で自分の頬にこの狛犬をつけて説明し始めちゃって。「頼むから、おじさんの頬でやるのはやめてくれーー!!」と心のなかで叫んでいたのですが、うれしそうなおじさんを前に言えず…。あれは本当にやめてほしかったなぁ。
――では、ちょっと話を変えまして、小松さんの普段のファッションについても教えてください。
何もこだわりはなく、(小声で)動きやすいものをいつも着ています。色も白、黒、ネイビーとベーシックな色ばかりで…。制作のときは特にラクなものを着ています。このジーンズは長野県発のブランド“ザ・フラットヘッド”のもの。
――何か集めているものはありますか?
ストールですね。世界中を旅しながら、その国の色使いが出ているものを選んで身につけています。大判でボリューム感のある、首まわりがモフっとするのが好きなんですよ。ふたつ買って妹にプレゼントすることも多いのですが、イスラエル土産のものは気に入ってくれたようですが、インド土産のは全然着けているところを見かけません…。ファッションは難しいですね。
――ここにいる妹さんをチラチラ見ながら言ってますけど(笑)。また質問を変えまして、小松さんにとって、美しい人とはどんな人でしょうか。
うーん、ユニコーンとかペガサスとか、そういったしなやかな空気感をまとった女性を素敵だと思います。あとは人間の世界だけでものごとを考えていない人たちが好きですね。花を愛でたり、動物をかわいがったり、そういう存在にも愛情を注げる人。
――逆に美しくないと感じる人は?
ポイ捨てする人。
――即答ですね。
ポイ捨てしたその葉っぱの裏には、住人がいるかもしれないじゃないですか。あなたより先に生きてんだよ!と言いたい。って、自分で話しておいて何ですが、今日はこんな偏った話ばかりしていて大丈夫ですか?
――小松さんの作品にぐるっと囲まれた空間でお話を聞いていると、見えない世界の話もすんなり入ってくるから不思議です。最後に、これからについても教えてください。活動場所や描いてみたいもの、目標などはありますか。
イギリスのコッツウォルズやストーンヘンジにもまた行きたいですし、各国のストーンサークルのなかでも描いてみたい。ニューヨークで活動をしてみたい気持ちもあります。でも、今後どこに行くとしても、見えないものに出会い続ける純粋さは持ち続けていたい、それが目標ですね。彼らに会えなくなったら、私の作家人生は終わりますので。
小松美羽さんが “日々、大切にしていること”
茨木のり子さんの詩『自分の感受性くらい』の最後の一文。中学生のときに国語の教科書で読んで以来、自分が弱っていてダメなときの指針にしています。「ぱさぱさに乾いてゆく心を ひとのせいにはするな みずから水やりを怠っておいて」から始まる詩を、少しずつ理解しながら、今ようやく最後の一文にたどり着いた感じがします。人間を見るときの、厳しくごまかしの効かない狛犬さんの目のような、背筋の伸びる詩です。