Vol.51 トラッドな春夏スーツ服地の知識を蓄えれば仕事も快適にこなせる。
サマースーツの定番服地となるウールトロについて、ニューヨーカーのチーフデザイナーの声と共にその特徴を予習。今シーズンのス...
NEWYORK LIVES
1999年10月、20歳の自分はニューヨークへ渡りました。目的は語学留学。海外に住んでみたい(すでに東京でメイクアップの専門学校を卒業していたので)、あわよくば仕事したい、と。成田行きのリムジン・バスまで見送りに来てくれた友人たちとの別れが辛過ぎて、行きの飛行機はずっと泣きっぱなしでした。泣き疲れて着いたJFK空港。待てども待てども、荷物が来ません。そう、ロストラゲージしたのです。翌日荷物は無事に宿に届きましたが、自分にとってのニューヨーク生活のスタートは、決して明るくはありませんでした。
それまで自分のことは前向きなタイプだと思っていました。しかし、ニューヨークでは自分のネガティブな部分や弱さを痛感する日々が続きました。日本(東京)は楽しく、友達も沢山いる、なぜ自分はわざわざ知り合いもほとんどいない異国の地に来てしまったんだろう?と、日本に帰る言い訳ばかり考えていました。
当時語学学校は日本人だらけ。特に自分が選んだ学校は駐在員の奥様ばかり。一番の話題はいかに日本食の食材をニューヨークで手に入れるか。まったく話が合わずにニューヨークに来たことを後悔していました。そして、ニューヨークに行けば、きっとすぐに色々な国の面白い友達が沢山出来る!と信じていたのですが、現実はまったく違いました。
まあ、今思えば自分自身の問題だったのは間違いないのですが、この街は自分にはきっと合わないんだ、とニューヨークのせいにしたりもしました。そして、誕生日もニューヨークで迎えた、2000年のカウントダウンも経験した、もう十分だ、その学期が終わったら、日本に帰ろうと思っていました。
2000年頃、ウィリアムズバーグから見たダウンタウン
ところが、そこで思わぬアクシデントが起きました。すっかりニューヨークをなめていた21歳になったばかりの自分は、明け方、地下鉄で家に帰る途中、眠さにボーッとして、完全に油断していました。目の前を3人組のキッズが通りすぎ、再び戻ってきて、何も言わずに自分のこめかみにパンチをしてきました。あまりにびっくりして、声も出ないし、痛みも感じませんでしたが、3人はヘラヘラとパンチやキックをし続け、「give me your bag(カバンをよこせ)」と言ってきました。
その時、カバンの中にはたまたま当時のメイクアップの作品集が入っていました。これを渡したら、ニューヨークに何をしに来たかわからなくなってしまう、と思い、カバンを必死に守りました。自分の降りる駅に着いた時、一瞬彼らが攻撃をやめた隙に、最後の力を振り絞って逃げました。彼らは追いかけてこなかったので、助かりました。
しかし、この事件で傷付いた自分を、たくさんの人が癒してくれました。予想もしなかったところで、ニューヨークから受け入れられた形になったのです。結局、そのまま2年弱、ニューヨークに留まりました。
ニューアーク空港からニューヨークに向かう途中で目にした朝焼け。
そして、ニューヨークの事も大好きになりました。結局、2001年の春に帰国を決めました。自分がニューヨークで働くためのビザを得るには、日本で一度ちゃんと社会人になって仕事した方がいいのでは?と思ったからです。
帰国をすぐに決めることができたのは、留学前の父の言葉を思い出したからです。
「お前は若いから、何かをやり遂げないと日本に帰れないと思うかもしれない。しかし、お前の生まれた国は日本だし、帰ってくる家はある。いつでも帰りたくなった時に帰って来なさい。挫折した、何も出来なかった、と思うかもしれない。でも、その時の経験は必ず別の時に役立つ時が来る。決して無駄になることはない」
帰国後、ニューヨークのファッション・ウィークで仕事をするようになった。10年近く前の写真。
この言葉があったので、素直に帰ろう、と思うことができました。
帰国直後に、たまたま手にした求人誌で、「NARS日本上陸オープニングスタッフ募集」の記事を見つけました。そして2001年9月の伊勢丹新宿店オープンから今にいたるまでNARSに関わって仕事をしています。2006年からは、ニューヨーク・ファッション・ウィークにNARSチームの一員として行くようになり、今では年に5~6回ほど、ニューヨークへの出張もあります。
20歳の頃、ニューヨークに住みたい!と思わなかったら、今の仕事はしていないし、22歳の時に日本に帰る!と決めたから、今もニューヨークと縁が続いている───人生は面白いなあと思います。
ニューヨークさん、これからもよろしくお願いします! I LOVE NY! See you soon!!!!
メーキャップスタイリスト
SADA ITO
2001年ニューヨークから帰国後、NARS JAPANに所属。NARS日本1号店(伊勢丹新宿店)のカウンターでメーキャップスタイリストのキャリアをスタートさせ、04年からNARS JAPANプロモーションメーキャップアーティストとして、全国のNARSカウンター、雑誌、バックステージで活動する。10年NARSインターナショナル リード メーキャップスタイリストに就任。ニューヨーク、パリ、ロンドン、東京、ソウル、バンコク、シンガポールなど、世界のファッションウィークに活動の場を広げ、広告、有名ファッション誌、TV、PVなどでも活躍する。セレブリティからの信頼が厚く、国内外からのダイレクトな指名も多数。クラシカルからポップ、モードまで、そのメーキャップのスタイルは幅広く、繊細なテクニックと感性で、独自の世界観を創り出し続けている。
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