Vol.51 トラッドな春夏スーツ服地の知識を蓄えれば仕事も快適にこなせる。
サマースーツの定番服地となるウールトロについて、ニューヨーカーのチーフデザイナーの声と共にその特徴を予習。今シーズンのス...
NEWYORK LIVES
最初にニューヨークに移ろうと決めたのは、猫に引っ掻かれたから。アムステルダムの運河沿いの家で、いつも窓から入ってくる野良猫を、その日は調子にのって撫ですぎて、シャーって引っ掻かれた。当時はどうやったら世界で勝負できるようなアイデアを考えられるのか、それをどうやったら実現できるのかを知りたくて、世界中のクリエイティブ・エージェンシーを渡り歩きながら武者修行のようなことをしていました。その一環でシンガポールやロンドンを経て、アムステルダムの<180>という会社にたどり着いたのでした。
アムスという街は今でも大好きです。みんな葉っぱばっかり吸ってるし、仲間と船を買って運河を下ったり、週末はベルリンやパリに遊びにいったり、そのうえ仕事は年に一つでもプロジェクトが実現したらラッキーと言うような超スローペース。このまま引退していくのもありかなぁ…などと、たかが20代そこそこで思い始めていたとき、シャーッとやられた訳です。僕はとにかくフワフワした生き物に弱いので、このままじゃいけないってことだよね、と勝手にこれを天啓と信じ、自分のケツを叩くためにもむしろ最も忙しい都市に戻ろうと考えてニューヨーク行きを決意したのでした。「Old Amsterdam」から「New Amsterdam」へ行くというのもなんだか運命的でいいかな、なんて思いながら。
ニューヨークで最初に流れ着いたのはノリータのアパート。新しい職場の激おしゃスウェーデン人がたまたま彼女と移り住むということで譲り受けました。何も知らずに入居したのだけど、今思えば相当おしゃれエリアに突っ込んでいったなぁと思います。上京していきなり代官山!みたいな。でもその部屋はこっちではよくある5th floor walk up(5階建てエレベーターなし)のしかも最上階のステューディオで、これで家賃15万円越えかよ!たけー!WTF!と思ったものでした。ニューヨークに限らずですが、世界のいろんなとこに住むと、いかに日本の社会インフラのレベルがすごいのかを思い知ります。でも逆にいうと、「自分でなんとかしないとなんともならなくて、でもなんとかしようとすればなんとかなるもんだ」という当たり前のことに気づかせてくれるので、人間としては強くなるというか、スポイルされないというか、健やかに育つのかなと信じて今でもどっこい暮らしています。(今の家はついに念願のエレベーター付きになりました。)
少し脱線しましたが、その頃住んでいた部屋自体は、キッチンの壁をぶち抜いて明るくしていたり、風呂の壁もぶち抜いてでっかい窓を開けていたり、なんだかオシャレなだけじゃなく、穴開け魔なスウェーデン人のおかげで結構素敵な感じでした。特に風呂場の窓からはエンパイアステートやら朝日やらが見えてステキ♥と思っていたら、入居の翌日、その窓の外にはレンガ壁が立ってました。これがニューヨークの洗礼か、と。でもなんだかんだボヤキながらも結局、今の会社の立ち上げで日本に帰るまで、レンガの染みを幻の摩天楼に見立てながら3年間を過ごしました。今でも近所を歩くと、1階にあるライスプディング屋の味とともにいろんな思い出が蘇ってきます。そういえば最近行ってないけど、まだ潰れてないといいな、ライスプディング屋。
潰れるといえば、近頃とてもジェントリフィケーション(高級化)が心配です。昔から言われてきたのだけど、家賃高騰やらによってどんどん古き良きニューヨークが減って来ているように感じます。なぜか僕の好きなバーやらお店ばっかり潰(さ)れたりしていて、僕の趣味が悪いというだけならいいんですが、どうにも古き良き物語のある場所が減っていってしまっている気がしてならない。逆に新しい場所ができても大抵はつまらん「ブルックリン・スタイル」やら中身のない「ジェネラルストア」ばかりだし…。ニューヨーク的には大きなお世話だろうけど、やっぱり時折心配になります。
なぜなら、いろんな国に住んでみて、一度日本に帰り、またニューヨークに戻ってきて思うのは、これだけクリエイティブな文化とそれを支援してきた歴史があって、本当に多様性を受け入れ、「出る杭は打たれる」のじゃなくて「出る杭が謳われる」場所ってのは世界中ニューヨーク以外にはどこにもないんじゃないかな、ということ。違うことが当たり前という空気を街全体で作れているからで、それは相当な人々の想いの積み重ね・歴史の賜物なのだと感じます。(これまた余計なお世話だろうけど、最近の日本はまさにこの逆になってしまっているように見えて、こちらもちょっと心配。)だからそんな空気を守るためにも、均質化・画一化していって欲しくないし、尖ってごつごつした街であり続けて欲しい。
ニューヨークは悪く言えば「適当」だし「汚い」し「自分の力でサバイブ」しないとやってけない街なんだけど、良く言えば「自由」だし「ありのまま」だし「自分の力で道をつくれる」街。だからラーメンが1杯15ドルもしても我慢するし、勝手に地下鉄が駅をすっ飛ばしても我慢するし、帰り道にネズミが足にぶつかって来ても我慢するわけです。その代わり(?)この街にはなんとかジェントリフィケーションの波に負けないで欲しいし、その先の進化を見せて欲しい。これまでの汚いけど愛すべき文化を守って、次のピカピカな愛すべき文化を生み出し続けて欲しいと思います。
クリエイティブ・ラボPARTYクリエイティブディレクター
川村 真司
現在はPARTY NYを牽引する傍ら、数々のブランドのグローバルキャンペーンを始め、テレビ番組開発、ミュージックビデオの演出など多岐に渡って活動している。アメリカの雑誌Creativityの「世界のクリエイター50人」やFast Company「ビジネス界で最もクリエイティブな100人」、AERA「日本を突破する100人」に選出。
若木信吾 「写真家としての土台を築いた第二の故郷」(1994.05〜1996.04)
重松象平 「Newがつく都市」