TRADITIONAL STYLE

Vol.20 ルーカスB.B.


Apr 9th, 2014

Photo_Shota Matsumoto
Text_Noriko Oba

日本のストリートカルチャーを紹介する『TOKION(トキオン)』を創刊し、現在は旅をテーマにした『PAPERSKY(ペーパースカイ)』、親子に向けたキッズ誌『mammoth(マンモス)』の編集長として活躍するニーハイメディアジャパン取締役兼総合プロデューサーのルーカスB.B.さん。日本の文化のおもしろさを独自の視点で切り出し、雑誌にとどまらず、イベントや映像などさまざまなメディアで触れる機会を提供し続ける彼の原動力とは。

1か月滞在のつもりが、気づけば20年。

ー 編集者として、クリエイティブディレクターとして活躍されていますが、最初に日本に来たのはいつですか?

ルーカスB.B. ’93年ですね。大学の卒業式の翌日に到着して、1か月くらい滞在するつもりが、今年で21年目(笑)。この旅行が初の海外旅行でした。

ー 卒業式の翌日ということは、アメリカで就職の予定はなかったんですね。

ルーカスB.B. そう。当時は卒業してすぐに就職する人が珍しいくらいで、在学中に就活する人もあまりいなかった。大学の友人から聞く旅の話に” 自分も知らない世界を見てみたい “というくらいの軽い気持ちで出発したんです。

ー 初海外の行き先に日本を選んだのは?

ルーカスB.B. 行き先は雑誌を見て決めたんです。日本の雑誌を見ていたら、日本の写真家やデザイナーにすごく興味がわいて。日本に対しては、お茶と侍くらいしか知識がなかったから余計におもしろいと思ったんだね。

ー 雑誌を見て決めたというのが、ルーカスさんらしいですね。

ルーカスB.B. 小、中、高校、とずっと雑誌や新聞をつくっていました。レタリングシートを使って、フォントを選んで、レイアウトも定規で引いて、と全部手づくりだったけど、すごく楽しかった。たびたびカリフォルニア州から賞ももらって子ども編集長ながらにうれしかったな。当時もインタビューをしたり、コンテンツをつくったり、今やっていることのミニ版ですね。

安全で、食べ物のおいしい国。

ー 日本に来た最初のうちはどんな暮らしをしていたのでしょうか?

ルーカスB.B. 最初は友達の家に泊めてもらっていました。家といってもひとり暮らしの家ではなくて、彼の家族が住んでいた家。そこで、就職活動中だった友達のお兄さんと仲良くなって。たまに面接に行くときは、僕もくっついて行って、終わるまで会社のロビーで待っていたり、しょっちゅう一緒にいるうちに、じゃあ自分もここで就職活動しようかなと。

ー お兄さんの就職活動に触発されて……?

ルーカスB.B. そう。でも、日本語も話せないし、仕事のスキルもないので、英会話の先生になったんです。大人に教えるのはつらそうだから、キッズに教えることにしました。

ー そのころにはもう日本にいることを決めているわけですね。何にいちばん惹かれたのでしょうか。

ルーカスB.B. どこにいても安全なこと。アメリカにいるときは、常に緊張感があったからね。いつも危険というわけではないけれど、気を張っていないと被害に合うこともありますから。日本に来たとき、安全な街の空気がすごく心地よくて、リラックスできると感じたんだ。ついこの間もジョージア州でカフェやバーにも銃を持ち込めるっていう法案が可決したみたいだけど、嫌だよね。テーブルに置かれた銃が視界に入った状態でリラックスしてお茶なんか飲めないよ。

ー 想像するだけで、体が緊張します。

ルーカスB.B. あとは食事がおいしかったことかな。日本に来てうどんがすごく気に入って、あの野菜がたくさん入った……けんちんうどん? 毎日食べていたよ。

ー 文化の違いに戸惑ったり、不便なことはなかったですか?

ルーカスB.B. うーん、当時は分煙なんてなかったからレストランでも煙草を吸う人がたくさんいたこと? それくらいです。

等身大の自分に合わせて雑誌を創刊

ー 日本に来た当初は雑誌をつくろうとは思っていなかったんですか?

ルーカスB.B. 日本にいること自体が刺激的で、雑誌のことは忘れていたんです。あるとき、幼馴染の友達と日本で再会したときに、「なんで、雑誌つくっていないの?」と言われたことがきっかけですね。日本のカルチャーや情報を若者に向けて発信する雑誌をつくったらおもしろいんじゃないかと思って『TOKION』を創刊することに。

ー ’96年に創刊。ほんの旅行のつもりで日本に来て3年後には雑誌の創刊。すごい展開ですね。

ルーカスB.B. ときどき、『TIME』や『WIRED』といったアメリカの雑誌に日本のファッションシーンについての記事を書いていたから、そのときに、これからファッション業界でがんばっていこうとしている人たちと交流できたことも大きいですね。

『TOKION』創刊号のテーマは「POWER」でした。10号目に表紙に出てもらったNIGOには、創刊号から連載ページを担当してもらっていたんですが、彼が雑誌の表紙に登場するのは『TOKION』が初めてでしたね。彼はスターウォーズが大好きだったのでルーク・スカイウォーカー風に撮りました。ライトセーバーの色を変えた3パターンの表紙をつくりましたが、日本の雑誌は表紙が一種類じゃないと卸してもらえないことを知らなくて。なので直接書店と交渉して置いてもらいました。創刊号は“Dream”をテーマにして、いろんな人の“自分が使っている枕”の写真を撮って載せたり、その展示会をやったり、漫画の連載を入れたり、自由につくっていました。

ー その後 ’02年に『TOKION』を離れて、同じ年に今度は『PAPERSKY』を創刊します。

ルーカスB.B. 『TOKION』を始めたころは自分も20代で、同じ世代の若い読者に向けてつくるのが楽しかったのですが、自分だけが年を取って、若い世代を相手にするのがつらくなってきたんです。このまま続けていたらつくるものが嘘になると思って、それは読者にも伝わるから、離れることにしました。

旅をすることは人間を知ること

ー 『PAPERSKY』は、” 地上で読める機内誌 “がコンセプトですね。

ルーカスB.B. 『TOKION』を離れたといっても、やりたいテーマや軸はつながっていて、『TOKION』で扱っていたカルチャーの要素は捨てずに、『PAPERSKY』では“どうしてこの場所でこのカルチャーが生まれたのか”“カルチャーが生まれた背景にどんな生活があるのか”とそれまでよりももう一歩踏み込んだ内容で、その背景ごとガイドになるような旅雑誌をつくりたかったんです。カルチャーを知ることと旅のガイドの両方を成立させようと。

ー 冒頭でおっしゃっていたように、初海外は大学卒業後だったというルーカスさんが” 旅 “をテーマに選んだのは少し意外です。

ルーカスB.B. そうですね。自分が歳を取りながら興味をもってできること、どんなメディアが読む人に喜ばれて、役に立つのかを考えたら、出てきたのが旅でした。旅は古くならないし、自分たちとは違う生活スタイルで暮らしている人や場所について深く知ることは、たくさんの発見もあるし、人間を知ることでもありますから。

違う文化をもった人が、つながった空の下で生きていることがおもしろいよね。お互いをリスペクトすることは、お互いのカルチャーを知ることでもある。そういう思いも込めて、表紙にはダイマクションマップを使っているんです。

これは、思想家で発明家、建築家、数学者のバックミンスター・フラーがつくったマップで、地球にはひとつの海とひとつの大陸しかないというコンセプトでできた世界にただひとつの地図。もっとも正確なスケール感でつくられていると言われていて、切って組みたてると地球儀になるんだよ。違う文化を紹介しながら、世界はひとつだと伝える『PAPERSKY』のコンセプトをフラー研究所に話して、地図の使用許可が出たんです。

ー 親子に向けたキッズ誌『MAMMOTH』を創刊したのも意外でしたが……?

ルーカスB.B. これも『TOKION』からの流れがあって、一緒につくっていた人たちの多くに子供が生まれたことがきっかけ。彼らの子供を見ていて、子供の将来を考えるための雑誌、自分と同じ親世代に役に立つメディアをつくりたかったんです。

ー 『TOKION』は“時の音”という意味があって、『PAPERSKY』は地上で読める機内誌。『MAMMOTH』という雑誌名の由来は何ですか?

ルーカスB.B. 子供が読む絵本や昔話ってかわいいだけじゃなくて、“毒りんご”とか“オオカミ”とか、怖さもあるものが多いでしょ? だから雑誌名もかわいさと怖さの両方の要素が入った名前にしたいと思っていたんです。ある日、奥さんとラーメンを食べていたら、目の前の道路をマンモスの絵が描かれた車が通って、これだ! と思いました。その場で話してすぐに決定しました。

ー 雑誌を3冊も創刊するバイタリティはすごいと思うのですが、その原動力は何でしょうか?

ルーカスB.B. おもしろい雑誌をつくれば、会いたい人に会えたり、興味のある場所に行って、話を聞かせてもらえたり、自分のつくった雑誌が“どこでもドア”みたいな存在になってくれることかな。

あとは、いろいろな才能をもった人がそれぞれの才能を生かしてひとつのものをつくるのが楽しい。それは演劇にも似ているよね。照明、脚本、俳優といろんな才能が集結して舞台をつくって、観ている人に喜んでもらう。ただ、演劇と違うのは、観客の反応がダイレクトじゃないってこと。飲食もそうだけど、自分のつくったものに対してのおいしい、まずいがすぐに返ってくるのはうらやましいです。

ー 目の前で雑誌を読んでくれるわけではないですもんね。

ルーカスB.B. それもあって、“ツール・ド・ニッポン”を5年前から始めたんです。日本の文化や町や自然を自転車で感じる“部活動”。読者と直接コミュニケーションできるし、読者同士も触れ合えるから楽しいよね。次回は尾道に行きますよ。よかったらどうですか?

ー そういった思わず参加したくなるような魅力的な企画やアイディアはどうやって出てくるのでしょうか?

ルーカスB.B. 普通は最初に年齢や性別、趣味などのターゲットを絞って、だったらこういうモノをつくりましょうと決めていくのかもしれませんが、僕の場合はターゲットは設定しません。世の中にこういうものがあったら、ちょっとおもしろそう、元気が出そう、ということを出発点に考えます。世の中の流れや気分のようなぼやっとしたものをどうやって形にして目の前に差し出すかが勝負です。いつもそのことを考えています。

ー こちらの一軒屋は2階が事務所で1階が自宅なんですよね? オンとオフの切り替えはどんな風に?

ルーカスB.B. 好きなものを詰め込んだものが仕事だから、切り替えはしません。中断されることもありません。あえて言うなら、毎日行く銭湯が気分転換かな。平日と土日でふたつの銭湯を使い分けているのも切り替えになっているのかもしれないですね。

これからも東京で。

ー 『PAPERSKY』では、旅にもっていくグッズも販売していますね。ルーカスさん自身は旅のファッションについては何かこだわりがありますか?

ルーカスB.B. 今日履いている黒いデニムは旅にもよく持っていきます。旅では、自然のなかだけじゃなくて街に出ることもあるので、きちんとした場所にも行けて、汚れても目立たないブラックデニムは便利ですね。気に入ったから2本欲しかったのですが、翌年にはもう売っていませんでした。これはファッションでいつも残念に感じることです。いいものをつくったら、翌年も同じものを出しても喜ばれるんじゃないかな。すべてを新しくしなくてもいいと思うんです。

ー ファッションで大切にしていることは何ですか?

ルーカスB.B. やっぱり自分の価値観で服を着ることかな。トレンドでもそうじゃなくても。好きなシャツを着て、好きな靴を選んで、少しでもハッピーになれるのがファッション。

ー キャップのイメージがありますが、帽子はどのくらい持っているのですか?

ルーカスB.B. 置いておく場所もないからね。20個くらいかな。今日のもルーカスの“L”が入っているのが気に入ったんだけど、これ実は西武ライオンズのキャップ。ライオンズの“L”なんだ(笑)。

ー 最後に。旅行で訪れた場所が生活の拠点となり21年が経ちますが、今後も東京に住み続けたいですか?

ルーカスB.B. うん。仕事をして暮らすには世界のどの街よりもいいと思っています。

Vol.21 白石康次郎

Vol.19 小暮徹


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