ICON OF TRAD

Vol.37 アメリカントラッドは正しい服装の規範となる。No.1サックスーツ(後半)


Jan 6th, 2016

text_shuhei tohyama
illust_yoshifumi takeda
edit_rhino inc.

No.1サックスーツからアメリカントラッドの起源を探る。後半は実際にNo.1サックスーツが生まれた背景や経緯を紐解きつつ、現代のトラッドスーツにも注目していこう。

▼No.1サックスーツ(前半)はこちら 『アメリカントラッドの起源は No.1サックスーツにある』

サックスーツの特長は背中のデザインにある

ラウンジスーツをアメリカではサックスーツと呼んだ。サックとはズダ袋のこと。ズダ袋とは、ダブダブして何でも入る袋のこと。ズダ袋スーツとは妙な名前だが、これには理由がある。

サックスーツと、それ以前に仕事服として常用されたモーニングコートやフロックコートなどの背中を見比べてみよう。サックスーツは現代のスーツと同じように、背の縫い目が中心に1本しかない、いっぽうモーニングコートには背の中心と左右の脇、合計3本の縫い目があり、ウエスト部分には横方向の縫い目までついていることがわかる。

複雑な縫製法のモーニングコートに比べ、直線的なサックスーツは、まさにズダ袋のようだ。ニックネームをつけるのがうまいアメリカ人は多少の皮肉にユーモアをまじえて、これをサックスーツと呼んだのであろう。

余談だが、日本人はスーツを背広と呼んでいる。この命名は、スーツ発祥地の地サヴィル・ロウからきている(サヴィル=セビロ)というのが一般的な説だ。しかしもうひとつ、背中が2枚の幅の広い布でつくられた服(テールコートは幅の狭い4枚の布)だから、背広と名付けられたという説もある。どちらの説も捨て難いが、読者の皆さんはどうお考えだろう?

ミシンの発明によって生み出されたサックスーツ

直線的でシンプルなデザインだからこそ、より合理的に製造できるサックスーツは、近代工業生産システムという時代の風潮とも合致している。

英国系アメリカ人エリアス・ハウによってミシンが発明されたのは1845年のことである。ミシンの出現によって、それまで職人たちの苛酷な手仕事に支えられてきたオーダーメイドスーツから、誰もが手に入る快適で着心地の良いレディメイドスーツへ、近代メンズモードは確実に一歩前進したのである。

国民の気質的に変化を好まない英国人に対し、アメリカ人は新しいモノが好きでチャレンジ精神に溢れている。世界初のレディメイドスーツもアメリカ人の手によって、1849年頃に世に送り出された。

このとき製造に着手したのが、またもやブルックス・ブラザーズ。彼らは、実用化されたばかりのミシン(英国のシンガー製)を工場に入れ、いち早く分業による既製服の製造を始める。その経験の蓄積によって、約50年後の1901年に、簡略化したデザインでありながら趣味の良さを失わない、名作No.1サックスーツが生み出されたのである。

混乱した時代の後にトラッドスタイルが復活する

こうしてサックスーツは人々の生活へ浸透していき、第一次世界大戦(1914〜1918年)終了後、仕事や日常生活でテールコートを着る人を見かけなくなったという。

しかしその後に続く1920年代は、ジャズエイジと呼ばれる狂乱バブルの時代だった。この当時、マンハッタンのビジネスエリートは『イギリス風に着こなし、ユダヤ風に考える』という贅沢な生活を目指していた。

ビジネススーツをつくりに、わざわざ大西洋を越えてサヴィル・ロウまで出向き、毎朝株式市況を注視して、その異常な値上がりぶりに満足する日々。映画『華麗なるギャッビー』のような生活である。

いっぽうカレッジの学生も、既製のサックスーツだけでは満足していられない。本来カントリーアイテムとして使用されたプラスフォー(膝下4インチのニッカーボッカーズ)を穿いて町中やキャンパスを歩くのが流行した。

だが名門オックスフォード大学だけは、プラスフォーでの通学を認めなかった。そこで学生たちは、プラスフォーを隠すために、その上にブカブカのトラウザーズを穿いて通学。これがオックスフォードバッグスというファド(悪趣味な流行)なファッションになったのである。

しかし1929年10月24日、ニューヨーク株式市場が大暴落してバブルが終焉すると、ヴァニティ(自慢げな)ファッシヨンは姿を消して、代わりにナチュラルショルダーのスーツの人気が戻り始めるのである。

バブリーな時代でもナチュラルショルダーのスーツを勧めてきたブルックス・ブラザーズは、こうした流行のリバイバルに対して何事もなかったように振る舞った。すなわち、このスーツを『No.1サックスーツ』という昔のままの名称でいつも通りに販売したのである。その見識はやがて、「トラッドスタイルは時代の変化に左右されない」という信用を顧客に植え付けることに繋がる。

かつてイノベーターの最新モードとして機能したNo.1サックスーツは、アメリカ人の良識を表現する、グッドテイストなスーツとしての地位を確実に築きあげたのである。

トラッドスーツはその後に続くさまざまな流行に対しても、ぶれない軸を維持した。たとえば第二次世界大戦(1941〜1945年)後の混乱期にはマッチョなボールドルックが大流行する。しかしその揺れが収まった1950年代には、アイビールックやトラッドスーツといったナチュラルなデザインが見直され、メンズファッションは落ち着きを取り戻すのである。

トラッドスタイルは、『正しい服装の基準はいったいどこにあるのだろう?』と迷ったときに立ち戻る服なのである。

トラッドスーツのデザイン記号を読み解く

現代のトラッドスーツのデザインはナチュラルショルダー、前身にダーツを入れてほどよくボディを絞ったライン、シングルブレスト3つボタン段返り衿、センターベントといった特長をもつ。これらのディテールには、どんな意味があるのかを考えてみたい。

スーツのショルダーラインというものは、肩幅を広くし、肩パッドを入れて大きく見せるほど、男らしい印象が出るものだ。しかし誇張しすぎた肩は周囲の人に威圧感を与え、腕の運動機能性も低下する。トラッドスーツのナチュラルショルダーは、肩パッドを薄くし、肩幅をジャストフィットにしている。こうした自然な肩ラインは誰からも好感をもたれ、着心地もすこぶる良いのである。

スーツのボディラインというものは、ウエストを絞るほど緊張感が増し、セクシーな雰囲気をアピールできるものだ。その反対に、ずん胴なボディラインはリラックス感が増すが、愚鈍な印象が拭いきれない。現代のトラッドスーツは、前ダーツを入れてウエストを軽く絞っているために、落ち着いた大人の男らしさを醸し出し、あらゆるオケージョンに有益性をもたらしてくれるはずである。

Vゾーンは、ともすると制服っぽくなりがちなスーツのコーディネートのなかで、唯一自分らしさを表現できるスペースといえよう。Vゾーンが広ければ、ネクタイやカラーシャツで派手に装うことも可能になる。いっぽう狭すぎるVゾーンは、無骨な軍服やハンティングジャケットのようで味けないものだ。トラッドスーツの3つボタン段返り衿はまさにその中間の大きさのVゾーンで、大人の社会的な制服という役割を絶妙にアピールしてくれる。

『能ある鷹は爪を隠す』、ということわざにある通り、トラッドスーツは、あえて奥ゆかしい外観(アンダーステートメント)を保つことによって、逆にそれを着る人の趣味の良さを引き出すデザインになっている。

1901年に登場したNo.1サックスーツは、アンダーステートメントな現代のトラッドスーツのルーツ。まさにここからトラッドは始まったのである。

▼No.1サックスーツ(前半)はこちら 『アメリカントラッドの起源は No.1サックスーツにある』

Navigator
遠山 周平

服飾評論家。1951年東京生まれ。日本大学理工学部建築学科出身。取材を第一に、自らの体感を優先した『買って、試して、書く』を信条にする。豊富な知識と経験をもとにした、流行に迎合しないタイムレスなスタイル提案は多くの支持を獲得している。天皇陛下のテーラー、服部晋が主催する私塾キンテーラーリングアカデミーで4年間服づくりの修行を積んだ。著書に『背広のプライド』(亀鑑書房)『洒脱自在』(中央公論新社)などがある。

Vol.38 米国カウンターカルチャーのルーツ、 ビート・ジェネレーションのスタイルを探る

Vol.36 アメリカントラッドの起源は No.1サックスーツにある


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