You can be whoever you say you are.
自分が何者であるかは、自分が決めることができる。
ちょうどPERISCOPEの0号を発表した直後に、ミケル・ケネディを友人に紹介された。ちょうど制作中に、リビアの戦場で亡くなったフォトグラファーのティム・ヘザリントンのクオートに、ミケルは強く反応した。
「It is not about photography」問題は写真じゃない。ストーリーだ、そういう意味で、インタビュー中に、ティムの口から出た言葉だった。翌日、ミケルからメールがきた「コーヒーでも飲もう」。
ミケルのプロフィールには、必ず「ニューヨークを拠点に活動する」と書いてある。けれど、ミケルの写真の大半は、ニューヨークの外で撮ったものだ。
「バーモントの農場で育ち、その後、マサチューセッツ、ニューハンプシャー、デンバー、シアトル、ボストンとたくさんの場所に住んだ。付き合っていた女の子を追いかけてセルビアに移住したけれど、数ヶ月で別れて戻ってきたときに、ブルックリンの友達のところに身を寄せた。日銭を稼ぐために、プロダクションの仕事にかかわり、それがきっかけでファッション写真の世界を見た。ニューヨークに移住するまで、写真で食うことが可能だと知らなかった」
全米を転々としながら撮りためた写真を本やギャラリーで発表するうちに、写真家としての名前がじわじわ浸透した。けれど自分の写真は、ニューヨークの外で撮るものだといつも思ってきた。
「これまで長い長い時間を、全米を運転することに費やしてきた。アメリカの風景にはいつも魅了されている。自然も好きだ。でも旅に出るたびに、自分の仲間(マイ・ピープル)はニューヨークかカリフォルニアにいる」
10年住んだらニューヨーカーを名乗れるというけれど、ミケルが2005年に、長期的な計画もないままニューヨークにやってきて以来、ちょうど10年が経つ。
「この街のエネルギーはすごい。何かを追求していて、それに真剣に打ち込めば、成功することも自分の帝国を作ることもできる」
数年前から、写真の傍ら、ビンテージのラグを取り扱う仕事を始めた。ニューイングランドを旅するうちに、ラグのディーラーと出会った。最初は、ディーラー氏がB級品と目する商品を買い取ったりするうちに、自分もラグを商売にしたくなった。
「編まれてから100年以上経つラグを取り扱うこともある。ナバホ族の作るものだろうと、ペルシャ諸国からやってきたものであろうと、ラグには、人々の目に見えた自然の風景が織り込まれていることが多い。だから惹かれたのかもしれない。でも最終的には、やりたいと思ったことを、やることができるか試してみたかったんだと思う。ニューヨークのような場所では、自分が何者であるかを決めることができるから」
今、ミケルは、ニューヨークを離れて、カリフォルニアに活動の拠点を移そうとしている。
「たった6時間の距離だ。すぐまた戻ってくるよ」