I get to ride the poor train and the rich train at the same time.
裕福な世界と貧乏な世界の両方を垣間みることができる
何年か前に、ウィリアムズバーグを歩いていたら、友人が自転車をひきながら歩いてきた。友人と一緒にいたのがジュディ・ローゼンだった。私の家からそれほど遠くないブルックリンの北端のエリアに、今もなんとかがんばって存在し続けているアーティストのロフトに住んでいる。いろいろな場所でばったり会ううちにいつしか仲良くなった。
ジュディはユダヤ系の両親のもと、ニューヨーク州ロングアイランドで生まれ育った。
「私は背がとても低いのに、胸や腰にしっかりカーブのある体をしていて、似合う服がなかったの。だから子供の頃から、中古品店で買った大人用の洋服を自分で直して着ていた」
10代の頃からニューヨークに遊びにくるようになり、まわりの友人たちが大学に行く間、イースト・ビレッジで友達とショップを始めた。ビンテージの生地に手を加えて「ジュディ・ローゼン」とレーベルを貼った。
「当時はすべてが交渉だったし、大した元手も必要なかった。このショップを運営することが、私にとっての大学教育のようなものだった」
同時にアパレル企業の手伝いをしながら、プロダクションのノウハウを学んだ。そうやって少しずつ「ジュディ・ローゼン」は、手作りのビンテージ・ブランドから、デニムを中心としたコレクション・ブランドに成長していった。
ジュディの作る服は、カジュアルでポップだけれど、着る女性をセクシーに見せてくれる。
「胸やお尻の大きい体型をしていたから、子供の頃から大人の男性たちに性的な目で見られることが多かった。堂々と頭を高く生きていきたかったから、屈辱を感じるかわりに、自分の肉体やセクシュアリティを受け入れようという意識のあらわれだったんだと、今振り返って思うの」
ジュディは最近10代の頃から形を変えながら続けてきた「ジュディ・ローゼン」を畳む決意をした。最近出会ったパートナーと新しいブランドを立ち上げる準備をしている。
「これまで続けてこられたことは幸運だったけれど、次のステップに進まなければと思うようになってきた。自分ひとりでビジネスをやることの孤独に疲れたということもある。何人もの頭脳が一緒になったほうが、結果は力強いものになると思うから」
どれだけ住みづらい場所になろうと、ジュディにとってはニューヨークがホームタウンだ。
「最近、LAを訪れたときに、好きになっちゃったらどうしようってドキドキした。でもやっぱりニューヨークに感じる気持ちは起きなかった。四季とともに生きることが好きだし、秋も冬も大好き。それになにより、裕福な世界と貧乏な世界の両方を垣間みることができるこの街が大好きなんだと思う」