I never felt at home in New York, but maybe it is a good thing.
この街がホームだと感じたことはない。でもそれはきっといいことなんだと思う。
2000年代中盤に、まだ20代前半だったラケル・ナヴェに会った。モデルとして活躍しながらポラロイド・カメラを使って、とても個人的な写真を撮っていた。
元ボクサーで刑務所にいった父親との関係や、10代でアルコールとドラッグ中毒になった体験を経て、少女から女性になろうとする自分を撮り続けた写真のシリーズをまとめた『Live Free in Hell』という写真集と個展が衝撃的だった。PERISCOPE0号のために、何度かにわけて彼女にインタビューしている最中に、彼女の妊娠が発覚した。
この数年間、ちょこちょこ連絡はとっていたものの、久しぶりにブッシュウィックにあるアパートを訪ねてみると、あのときラケルのお腹のなかにいたイーグルはもう5歳になっていた。
「去年までの2年間、(演劇学校の)ザ・ウィリアム・エスパー・スタジオに通ったの。子供を産んでから、モデルとしての自分のアイデンティティにずれを感じるようになって、ちょうどインディペンデントの映画に何度か出る機会を得て、興味を持ったから。最初の1年は、とても自由。自己を知り、自分の俳優としてのツールを知り、それを拡大すること。でもそれは自分自身と向き合うことでもある。クラスに行くたびに、自分がさらされるような気持になって辛かったけれど、自分自身を発見するチャンスになった。母親になったことで、過去の自分が死んで、自分自身が何者かを見失ったような気持ちになっていたから」
ラケルは出産のことを説明するのに、「前の自分の死」という言葉を使った。そのことを指摘すると、大きく頷いた。
「その日から、頭のなかに、このそばにいる新しい人間がいることを常に意識しているというだけで、自分はもう違う存在になった。頭脳が変わり、新しい現実に慣れなければいけない。子育てに追われ、産後鬱と孤独にさいなまれて葛藤した」
ラケルは、シンデレラのドレスに身を包んだイーグルに愛情深く声をかけながら、淡々と出産後の自分を振り返った。
「表現者だからより辛かったのかもしれない。何かを作りたいという気持ちに身をまかせて刺激を受けていた自分から、夜子供を寝かしつけたら表現する気力もなく、口の端にチップスのかけらをくっつけて、ソファで呆然とテレビを見ている自分になってしまったから」
子供を産んだ母親はハッピーにふるまわなければいけないという社会のプレッシャーも感じた。
「母親たちはみんな、『幸せよ、すべてうまくいっていて、子供も元気に育っているし、ああ幸せ』と振る舞っていて、自分は産後鬱に苦しんでいても、それについてコネクトする相手もサポート・システムもない。だから今『MOM』というタイトルの本を作っている。妊娠したときから、出産、生まれてきたイーグル、産後鬱に苦しむ自分をすべて記録してきた。私の初期の作品は、女性の生き方についての定説と戦うことがテーマだったけれど、今は母親としての生き方の定説と戦うことがテーマになった」
今はモデルの仕事も限定的に続けながら、女優としての仕事に挑戦している。
「与えられた言葉を覚えて口にするという役割に欲求不満は感じるけれど、別の見方をすれば、自分の体や過去の体験で得たことをコラージュして、その役割を自分のものにすることができる。同時にそこには制限から自由になろうとする自分がいる。だから自分の作品を作りたいという欲求が大きくなる」
ニューヨークにきて7年が経つ。このことについて聞くとこんな答えが返ってきた。
「この街がホームだと感じたことはない。でもそれはきっといいことなんだと思う」