Vol.51 トラッドな春夏スーツ服地の知識を蓄えれば仕事も快適にこなせる。
\nサマースーツの定番服地となるウールトロについて、ニューヨーカーのチーフデザイナーの声と共にその特徴を予習。今シーズンのス...
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\n\n\n\nUNSUNG NEW YORKERS
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\nHaving the ability to create a new experience is why I am still in New York
\n新しいタイプの体験を作ることができるから、今まだ僕はここにいる
そもそもジョン・サントスと初めて会ったのがいつのことか、どこだったのか、覚えていない。ギャラリーのオープニングだったか、どこかのパーティで誰かに紹介されたのだと思う。デトロイト出身のフィリピン系アメリカ人。DJで、アート・ディレクターとしても生計を立てていた。
\nそんなジョンが、何年か前に、週末にアップステート(ニューヨーク州北部)でイベントを始めた。ニューヨーカーたちがキャンプ地に集ってワークショップに参加したり、共同でご飯を作ったりする。ちょっとヒップすぎる匂いがして、参加する気になれなかった。けれどこの夏、ジョンからきた案内はちょっと違っていた。
\nアップステートの仏教寺で一泊する、アルコールはなし、食事はお寺の人たちが食べている質素なもの、プログラムには瞑想やサウンドバス(音に浸る方法を使った癒やしの方法)もあれば、音楽の夜や映画の上映会も含まれていた。たまにはそういう機会も悪くない、と「On Topography(地形のうえで)」という言葉にヒントを得て<オントポ>と名付けられたイベントに参加した。
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\nプログラムには森のなかの<歩く瞑想>が含まれていた。
\nほとんど知らない同士の40人が参加したイベントは、自然のなかでゆっくり息をしながら、それぞれが普段の活動を他の参加者とシェアする平和でメローなものだった。人と人をつなげたり、各人がいい体験をしていること、そして見知らぬ同士が共通の体験をしていることに心を砕くジョンの姿に、心を打たれた。参加費は決して高いとはいえず、お金になるとは思えないけれど、人が集う場所を作ろうとするジョンに、話を聞くことにした。
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\n会場はニューヨーク州北部にある仏教寺だった。
\n「20歳のときにデトロイトからサンフランシスコに移住して、デトロイトの音をプロモーションするDIYのイベントを始めた。テクノやハウス、パンクといった音楽の壁、そしてそれぞれのシーンの社交の壁を打ち破る実験的なイベントだった」
\n音楽イベントをプロモーションするために、フライヤーやアルバムジャケットを作るうちにデザインに目覚めたジョンは、サンフランシスコでアート学校を卒業し、2003年にニューヨークに引っ越した。2001年の世界貿易センターを標的としたテロの後、文化的な空気が変わったと感じた。
\n「人々は恐怖心に苛まれ、安全で、親しみのある文化に戻っていった。ジュリアーニ市長がバーでダンスすることを禁じて、保守的な空気が流れていた。その頃<トニック>でパーティをやるようになった。マッシュアップの時代だったから、デトロイトのテクノだけでなく、ディスコ、レゲトン、ダンスホール、なんでもかけた。ファッション系の人もいれば、アート系の人もいた。そういうことを通じて、シーンの間にある壁を壊すことに興味を持つようになっていった」
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\n誰かが買ってきた花火で独立記念日の週末を祝った。
\nクラブでイベントをやることから、自然のなかでイベントを開催することに移行したきっかけは、友人たちとシェアしたアップステートの週末ハウスに、友人たちを招待するうちに、共同で料理を作ったり、自然のなかでの経験を共有することによって、真の結びつきが生まれることを体感したからだった。
\n「<オントポ>は僕にとってアートプロジェクトのようなもの。DJとして、プロモーターとしての経験と、デザイン、アートの分野で経験したことが、だんだん融合するようになって、人々の集いの場を作る新しい方法を模索するようになったんだ」
\n今、ジョンは年に3回、今回のように仏教寺で行う小規模のイベント、数百人程度の人が集まるイベント、そして少人数が参加するメキシコへの旅を主催している。金銭的なモチベーションはほとんどない。「やるたびに損をする」と笑うが、これがジョンの情熱のプロジェクトだから。
\n「かつてロウワー・イースト・サイドにいれば、様々な業界の違うタイプの人たちに出会うことができた。けれど不動産が高騰したおかげで、みんながばらばらのエリアに住むようになった。誰もが自分のコミュニティで生きていて、違う世界の人とふれあうことが難しくなった」
\nニューヨークに暮らすようになってもう10年以上が経ち、多くの人が去っていくのを目撃した。
\n「同じことをポートランドやL.A.でやっても、同じ結果にはならない。ニューヨークの住環境はあまりに抑圧的で、ここで暮らすことの辛さ以外の何かを、人々の心が切望している。新しいタイプの体験を作ることができるから、今まだ僕はここにいる」
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Navigator
佐久間 裕美子
ニューヨーク在住ライター。1973年生まれ。東京育ち。慶應大学卒業後、イェール大学で修士号を取得。1998年からニューヨーク在住。出版社、通信社などを経て2003年に独立。政治家(アル・ゴア副大統領、ショーペン元スウェーデン首相)、作家(カズオ・イシグロ、ポール・オースター)、デザイナー(川久保玲、トム・フォード)、アーティスト(草間彌生、ジェフ・クーンズ、杉本博司)など、幅広いジャンルにわたり多数の著名人・クリエーターにインタビュー。著書に「ヒップな生活革命」(朝日出版社)、翻訳書に「世界を動かすプレゼン力」(NHK出版)、「テロリストの息子」(朝日出版社)。
\nこの街は自分という人間を永遠に変えた。
\n\n\nVol.13\u3000自転車に乗っていれば、街中のいたるところで人にばったり会うことができる。
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