Vol.51 トラッドな春夏スーツ服地の知識を蓄えれば仕事も快適にこなせる。
サマースーツの定番服地となるウールトロについて、ニューヨーカーのチーフデザイナーの声と共にその特徴を予習。今シーズンのス...
ICON OF TRAD
どんなに人間ができた男性でも、ビジネスや交渉の場面ではあらゆる敵にであう。社会という戦場でぶつかる痛みを共に分かち合うオーバーコートは、現代の男性達の戦友ともいえる。
アイビーリーガーの必須アイテムだった
防水・防風・透湿・軽量性を兼ね備えた、黒いスタンドカラーのショートコートがビジネスウエアとして定着しているように思える。が、こうした流行が起こったのはここ数年のことにすぎない。
世に出まわっている洋服は、およそ2種類に分類されると、筆者は考えている。
それは伝統的な服と流行服である。前者は時代を越えて多くの人に愛用されてきた『変わらない服』であり、後者はトレンドに左右される『変化する服』といってよいだろう。
そこで黒い立ち衿のショートコートを流行服とするなら、伝統的なコートとはいったいなんであろうかといえば、それは重厚なウールで作られたオーバーコートをおいてほかにないのではなかろうか。
1957年に刊行され66年まで、毎年改訂版が出されてきたメンズ服飾本のベストセラー、エスクァイア版『Fashions for Men』HARPER & ROW刊(日本未訳)によると、カレッジワードローブにおける必須コートは、ダークカラーのフライフロント(比翼仕立て)コートだと明記している。
約50年ほど前は、学生といえどもドレス度は高かったのである。それは大学が、社会人として正しい服の着こなしとは何かを教える『服育』を大切にしていた証しなのであろう。
てなわけで、今回は本物のオーバーコートとは何か、ということについて考えてみることにしたい。
英国首相と皇太子のブリティッシュ・ウォーム
オーバーコートというと思い浮かぶひとつの写真がある。それはヤルタ会談で、チャーチル(ブリティッシュ・ウォーム)、ルーズベルト(ドレスケープ)、スターリン(ミリタリーコート)がそれぞれ防寒着を着用して椅子に腰掛けた記念写真である。
1945年2月に行われたこの会談では、第二次大戦後の世界を戦勝国がどのように管理するかが密かに話し合われたという。それは、その後にドイツの東西分断や冷戦構造を招き、さらには今日の北方領土問題に影響を及ぼす悪名高い密約の場でもあった。
しかしながら英米ソ、それぞれの首脳がコートも脱がずに写真におさまる。その異常ともいえる光景は、別の意味で、コートの持つ防護機能を物語っていないだろうか。
オーバーコートには雨や埃や寒さから身を守るという役割のほかに、敵意に満ちた周囲から己を保護する意味も隠されているからだ。つまりオーバーコートは、外に出れば7人の敵がいる、という大人の男に必要なアイテムといえるのかもしれない。
言い替えると、数十年も仕事で苦楽をともにしたオーバーコートは、男にとって戦友のように手放し難い服になるのである。
で、ブリティッシュ・ウォームだが、このコートはインドに駐留した英陸軍の将校が20世紀初頭に採用した厳寒対策のコートであった。軍服であるから、エポーレット(肩章)が付き、コートの上から革のベルトが装着できるようになっていた。
しかしながら1930年代あたりからこれを街着として着始めるようになると、ディテールや着丈などがさまざまに変化する。しかしデザインの基本は、チャールズ皇太子が愛用しているものを理想と考えたい。
ボタンは革製のくるみボタン。背ベルトはなし。着丈はひざが隠れるか隠れないくらいの長さで、肩幅も少しドロップショルダー気味に仕立てる。しかしウエストはほどよくシェープを入れて、優雅さと男らしさ醸し出す。
本物のオーバーコートは、こうしたバランスがエレガントなのである。
いい忘れたが、ブリティッシュ・ウォームの色は、灰色がかったカーキで、これを英国ではフォーン(Fawn / 子鹿色)と表現している。生地は分厚いメルトンで、極寒地対策として、昔はこれに羊毛のライニングまで付けたものがあったという。
最もフォーマルなチェスターフィールド
クラシックなオーバーコートのなかで、もっともドレス度が高いのがチェスターフィールドである。この名前は1830年代から40年代にファッションリーダーとして活躍したチェスターフィールド伯爵の名前にちなんだもので、伯爵がこの形のコートを最初に着用したということではない。
デザインのルーツは、フロックコートからきているらしい。その名残で、こうしたクラシックなコートには、たいてい箱型の胸ポケットが付いており、そこに白い麻のポケットチーフを飾る者もいた。シングルブレストとダブルブレストの両方があり、シングルブレストの場合は、前合わせがフライフロント(比翼仕立て。前ボタンを布で隠した製法)になっている。着丈は、ひざが完全に隠れるフルレングスが普遍であった。
服地は、グレーのヘリンボーン、黒、ダークブルー、ベージュの無地。素材は必ずしもカシミアがベストというわけでなく、英国紳士はむしろクロンビーと通称される緻密で厚手のウール製コート地を好んだという。
ポール・キアーズ著『英国紳士はお洒落だ』(飛鳥新社 刊)によると、チェスターフィールドの上衿に黒いビロードを貼る慣習は、フランス革命(1789年〜1799年)に溯るという。パリで処刑された貴族へ哀悼に意を示すために、喪章代わりに配されたのが黒いビロード衿。それがいつしかハイファッションになり、チェスターフィールドの上衿にも正装のステータスとして飾られるようになったのだ。
スポーティなカバートコート
着丈の長いオーバーコートを2種紹介したが、カバートコートはひざより5〜10cmは短い、足さばきのよいコートである。軽快で活動的な着丈にした理由は、このコートがカントリー用として19世紀末から愛用されたからである。
このコートに使用される服地、カバート・コーティングのカバート(COVERT)とは、薮や茂みなどに隠れる動物の棲み家を指す言葉。つまりもとはハンティングウェアなどに使用された生地だった。
軽い綾織り地で、綾目が急角度になっているために、ある程度の撥水性能も保持していた。色は、淡いミックス調のブラウンが一般的だが、昔は狩猟用として深いグリーンなども織られていた。
イラストは英国の著名な写真家であり舞台美術家であった、セシル・ビートン卿の正統的なカバートコートである。
よく見るとコートの裾に4本の太いステッチが入っている。これを仕立て屋はレールローディング(鉄道施設工事)と呼んでいる。このステッチは袖先や胸ポケットのフラップに入れることもあった。
乗馬や狩猟用として開発されたスリムで着丈の短いカバートコートであるが、軽いウールなので英国の気候ならかなり長い期間着用できる。そのためフォーマルオケージョン以外の、英国紳士の日常的コートとしても活用されているようだ。
Navigator
遠山 周平
服飾評論家。1951年東京生まれ。日本大学理工学部建築学科出身。取材を第一に、自らの体感を優先した『買って、試して、書く』を信条にする。豊富な知識と経験をもとにした、流行に迎合しないタイムレスなスタイル提案は多くの支持を獲得している。天皇陛下のテーラー、服部晋が主催する私塾キンテーラーリングアカデミーで4年間服づくりの修行を積んだ。著書に『背広のプライド』(亀鑑書房)『洒脱自在』(中央公論新社)などがある。
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