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皇室御用達にもなったバブアーと、セレブにも愛されたベルスタッフ。傑作となった2つのワックスジャケットの歴史を紐解いてみよう。
スローン・レンジャーって何だろう
文豪のバルザックは『風俗のパトロジー』新評論刊で、こんなことを書いている。
『文明人、野蛮人を問わず、人生の目的は休息にある。全くの休息は憂鬱を生む。優雅な生活とは、大きく言って休息を楽しくする術をいう。つねひごろ労働に勤しんでいる者には優雅な生活がわからない。いやしくも上流人士なら休息を享受しなければならない』
スローン・レンジャーとは、まさにこんな生活を知る人々ではなかったろうか。
ロンドンのスローンスクエアと呼ばれる地域は高級住宅地であり、付近には一流ブランド品を売る店や洒落たレストランも点在する。ここに生息し、裕福な生活をおくる人々のことを、いつしか(1980年代頃)スローン・レンジャーと呼ぶようになった。
スローン・レンジャーの語源は1960年代にTV放映された『ローン・レンジャー』にある。ローン・レンジャーは、白づくめのウエスタンルックで白馬にまたがり、銀の銃弾で悪を倒す孤高の保安官。いっぽうスローン・レンジャーは、白馬の代わりにレンジローバーに乗り、都会の真ん中でオイル入りのパーカを羽織っていることが多い。
たとえば週末のスローンスクエアで、厚手のフィッシャーマンニットにコーデュロイのトラウザーズ、そして少々くたびれたワックスジャケットの男が歩いていたら、いったい誰が彼のことを、貴族や巨大企業の役員だと思うだろうか。しかしよく見ると、履きなれた茶色の革靴は、オーダーメイドのジョン・ロブだったりするのである。
このように英国人のカジュアルは、ルーツがカントリースポーツウェアから派生したものだけに、アメリカントラッドやイタリアントラッドのように一筋縄では理解できない。
今回は彼らの独特な嗜好を2つの代表的なワックスジャケットから紐解いてみたい。
安物のタキシードよりバブアーが上等、という伝説
ベルンハルト・レッツェルは『GENTLEMAN』KONEMANN刊という本のなかでバブアーに関して以下のように記しているので要約しておこう。
『バブアーを入手することは、単に防水ジャケットを手に入れるというだけではない。それはクラスの仲間入りをしたということである。夜の社交場で着るものに迷ったら、身体に合わないタキシードを着ていくより、非常識だが、バブアーにジーンズとセーターを着ていったほうが見映えがいい。さらに腕時計のディテールも完璧なら、申し分ない』
バブルの香りが漂うスノッブな文章だけれどバブアーの奥深さは感じて戴けると思う。
バブアーは1974年にエジンバラ公、1982年にエリザベス女王、そして1987年にチャールズ皇太子と、3つのロイヤルワラントを獲得している。
ブランドのタグには、3人の王室ご用達を示す証しとして、それぞれの紋章が付いている。古着好きに言わせると、この紋章の数が少ないほど古いもので、すなわちヴィンテージ的な価値が高いらしい。
ウェルドレッサーとして知られ、自らもバブアーを愛用していた故 加藤和彦氏は、10数万円もするヴィンテージジーンズを購入するくらいなら、飛行機でロンドンに飛び、ポートベローのマーケットあたりで戦前のバブアーを探すほうが粋だ、という主旨のことを嶋中書店が編集していた頃の雑誌『GQ』で書かれていた記憶がある。
戦前のバブアーとは、ブランドタグに灯台のマークが付いていた。加藤氏が指摘するように、バブアーのような定番製品は代々ヘリテージされるもの。つまり、爺さんの代から受け継がれたような戦前のバブアーを着ていることは、スノッブ(上流嗜好)な人にとってステータスなのである。
バブアーは1894年頃にジョン・バブアーによって創業。1908年にはワックスジャケットの原型がカタログに掲載された。現在のバブアーには軽量、中厚、厚手の3種の重さの生地がある。軽量は、生地の風合いが今ひとつ物足りないため、着用するなら中厚か厚手なものをお勧めしたい。
バブアーの生地は、繊維長の長い上質なエジプトコットンが使用され、そこにワックスがたっぷり染み込ませてあるが、じきにベタベタ感は落ち着く。防水性が落ちたら、新たに手などでワックスを塗り直せばよい。またこの生地は、ソーンプルーフ(植物の刺に強い)性も保持している。
皇太子がカントリースポーツウェアを流行させた
英国の裕福な人々が郊外で余暇を過ごすようになったのは、19世紀後半といわれている。それまでスーツとフォーマルウェアしか必要のなかった英国紳士が、カントリーでスポーツを楽しむ習慣を身につけたのは、後のエドワード7世、ヴィクトリア朝時代の腕白皇太子(プリンス・オブ・ウェールズ)の影響だといわれる。
皇太子は、ヴィクトリア女王の厳しい躾がトラウマになって、成人してからは女好き、お洒落好き、カントリースポーツ好きという、ダンディ道を驀進する。おかげで、彼の取り巻きの富裕層たちも皆、フィッシング、ハンティング、乗馬といった、文豪バルザックのいうところの『休息を楽しむ術』に熱中したわけだ。
元はスコッランドの漁師や農民の作業着として使用されていたワックスコットンが、この時代にワックスジャケットとしてカントリースポーツウェアなどに使用され始めたのには、こんな理由が隠されていたわけである。
女性冒険家に愛されたベルスタッフ
またこの時代はモータリゼーションの幕開けでもあった。クルマだけでなく、モーターサイクル、さらには飛行機が登場。こうした新しい乗り物向けの防水、防風、通気クロージングとして、ワックスジャケットは注目されることになる。
1907年には、オートバイレースの古典として今も続けられるマン島TTレースがスタートする。その2年後には、スコットランドでトライアルレースも開催。泥水や埃などから、レーサーを保護するために注目されたのがワックスコットンだった。
ベルスタッフの創業者エリ・ベロヴィッチは、第一次大戦中にケープやテントの生地として英国軍にワックスコットンを卸していた。その後、ベロヴィッチは義理の息子ハリー・グロスバーグとともに、この生地を使用したカーレースや飛行士のためのオーダーメイドを始める。
これらのクロージングは、男性の冒険家の間で評判を呼んだが、ベルスタッフの顧客には女性飛行家として知られるアメリア・イアハート(映画『アメリア 永遠の翼』)やエイミー・ジョンソン、さらにはブルックランズのオートバイレースに女性として最年少出場したドーリン・エヴァンズなどもいたという。
そして1948年、ベルスタッフはスコットランドのトライアルレース用に、この土地の独特な厳しい風土を考慮して特別にデザインした、トライアルマスター4ポケットジャケットを生み出すのである。
ライディング姿勢まで考え抜いたこのジャケットは、プロのライダーだけでなく、スティーブ・マックイーン、ユアン・マクレガー、デビッド・ベッカムといったバイク好きのセレブにも愛用されている。
ジーンズやTシャツのように、傑作と呼ばれる服は老若男女に愛される。ワックスジャケットもこの例に漏れないわけである。
参考文献/BELSTAFF『A HISTORY OF SPEED & STYLE』
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遠山 周平
服飾評論家。1951年東京生まれ。日本大学理工学部建築学科出身。取材を第一に、自らの体感を優先した『買って、試して、書く』を信条にする。豊富な知識と経験をもとにした、流行に迎合しないタイムレスなスタイル提案は多くの支持を獲得している。天皇陛下のテーラー、服部晋が主催する私塾キンテーラーリングアカデミーで4年間服づくりの修行を積んだ。著書に『背広のプライド』(亀鑑書房)『洒脱自在』(中央公論新社)などがある。
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