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Reading the leading shoes
アンドレ・アガシがナイキと再契約したことによって、最近になって懐かしいエアテック チャレンジシリーズのいくつかのシューズが復刻され、自分の知り合いでも90年代の彼に憧れた世代はこぞって購入している。
アガシは女優のブルック・シールズと離婚後に女子テニスプレーヤーのシュテフィ・グラフと再婚したが、彼女がアディダスの契約選手だったこともあって、しばらくアディダスのウェアとシューズを着用してプレーしていた時期があったのだ。これには正直違和感を覚えた。アンドレ・アガシは90年代のナイキを象徴するテニスプレーヤーだったからである。
一方で80年代に青春時代を過ごしたものにとってナイキを象徴するテニスプレーヤーはなんといってもジョン・マッケンローである。コート上のマナーの悪さから「悪童」のニックネームでも呼ばれたが、実力のほうは一級品。ビョルン・ボルグとの伝説のタイブレークが当時大きな話題となった 1980年ウィンブルドンの決勝における4時間近い死闘は、現在も語り草となっている。
そんなマッケンローの足元に輝いていたのが、ホワイトアッパーにライトブルーのスウッシュが入れられたナイキのテニスシューズであり、日本ではフォレストヒルズの名前でほぼ同じタイプが購入できた。
この当時マッケンローはウェアに関してはセルジオ・タッキーニを着ていたが、この組み合わせは日本のキャンパスでも流行のスタイリングとなった。もちろんカジュアルシーンではテニスショーツの替わりにファーラーのフレアパンツやリーバイス501などに変化したが。個人的にはナイキ フォレストヒルズは当時中学生だった自分には高嶺の花だったから、最終的には手に入れられなかった悔しい思い出があるスニーカーだ。
フォレストヒルズとはかつて全米オープンが行われたニューヨークの地名に由来するが、開催地は1978年よりクイーンズ地区のフラッシングメドウへと移っている。
それと同じように現在ナイキにおいてフォレストヒルズの名は使用されておらず、マッケンローが着用していた当時のクラシックなデザインのテニスシューズは、テニスクラシックの名前で展開されており、当時のことを懐かしむ世代はもちろん、マッケンローの活躍を知らない若い世代からも高い支持を得ることに成功している。
※写真は90年代に復刻されたフォレストヒルズ
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南井正弘
47歳/愛知県出身/靴に詳しいフリージャーナリスト
「楽しく走る!」をモットーに、ほぼ毎日のランニングを欠かさないファンランナー。
レッドウイングの8875
J.M.ウエストンのモカシン180