TRADITIONAL STYLE

Vol.11 中川一康


Jul 8th, 2013

Photo_shota matsumoto
Text_jun takahashi

情熱を込めたシューズリペアが評判のUNION WORKS代表の中川さんにインタビュー。まずは中川さんがはじめて買った靴から聞いてみました。

はじめて買った、ナイキのスニーカー。

ー 中川さんが靴に興味を持ったのはいつくらいですか?

中川一康 記憶があるのは中学生の時に買ったナイキのスニーカーです。すごく嬉しかったのを覚えていますね。靴って洋服よりも立体的だから、ミニカーを買ってもらった子供のように、毎日あっちから見たり、こっちから見たりして。

ー スニーカーなんですね。てっきり革靴かと思っていました。

中川一康 いえいえ。まだ何も知らない中学生ですからね。自分で選んで買ったのはナイキのテニスシューズです。革靴は高校生の時に買ったリーガルが最初。雑誌や格好いい先輩への憧れで手に入れました。当時、僕の周りでローファーが有名なBassが世界一、その次に良いのがリーガルという独自の格付けがあったのですが、何故か昔からローファーには興味がなかったので、黒くてゴロっとしたリーガルの短靴をよく履いていました。

ー リーガルとの出会いが、後に靴のリペアショップを開業するきっかけだったんですか?

中川一康 そうだったら格好いい話になるかも知れませんが、実際は全然違うんです。本当は洋服屋をやりたかったんですよ。大学卒業後、ファッションデザイナーへの憧れを抱いてアパレル関係の会社に就職したんですが、どうもその会社のやりかたに馴染めずに、すぐに辞めてしまいました。しばらくブラブラといろんなバイトをして、26歳の頃にやさぐれた気持ちで入ったのが、商店街にある、靴の修理屋。カギの複製もやるし、傘の修理もするし、靴のリペアもやる、そんなスタイルの会社でした。

ー ということは、靴を直すことにこだわりをもっているようなお店では……

中川一康 ほとんどありませんね。流れ作業で、お客さんからオーダーがあったところのみをちゃちゃっと直すだけでしたから。「俺、ついに終わったな」って常日頃思いながら、暗い職場で暗い気持ちで働いていました。

辛かった靴修理屋勤務時代。

ー 辞めたくならなかったんですか?

中川一康 何度もなりましたよ。ただ、昔から手先が器用だったので、靴修理の作業に対してはすごく集中できたんですよ。あと、辞めなかった理由がもうひとつ。ごくまれにですが、イギリス製のしっかりした靴が修理で来るんですね。ワクワクしながらバラバラにして、構造のすごさとか、つくりの良さを目で見て手で触って、大好きな革靴とずっとつきあう仕事として、靴の修理と真剣に向き合いたいと思いました。でも、そのイギリス靴を丁寧に直そうとすると、当時の社長や工場長には呆れられていましたけどね。

ただ、そんな会社に務めていたことは、全部が悪いことばかりではなかったです。手先の器用さは認められていたので、すぐに靴底の全交換など、難しい靴の修理を担当していたんです。靴をバラして、組み立てて、磨くところまで自分の手で完結できるのが性格的にも合っていたんだと思うんです。それと今のユニオンワークスのスタイルは、ある意味当時の経験を反面教師にさせてもらっているんですよね。靴の修理以外にもいろいろと経験させていただいて、感謝もしています。

映画『小さな恋のメロディ』から生まれた、イギリスへの憧れ。

ー 先ほどイギリス製の靴の修理にワクワクしていたと伺いましたが、どんなところが好きなんですか?

中川一康 小学校の低学年のころ、おばあちゃんに連れられて観た『小さな恋のメロディ』というイギリス映画の影響です。劇中に出てくる子供達と同じ世代だったのですが、何もかもが格好良く見えて。今にして思えば当たり前ですが、服装や生活、髪型など全てが自分の周りと違うことに衝撃を受け、子供ながらに打ちのめされちゃいました。

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小さな恋のメロディ

1971年のイギリス映画。後に「ミッドナイト・エクスプレス」で成功した脚本家、アラン・パーカーの処女作。伝統的なパブリック・スクールに通う少年少女たちの青春物語。中川さんは不良役のオーンショーが一番のお気に入り。

ー 私立のエリート校という設定なので、子供達がしっかり制服を来て登校しているんですよね。

中川一康 そうそう。紺の制服でちゃんとネクタイをして、革の鞄を持ってね。学校が終わったら真っ赤なバスに乗ってウエストに遊びに行ったりして。何よりも劇中で小学生がたばこを吸っているのが驚きました。

元々、子供の頃から大人への憧れが強かったことも大きいと思います。そこに来てこの映画を観たことによって、ビシっと方向性を定めたんですかね。余談ですが、今の若者は大人に対して、自分の知らない世界に憧れがないですよね。僕の息子は中3ですけど、酒もたばこもクルマも海外も興味ないみたいです。あと、イギリス製の靴にも。

たった9坪からスタートした、中川さんのリペアショップ。

ー 中川さんの下積み時代に話を戻しますが、独立してリペアショップを開業するイメージは早くからあったんですか?

中川一康 すぐに、というわけではなくて、徐々に理想のリペアショップ像みたいなものが自分の中で生まれてきたんです。『男性用の英国靴で、グッドイヤーウェルト工場でつくられた靴の補修しかしない』というスタイルでやろうと。当時は日本中探してもそんなことをしている修理屋はありませんでした。そんなこだわりをもって実際に開業できたことは、今でも自分にとって自負していることなんです。

ー 修理だけでなく、自分で経営もするとなると、いろいろな壁がありそうですね。

中川一康 ええ。何も知らないで独立したのでいろいろおかしかったですね。世田谷区にある、1LDKの小さなマンションの1室でスタートしたのですが、まあひどかった。たった9坪の『コ』の字のカタチをした変な間取りの物件を住居兼作業場にして。最初はお金が無いからまともな機械もなく、誰にも負けない技術だけはあるのに、ろくな修理ができなくてヤキモキして。

それに店といっても、パッとみた感じはただの住居なので、チャイムが鳴ったら「はーい」とトビラを開けて「靴を……」といわれて「ああ、修理ですね。ありがとうございます」みたいな。預かり伝票とか何もないし、完全に口約束でやってました。

宝物を再生するということ。

ー 靴修理に必要な機械はどうやって入手したんですか?

中川一康 絶対必要なのがグラインダーとミシンなのですが、ラッキーなことに、とある靴の修理屋さんから譲ってもらったんです。ただ、アウトステッチ用(靴の甲と底をつなぎ合わせる縫い目)のミシンだけは高くて買えず、しばらく外注でお願いしていました。当時はこのミシンを持っている修理屋なんて無くて、職人気質のおじいちゃんと何度もケンカしましたね。仕上げがひどいことが多くて。毎日砂を噛むような気持ちでしたよ。つまり、どこもそのレベルで充分に靴の修理屋を名乗れた時代なんです。

ー そんな世田谷時代を経て、渋谷にお店をオープンさせることにもなったきっかけがあると聞いています。

中川一康 はい。機械を譲ってもらったこと以外にも、たくさんラッキーが重なったんです。雑誌『Begin』が取材にきてくれたこと、大手セレクトショップの仕事が取れたこと。たしか30歳の春でしたね。もちろんそれだけでなく、日々の修理もしっかりやって。

ー 日々妥協せずに修理をしていたことが広まったんですね。中川さんが靴の修理をする上で一番大切にしていることを教えてください。

中川一康 裏切らないことです。僕たちはモノを売って終わりじゃなくて、お客様の思い入れがある宝物を預かって、再生するので、重い責任があります。適当にやって「失敗しちゃいました。次から頑張ります」なんてあり得ないですから、宝物を完璧にして戻したいんですよ。この考えをユニオンワークスで働く全スタッフが共有していることがもう一つの自負なんです。最高のスタッフに囲まれて僕は本当に幸せ者です。

いつかは原点回帰したい。

ー 今でも中川さんが靴の修理をすることってあるんですか?

中川一康 ……全くやらなくはないのですが、正直言うと、もう昔のようには修理できないんですよ。最初の10年くらいは自分の修理屋としてのブランドを維持するために、僕が現場で陣頭指揮を執ってやっていました。7〜8年くらい前の取材ではよく豆だらけの右手を見せて、週2日は作業着を着て修理をしてますよと言って。でも今「俺にやらせてみろ」と工場に行ったら、絶対にみんなに迷惑がかかる。なぜなら、みんなよりも下手になっちゃったから。きっとみんなは気を遣って「さすがですね」なんて言ってくれるけど、手が鈍っているのは自分が一番良く知っていますから。たまに雑誌でカリスマシューリペアとか書いてくれていますけど、実際は何もやっていないんですよ、口を出すだけで。それが本当に寂しい。

でもね、ひとつ楽しみなことがあって、いつか自分一人だけで靴の修理屋をまた開きたいんですよ。昔みたいに必死に手を動かして、汗水垂らしながら真剣に靴を自分の手で直したい。そんなことを夢見ています。

アンダーステイトであること。

ー ここにもたくさんの靴がありますが、どれも中川さんのモノですか? 想像していたよりも多くて驚きました。

中川一康 はい。今も履いている靴ですね。一部資料用に購入したものもありますが。実はここだけでなく店舗にもあるし、自宅にもあるので、もうこれ以上靴は要らないです。靴はローテーションして履くべきなので、5足あれば充分なんですよ。

ー その5足を修理しながら、大切に履いていくのがベストですね。

中川一康 そうですね。汚れや傷だってその人にとってはストーリーになりますから。やっぱり永く愛され、履かれた靴には敵わないんですよ。それに紳士靴って買ったその日が一番格好悪いんですよね。ツルツルで味がないし、ストーリーを感じさせない。ただ、女性の靴はその逆で、新品が一番美しい。どんなに高価なブランド品でも履きつぶされたサンダルはちょっと可哀想です。

ー 洋服に対して中川さんのファッションスタイルの流儀、こだわりってありますか?

中川一康 アンダーステイトであることですね。『控えめであること』という意味です。決して華美でなく、必要以上に目立たない着こなしを心掛けています。というのも30歳からこの仕事を始めて、僕にとってファッションとは基本的に接客のための服選びなんです。今日着ているこのスーツも全く同じ生地、カット、パターンで6着は持っています。色だけは変えているのですが、濃紺と黒みたいな揃え方なので遠目では全く違いが分かりませんね。あと、シャツは白。対峙している人に失礼が無く、自分も凛としていられるのがこの組み合わせなんです。

ー 最後に座右の銘を教えてください。

中川一康 僕が考えた座右の銘でもあり、社訓でもあるのですが『 I’m Happy! You are Happy! Everybody Happy!』です。良い仕事ができた! で自分がハッピー。次にお客様に喜んでいただいて相手がハッピー。で、最後にみんなハッピーに。お客さまに尽くすばかりで自分がアンハッピーだと、長く続けられないと思うんですよね。まず靴職人それぞれが、自分が納得できる修理ができて幸せだと思い、それを相手に伝える。そんなUNION WORKSであり続けたいと思います。

UNION WORKS AOYAMA

東京都渋谷区神宮前3-38-11 パズル青山1F
TEL 03-5414-1014 FAX 03-5414-1730
営業時間 12:00~20:00
水曜定休日

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