将棋は初めから連勝。
ー 将棋との出会いを教えてください。
加藤一二三 記憶をたどりますと、小学一年生くらいですかね。近所で子供たちが将棋を指していまして、それをジーっと見てルールを覚えたんです。段々興味が沸いてきて自分も指すようになりました。もうね、最初から連戦連勝でしたから。
ー えっ!? 最初からですか?
加藤一二三 そうそう。あまりにも勝ってばっかりだったからね、相手がいなくなっちゃった。だからしばらく将棋を指さない時期もありましたねえ。まあ将棋以外にも子供はいろんな遊びを知っているので、凧揚げしたり、めんこ遊びとか、川に魚釣りに行って、みんなでラムネを飲んでたなあ。
ー 子供らしい遊びもしていたんですね。ちなみにご出身はどちらですか?
加藤一二三 福岡県の嘉麻市です。私が生まれた頃は市ではなかったですが。あ、そうそう、ちょっと話が一気に飛びますけれども、昨年の11月3日に西日本新聞社から社会文化賞というのを受賞したんですよ。新聞社ってのはいろいろとタイトル戦を長く主宰していまして、西日本新聞社は『王位戦』というのを主催しているんです。ちなみに私、44歳のときに第25期の王位になっているんです。
ー 30年ほど前ですね。
加藤一二三 そうそう。それでね、九州で行われる王位戦の立ち会いでよく九州に行っているんですが、そういったことも評価されて副賞付きの大賞をもらっちゃいました。なんでもこの賞ってのは昭和15年に創設されたそうで、ちょうど私が生まれたのも昭和15年だったから、何かの縁ですかね。
ー それも14歳でプロになり、今でもずっと一線の棋士として活躍されてるからですね。
研究対象になる、加藤棒銀。
ー プロになる前から、ずっと加藤さんがこだわっている戦術があると聞いています。
加藤一二三 ええ、ええ。棒銀という作戦ですね。どの棋士も指す、定番の戦法なんですが、私はいまだに棒銀にこだわって将棋を指すので、よく「加藤棒銀」と言われるんです。まあ、棒銀と一口に言いましても、語りだせば一日中話せるくらい、いっぱい話があるのですが、私の棒銀の話をしますね。羽生善治三冠が一昨年出された著書の中で、私の棒銀についてこう書かれています。
『加藤先生は長年棒銀をやっている。長年やっていて、いまでは若手棋士たちの研究対象になっており、研究し尽くした棋士たちに狙い撃ちされている』と。その後に『作戦が読まれて相手の研究にはまる危険性を考えると、現実にそういう人はほとんどいない。だが加藤先生は全然恐れておられないようだ』と。
羽生さんからすると、棒銀を続けていることで、対策を練られているけれど、こだわりをもって棒銀を指していることに好意的な評価をしてくれているんですね。
ー なるほど。ただ、どんなにこだわりがあっても、勝負に勝たなければダメですよね?
加藤一二三 そう。長いこと棒銀をやってるから、あまり勝てない時期もありました。というのも若手棋士は『加藤先生が棒銀で来た』ってなったら、もうルンルン気分でやってくるわけ。棋譜という、記録が残っているから全部研究できるからね。長いこと棒銀で相手に対する突破口をなかなか見つけることができなかったんだけれども、2年前にね、すごいのを見つけちゃって。
棒銀続行宣言。
加藤一二三 2年前の千葉幸生六段との勝負で、すばらしい棒銀の攻め方というのを見つけたんです。相手に対して脅威を与えるような攻め方なんですね。もう何十年もやっているものですから、試合中に見つけたことは、それはそれは幸運だったわけです。私の将棋に大転換が起きるほどに。つまりね、羽生さんの言うとおり今までは加藤の棒銀は研究され尽くされて狙い撃ちされていたんだけど、もうどんどん狙い撃ちされていいんです。私はそれを上回る手を見つけたんだから。
ー 今でも棒銀が進化している、ということですね。
加藤一二三 今は10局指したら五分五分くらい。私が思いますに、途中の戦い方にまだ改良が必要なんです。その改良をして、私が途中で間違ったりしなければ、もっともっと勝てます。
ー それほどまでに棒銀を指し続ける理由って何ですか?
加藤一二三 ここで辞めたら男が廃る、ということです。今まで負けてもずっとこだわって棒銀をやってきて、その蓄積によって新しいアイデアが生まれて、こうして戦えるんだから。
もうね、棒銀宣言ですよ。私は元気いっぱいこれからも棒銀で行きますよ、と。そして今度羽生さん会ったときに言っときます。「羽生さん、あの本に書いた『若手に狙い撃ちされている』」というのは訂正してくださいと(大爆笑)。
ー 好きな駒ってあるんですか?
加藤一二三 銀! やっぱり銀ですよ。第40期名人戦で中原誠名人と戦った1982年7月31日。夜の9時1分に、3ー銀(サンイチギン)と私が打って、中原名人が「負けました」と投了し、名人になったんです。棒銀一筋でやってきて、念願の名人になったのも銀ということで。
ー 銀に何か縁があるんですね。
加藤一二三 そうかも知れませんね。銀の性格とも相性が合うかもしれませんね。銀の他にもいろんな駒があって、例えば金。王将のすぐ横にいて、いわば側近です。側近ですから穏やかで、守りを担当することが多いですね。一方銀は攻めることが多い駒で、たとえるならば営業部員ですわ。
ー 攻める姿も外回り営業みたいな感じです。
加藤一二三 王将に「外に行って仕事取ってこい!」と怒鳴られて飛び出していくんですね。さしあたって私は銀を操る営業部長(笑)。
それと、銀という駒の後ろに下がる動きがダイナミック。下がるときには斜め後ろしか動けないんだけど、これがまた躍動感があって。銀が下がるとき、空気が動きますよ。パシーンと。金はまっすぐ後ろに下がれるんだけど、ほとんど音がしませんね。やっぱり。
盤面から、景色を眺める。
ー 対局中どんなことを考えるんですか?
加藤一二三 まず、盤面をぱっと見て、5手以上の手が浮かんできます。それを頭の中で先の先の先の手くらいまでを読んで、一番良い手を指します。将棋の手って、10の22乗あるそうです。天文学的な数字ですよね。どうやら棋士って理数系の方が多いみたいですよ。
ー 確率という話になると、確かに数学ですよね。加藤さんは理数系なんですか?
加藤一二三 私は自分で文系の人間だと思っています。盤面をみるとね、5つの景色が見えてくるんですよ。
『こう指すと相手がこう指す確率は平均何パーセント』といった計算は、私にとって後の話なの。中川大輔八段に聞いたら、君は体育会系だと言われましたけども(大爆笑)。
対局に対する、様々なこだわり。
ー 戦術以外にも、こだわりが多いことで有名ですね。音、室温、座布団の位置など……
加藤一二三 タイトル戦の立ち会いなんかでは、まず、一番落ち着いて対局できる場所に盤を設置します。室温も丁度良い温度に設定して。人工の滝、水車の音も止めたことがありますね。あと、座布団も、私の判断で替えさせることもあります。
ー 座布団ですか。座り心地が重要なんですか?
加藤一二三 色が重要ですね。将棋連盟は1年間のうち、座布団をたくさん購入します。今は2種類あって、今年の1月に購入したのが、モスグリーンで、一つ前がブルーのやつ。僕の本音を言いますと、このモスグリーンの座布団、私は反対なんです。
ー 和な感じがして、良いと思いますが。
加藤一二三 もちろんいい色ですよ。私が棋士でなければ褒めます。ただし1つ、私からすると、これはあまりにも慎まし過ぎて。なんだかこの色を前にしていると闘志が沸かないんです。
去年、森内名人と達人戦の将棋を指しました。森内名人は背広だったのですが、その色というのがモスグリーン。かれこれ6時間対峙しまして、私が必勝の局面になったところ、大ミスをしてしまって、逆転負けをしてしまったんです。その理由を考えるに、森内名人のモスグリーンの背広を前にして戦っていたことが大きな原因だと思っています。やっぱね、モスグリーンのもつ、自然界にしかなさそうな綺麗な色ってのは、気持ちが落ち着きすぎて、カッカしないんです。闘いですから、若干カッカしていたい。
というわけで、一つ前のブルーを必ず使っています。でもね、ブルーを置くときにも向きが重要で、座ったときに右前に無地がくると、くつろげるの。柄が来ちゃうと、何だか息が詰まりそう。まあ美学ね、加藤美学だ、これは(笑)。
ー 色まで考えていたとは知りませんでした。加藤さんは対局時、どんな色の服を着るんですか?
加藤一二三 大体紺系のスーツです。人によって違いますが、勝ったイメージを大切にするから、同じ背広や和服を着る棋士はきっと多いはず。ただね、羽生さんはちょっと人と違ってて面白いんです。羽生さんはたとえ勝ったとしても、翌日和服からスーツになったり、色をガラっと変えちゃったり。きっと一局一局新鮮な気分で将棋と向かい合うために服装も変えているだと私は推察しています。それは羽生さんの作戦にも良く現れていて、私の3倍くらいの戦術のレパートリーを持っているんです。私は棒銀だけど、羽生さんはどんな手で来るか本当にわからない。彼が強い理由の一つです。
神谷八段との3度の緊迫。
ー 棋士一人一人にいろんな個性があるんですね。
加藤一二三 うん。そういったことも含めて将棋なんですね。神谷広志八段という28連勝した大記録を持っている棋士がいるのですが、彼とは3度、緊迫した場面があります。
1回目は対局中に、私が神谷さんの駒をチョンチョンと触った時「私の駒に触らないで」と言ったんです。将棋の駒は取ったり取られたりするものなので、自分の駒、という感覚が私にはなかったんです。でも神谷さんは違って。まあ、それ以降触らなかったですが。
2回目はストーブ事件。将棋会館の暖房ってちょっと音がうるさく、落ち着かないんです。そこで愛用の電気ストーブを使うのですが、神谷さんも寒くないようにと思って向けたところ「顔が熱くなるからやめてください」。私は素直に「はい、やめます」と。
3回目はですね、対局前に記録係が盤を置きました。私は記録係が置いた盤に満足できず、僕が気に入っている盤を置いたわけ。そしたら神谷さんがやってきて「加藤先生、記録係がセッティングする盤の位置に戻してください」と言いました。公平にくじ引きで、神谷さんが主張していた盤で戦うことになったんです。
ところが、オチがあるんです。三度も緊迫シーンがある間柄なんだけど、私が前にかわいそうな野良猫に世話をして、近隣の住民からクレームが来たことがありました。ちょうどそのことが報道されていた時期に、年に一度の将棋連盟の総会あったのですが、神谷さんがツカツカとやってきて、「加藤先生、私はね、加藤先生の今回のあの生き方を支持します」と言ってくれたの。緊迫シーンはあったけど、神谷さんと私はね、友達なんですよ。
将棋界のこれから。
ー コンピューターと人が将棋を指したりと、将棋の世界も近年変わってきている印象を受けます。加藤さんは棋士として、どんな将棋界の未来を目指しますか?
加藤一二三 将棋の歴史を紐解くと、70年ほど前に実力制名人、という制度ができました。それまでは世襲だったんですね。たった70年前なんです、今のカタチになったのは。以後、様々なタイトル戦がつくられ、私よりも先輩の棋士も、これからの棋士も精魂込めて闘ってきています。日本古来の舞踏や歌舞伎などに比べると、まだまだ若い文化かも知れませんが、すばらしい芸術作品とも言えるような将棋を指すために棋士たちは日々精進しています。現在、将棋連盟が中心となり、日本将棋ネットワークというオンラインでの対局ができたりと、時代によって変わることもありますが、どんな時にでも人々を魅了する将棋を指したい、と私は考えています。