TRADITIONAL STYLE

Vol.09 吉田義人


May 13th, 2013

Photo_shota matsumoto
Text_chisa nishinoiri

09年より母校明治大学を率い、就任4年目の昨年、100回目を迎えた伝統の早明戦を制し3校同時ながら、14年ぶりの関東大学対抗戦を優勝へ導いた、元明治大学ラグビー部監督吉田義人さん。常に険しい道を選択し、ひた向きに歩み続ける彼のラグビー人生は、ストイックそのもの。真っ向勝負を挑み続ける、氏の次なる挑戦とは?

明治の矜持を取り戻す。

ー ロスタイムでの逆転劇。昨年12月3日に行われた明治vs早稲田戦の勝利が、今でも鮮明に思い出されます。

吉田義人 奇しくも、ロスタイムに逆転負けした一昨年の早稲田戦と真逆の展開での劇的な勝利でした。先シーズンの4年生は、大学入学と同時にまるまる4 年間、私と共にラグビーを研鑽してきた選手たちでしたし、記念すべき100戦目で勝利を収めることができたのは非常に嬉しかったですね。東海大戦に敗れ、悔いが残らないと言ったら嘘になりますが、チームとして大きな成長が見られたと思います。

ー 就任以来掲げていた、「明治の矜持を取り戻す」という目標を確実に体現されたのではないでしょうか。

吉田義人 就任して私が監督として掲げたのは、選手たちが自主的にラグビーと向かい合い、強くなるために真摯に努力をするチームです。4年間を明治ラグビーに捧げ、自分たちに足りないものを見つけ出して、一人ひとりが自分自身に問いただし、答えを見つけ、練習に打ち込む。個人個人の自信が、チームの力となります。その結果敗れたとしても、そこから多くを学び、次につなげる。強豪に対しても常に真っ向勝負を挑み、自分たちのプライドを失わず、最後まで戦い抜く。挑戦する姿勢を貫き通した選手たちの姿を心から誇りに思います。自分の腹で決断する力を身に付けた野太い選手たちが、揃っていたので、確かに素晴しいチームに育ってくれたと感謝しています。

ー しかし、常勝チームを作り上げるのは、並大抵のことではないと思います。

吉田義人 私が監督に就任した当時、正直、明治のチームは困窮を極めていました。創部以来チームを率いていた名匠北島忠治監督が退くと、2008年には24年ぶりに大学選手権出場も逃しており、私は再起を託されたわけです。しかし、当時は”優勝体験”というものを知らない選手たちばかり。そんな彼らに対し、なぜ優勝しなければならないのか? ということを問うことから始めなければなりませんでした。

そのために大切なのは、成功体験を積み重ねることです。そして例え敗れても、価値のある負けを感じることができるチームにしたい。技術力、フィジカル、メンタル、マナーや自律心。そのすべてに意味があり、勝つための準備を怠らなければ、結果は自ずとついてくる。目指す山が高ければ高いほど、そのための準備が大変なのは当然のことです。ましてやチームで目指すとなれば、個人個人の気持ちや体力にもバラつきが生じる。自分たちは、本当に登る覚悟があるのか、それを一人ひとりが心に問う必要がある。そして登ると決めたのならば、是が非でも最後まで成し遂げる。それを導くのが、監督の役割です。そして4年間を通して、私は監督としての役割を果たし切ったと思います。

指導者として。

ー では、監督として、吉田さんがもっとも大切にしていることは何ですか?

吉田義人 新任の挨拶などで、「みなさんと一緒に勉強させていただきます」というような言葉を聞くことがあります。日本人ならではの奥ゆかしさの表れかもしれませんが、僕はこの考えにはまったくのアンチテーゼです。そんな人間に、人はついて行くでしょうか。もちろん、謙虚な姿勢は必要です。しかし、「とにかくオレについて来い!」と言える人が素敵だと思うし、自分自身、そのくらいの気迫がなければ、チームを率いることはできません。目の前のことを、とことん全力でやった結果、多くのことを学ばせてもらうことができる。指導する側も、常に真剣勝負ですから、その思いは必ず相手に伝わるものだと信じています。

ー 強いチームをつくるために、例えば、キャプテンの任命も監督の重要な役割だと思うのですが、選出において、吉田さんは何を基準にしていますか?

吉田義人 チームで何かを決断する時、まず多数決という方法は用いません。コーチ陣や選手たちからも広く意見は受け入れますが、最終的に決断を下すのは監督の役割だと考えています。最高学年になることで、勝つための個としての視点だけでなく、チーム全体をどう捉えているのかなど、3年生までには見えて来なかった選手たちの素質が目覚めることがあります。それを見極めるために、まず、選手一人ひとりがどのようなキャラクターを持っているかを観察し、各人に役割や課題を与えます。そして課題に対し、それぞれが導き出した修正案や打開策がチームにどう影響するかということを考え、今のチームに適したリーダーを任命します。そうすることで一人ひとりの中にリーダーシップの意識も芽生えます。そして、本来ラグビーというスポーツは、誰もがリーダーになれる素質を養ってくれるスポーツでもあると思っています。

ー 学生に限らず、尊敬できる指導者に出会えるか否かは、その人の人生に多いに影響を及ぼすと思います。

吉田義人 そうですね。一人の人間として、自信をもって社会に羽ばたいていってほしい。私の指導者としての根底には、もっと広義な意味での人間育成という考えがあると思います。そのために、自分がこれまで経験してきたすべてを、彼らに伝えていきたい。私自身、ラグビーを通してたくさんの人々に出会い、先達者や仲間たちから多くを学んできました。それらすべての経験が、今の自分を形作っているわけです。逆に言うと、自分が経験したことしか選手たちに伝えることはできませんから。現役時代から様々なことに挑戦し続け、今現在も、その真っ只中にあります。そのすべてをぶつけていきたいですね。

妥協なき選択 そして決断。

ー 現役時代の話も伺いたいと思います。明治大学主将時代に大学日本一に輝き、すでに日本代表入りを果たしていながら、周囲の期待を欺くかのように卒業後は新興の伊勢丹へ入社。周囲の驚きは相当だったと聞きます。

吉田義人 私はまず、社会人になるということは、学生時代には経験できなかったより多くのことに挑戦できる特権を持つことだと思っていました。ですから、例えば既に完成された強豪チームで活躍しても、自分はプレーヤーの歯車のひとつにすぎない。役割をこなすだけの生き方は、何かが違うと思ったんです。

同時に、「俺はこれから何をして生きていくんだろう」と、将来に対する漠然とした不安に襲われたんです。それまでラグビーしかやって来なかった二十歳そこそこの若者が、自分の人生をはじめて真剣に考えた瞬間でしたね。そこではじめて、自分が世の中に対して何ができるのかを考え始めたのです。ラグビーは大好きだからもちろん続けてきたい。だったら、自分は1人のプレーヤーとして何をして、どう生きていきたいのか。そこで導き出したビジョンが、新興のチームに入り、そこでゼロに近いところからチーム作りに貢献することだったんです。

ー 入社3年目で主将に就任し、約10年間在籍したチームを離れ、2000年にはプロ選手としてフランスの最上位リーグ、コロミエへ入団。またも、険しい道を選択されたという印象ですが。

吉田義人 あえて険しい道を選んできたつもりはありません。伊勢丹の廃部を機に、再び自分が社会に対して何ができるかを問う機会が与えられたわけです。当時、伊勢丹で働きながら、筑波大学の大学院でスポーツ経営学を学んでいたのですが、そこで、地域、行政、企業が三位一体となってクラブチームを運営していたドイツの先進的な実例を知り、この考えは必ず、将来日本のスポーツ界に必要になると思っていました。同時に、その時強く感じたことが、スポーツ界への貢献でした。しかし、アマチュアの選手では説得力がない。プロフェッショナルでありたい。そこでプロ選手への転向を決断したわけです。ちなみに、フランスを選んだ理由も明確です。中学生の頃、テレビ放送を見て魅了された、プレーヤーが湧き出るように次々に展開するフランスのシャンパンラグビーは、私の憧れのスタイルでしたから。

現役引退後に、横河電機のヘッドコーチ就任を決断した理由も、「横河ラグビーの復活のために」というラグビーへかけるチームの熱意に惹かれたからです。「恵まれた環境を捨ててまで、なぜ?」私の決断に対し、周りからはそんな声も聞こえてきましたが、自分はただ、愛するラグビーのために、新しいことに挑戦してきたに過ぎません。やれることしかやらない。つまり引き受けた時点で、やり抜く覚悟ができているんです。

目指すは、オリンピックの舞台。

ー 現状に甘んじることなく、「前へ!」の精神で、常に真っ向勝負を挑み続ける吉田さん。次なるチャレンジは、もう決まっているのでしょうか?

吉田義人 その質問を待っていましたね(笑)。実は、すでに次の目標に向けて動き始めています。それは、7人制ラグビーの普及と強化です。2016年のリオデジャネイロオリンピックより、7人制ラグビーが正式競技になることが決定しています。これは、多くの人にラグビーというスポーツの魅力を知ってもらい、ラグビーが再び脚光を浴びる絶好のチャンスです。そのために、7人制のラグビーの普及に貢献したいと考えているんです。世界を舞台に活躍できるラグビー選手を育てたい。それはすなわち、社会に貢献できる優秀な人材を育てることにも繋がると思います。

ー それはまた、壮大なプロジェクトですね。

吉田義人 そうすることで、今の学生たちの選択肢は広がり、またチャンスが増えます。何より私は、スポーツの、そしてオリンピアンたちの持つパワーを信じています。スポーツは、国も人種も宗教も、様々な垣根を飛び越えることができる。そして、真摯に、ひた向きにプレーに打ち込む選手たちの姿は、それだけで人々を勇気づけ、感動を与えてくれます。そういう選手たちを育てる手助けができれば、とても幸せなことです。

実は、私は中学性の頃、水谷豊の『熱中時代』に熱狂し、将来は教師になりたいと思っていたんです。巡り巡って、今、選手たちを育てる指導者という立場に身をおいています。10年が経ち、一生涯続けたいと思える人生の生き甲斐を、今、確信しています。

吉田義人の流儀

ー 最後に、吉田さんの大切にしている言葉があれば教えてください。

吉田義人 本物である事、本流を歩む事、本筋を貫く事。これが私の流儀です。それは、ラグビーに限らず、モノ選び、人生そのものにも言えることです。たとえばスーツひとつにしても、本分、本流、本筋の通ったものを好みます。つくり手の魂のこもった、真摯な姿勢を感じるモノには、強さと美しさがあります。同時に、そういったモノに着負けずに、しっかり着こなせる男でありたいと、また身が引き締まるのです。

Vol.10 佐々木則夫

Vol.08 加藤一二三


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