1924年に英国皇太子が訪米する
アメリカで誕生したトラディショナルルックには抜き難く英国趣味が反映されている。たとえばシェットランドニット、スコティッシュツイード、ブレザー、レジメンタルストライプタイ、ディナージャケット、フェアアイルニット、グレンチェックやタータンチェックなどのクラシックパターン。
これらの英国的なアイテムや柄は、いったいいつ頃にアメリカ人男性の心を魅了したのだろうか。
服飾年表を調べていくと、どうやらそれはプリンス オブ ウエールズ(後のウインザー公)が、1924年に初めて米国を訪問した影響が大きいことがわかってきた。
ウインザー公は『キング オブ ファッション』と謳われるほどのベリーウエルドレッサー。彼はヴィクトリア朝時代に決められた堅苦しい服装ルールを打ち破り、伝統的だけれど時代にフィットした服装を次々に提案するファッションリーダーだったのである。
彼が生み出した新式の服装ルールは、スーツにブラウンのスウェードシューズ、スーツの胸に飾るポケットチーフ、グレンチェックのダブルブレストスーツ、タブカラーシャツなど多種多様。正統をツイストした英国皇太子の着こなしは、英国に対する伝統コンプレックスを抱いていたアメリカ市民にすんなりと受け入れられたのは想像に難くない。
いつしか英国皇太子の日々の着こなしはマスコミなども取り上げ、次第に英国的な着こなしこそ趣味の良い物だとする風潮が米国東部の老舗メンズクロージングストアを中心に形成され、やがてトラディショナルスタイルのベースに根付いたのであろう。
ゲーブルとクーパーが英国調を大衆化
英国皇太子は、その類い希な着こなしで英国服を世界へアピールする広告塔のような役割を果たしていた。
しかし英国テイストがアメリカへ根付くには、より大衆に身近なアイドルの存在が不可欠だった。その任を担って登場したのが、クラーク・ゲーブルとゲーリー・クーパーというふたりのイケメン男優だったのである。
クラーク・ゲーブル主演『或る夜の出来事』
ゲーブルもクーパーも、当時新登場し英国皇太子も愛用していたイングリッシュドレープスーツ(肩幅が広く、ウエストを高い位置で絞り、胸に優雅なドレープが出る)を完璧に着こなせる容姿を誇っていた。
ゲーブルは猿顔系でヒゲを蓄え、ちょっとヤンチャな2枚目。いっぽうクーパーは長身痩躯、寡黙だが、先祖が英国系移民であったためにジェントルなマナーを身につけていた。同じストライプのダブルブレストスーツでも、ゲーブルが着るとプレイボーイ風に、クーパーが着ると紳士風に見え、彼らはご婦人たちの人気を二分した。
ゲーリー・クーパー
1970年代ブリテッシュ・アメリカン・スタイル登場
英国調ドレープスーツが再び脚光を浴びたのは1969年のことだった。映画『俺たちに明日はない』が封切られ、ボニー&クライドの男性ギャング役クライド・バロウを演じたウォーレン・ベイティがスリーピーススーツを格好良く着こなしてリバイバルに貢献した。
ギャングが英国調のスリーピーススーツを着るか? 不思議に思う若い方がいらっしゃると思うが、じつはボニー&クライドが登場した時代は禁酒法、世界恐慌、ナチス誕生の暗い世相だった。闇ウィスキーで大儲けしたアル・カポネは、金にものを言わせて当時最新流行の英国調ダブルブレストスーツを身につけていたのである。
話が少し脱線したが、さらに1974年にはロバート・レッドフォード主演の映画『華麗なるギャツビー』が公開され、セオーニ・オルドリッジが衣裳を担当したギャツビールックが話題となる。
時を同じくして、ラルフ・ローレンを中心にしたニューヨーク派のデザイナーたちが活躍。彼らがつくり出すシングルブレスト、2つボタン、サイドベンツのスーツはブリティッシュ・アメリカン・スタイルと呼ばれるのである。
このモデル、基本的にはイングリッシュドレープスーツを手本にしているが、ウエストのシェープや肩パッドの厚さをよりナチュラルに見えるように工夫しており、誤解を恐れずにいえば、それは1990年代に登場したクラシコ・イタリアを先取りしたものであった。
考えてみると、ブリテッシュ・アメリカンもクラシコ・イタリアも、手本にしたのは1930年代に大流行した英国ドレープスーツなのだから、似るのは当たり前のこと。
ただしクラシコ・イタリアとブリティッシュ・アメリカンスーツとの大きな違いは、真横から見た上着のバックラインに出る。
ブリティッシュ・アメリカンスーツはウエストに向けて背布の中心を深く絞り込んで軍服のように後ろ姿を凛々しく見せようとしているが、クラシコ・イタリアはそうした構築的なカットを好まず、むしろバックラインは物足りないほどナチュラルに仕上げている。
50年周期で英国調スーツがリバイバルする
ブリティッシュ・アメリカン・スタイルというニュートラディショナルな流れは、1969年頃に始まり、1982年に公開された映画『炎のランナー』あたりでピークを迎える。
これ以降は、ジョルジォ・アルマーニの登場により、ビッグショルダー&ソフトコンストラクションなスーツの時代に突入してしまうからである。
整理してみると1924年のプリンス オブ ウエールズの訪米から始まったイングリッシュドレープスーツの流行は約20年程続き、第二次世界大戦で一旦終焉。その後、50年の時を経て1969から80年代前半までの10年間においてブリティッシュ・アメリカン・スタイルとしてリバイバルしている。
英国調スーツの流行周期を約50年とすれば、第3次ブームは2020年代あたりか。
現在のところ、その予兆はあまり感じられないけれど、トム・ブラウンやトッド・スナイダーらが定着させた質実剛健なトラッドの流れの次は、英国調トラッドへ行くのがもっとも自然なような気がする。
そんなわけで、そろそろ新しい英国ルックをデザインする新人が、かつての英国領だったアジア圏あたりから登場するのではないかと、筆者は密かに期待しているのである。