紺のスーツに紺の縞柄ネクタイが基本
昔読んだなにかの本で作家の森茉莉さん(1903~1987)が男のスーツとネクタイについてこんなことを書いていた。
「色は、フランスでは若くても黒を着るし、普段でも上着だけは黒をよく着るが、日本ではきまりすぎる感じになるし、喪服かと思われたり、牧師じみた感じにもなるから、深い紺の背広に、ネクタイも同じ紺か、紺に斜め縞が一番いい。この定まりきった、紺の背広に、紺の斜め縞のネクタイ、というような取り合わせを、着る人の味で粋にしてしまうのが、背広の着方の本筋である」
たしかにその通りで、そんな着こなしの代表として挙げたいのがジョン・F・ケネディである。ケネディは、ニューヨークのH・ハリスで仕立てたダークブルーかグレーのスーツに白いドレスシャツ(シャルベかブルックス・ブラザーズ)、そして濃紺に白っぽいストライプが入ったネクタイをプレーンノットで合わせていた。
この着こなしは、それを身につける人を若々しく活動的に見せる効果があるので、とくにフレッシュマンにはお手本になるはずだ。言うまでもないが、若い方が大統領のようなブランド品を模倣しても意味がないこと。模範にするのは、あくまでコーディネートで充分だ。
ストライプタイのアイコンとして、もうひとりチャールズ皇太子を取り上げておきたい。英国皇太子のクラシックな着こなしは、女性にはその素晴らしさが伝わりにくいらしいけれども、洋服のプロから見ると、ほれぼれするくらい完璧であるからだ。
筆者がとくに評価したいのはサヴィル・ロウの老舗アンダーソン&シェパードのチーフカッター、ジョン・ヒッチコックが腕をふるったチャコールグレーのダブルブレストスーツに、ターンブル&アッサーで仕立てた白地にごく細いエンジのストライプが入ったダブルカフスシャツ、そしてエンジ×紺のレジメンタルストライプタイという着こなしである。
このエンジ×紺のストライプというのは、王室にゆかりが深いエリートで構成されるグレナディアガーズ(近衛歩兵第1連隊)に所属していることを示すもの。レジメンタルストライプタイには、このような伝統的な意味があることを覚えておきたいもの。
森茉莉さんが本当に伝えたかったスタイルとは?
ご存じのように森茉莉さんは文豪・森鴎外の長女で、ちょっぴり官能的な小説や都会的でお洒落な随筆を書くのが得意な人だった。筆者が好きな小説『贅沢貧乏』(新潮社)によると、私生活でもたいへんにお洒落で頑固なスタイルを貫いていたらしい。
そんな森さんが電車に乗ったり都会を散歩なさったとき、若い人たちがみんな深い紺の背広に紺に斜め縞の入ったネクタイであったとしたら、森さんは、ご自身が書いたことも忘れてプンプン怒り出すに違いない、と筆者には思えるのである。
つまり森茉莉さんは紺の着こなしにこだわったわけではないと思うのだ。ほんとうに伝えたかったことは、いつも同じような装いでも、それを続ければ味わいのあるスタイルになる。そんな本物の男を目指しなさい、とおっしゃりたかったのに違いない。
男のビジネススーツは紺かグレーか、ごくまれに茶。それに組み合わせてスタイルが構築でき、しかも若い人にふさわしいトラディショナルなネクタイの柄は「ストライプ」、「水玉」、「ペイズリー」の3種である。では残りの2種にどんな特長があるのかを考えてみることにしよう。
熱血宰相と、芸術家や冒険家も愛した水玉タイ
熱血宰相と呼ばれた英国のチャーチルは水玉の蝶ネクタイを生涯愛用した人として知られている。チャーチルの水玉は、ポルカドットと呼ばれる、水玉の直径が3から4ミリほどのもの。ポルカドットはダンディな飛行家として知られるアルベルト・サントス・デュモンも常用している。水玉タイのなかではもっともオーソドックスな柄だ。
しかし、この柄を愛用しているエッセイストの松山猛さんによると、水玉の間隔とその大きさには微妙な違いがあって、「これぞ完璧!というものにはなかなか巡り合わないんだ」とおっしゃっていた。ポルカドットはシンプルでいて実は奥が深いのである。
いっぽう直径が15ミリ以上もある大きな水玉タイを愛用する芸術家もいる。フランスを代表するシャンソン歌手、ジルベール・ベコーがその人だ。彼は歌手をめざして某クラブのオーディションを受けたのだが、歌う前にオーナーから「ネクタイを締めていない歌手はうちの店にふさわしくない」と言われてしまった。ネクタイを買うことができないほど貧しかった彼は、すぐに家に戻って母親の大きな水玉ワンピースの裾を切り取り、ネクタイ替わりにして歌ったところ見事に合格。以来ジルベール・ベコーは、幸運のアクセサリーとしてコインドットと呼ばれる大きな水玉タイを愛したという。
若い方がビジネスシーンに使うには、遠目に無地に見えるピンドットと呼ばれる小さな水玉から始めることをお勧めしたい。
カルダンが伝来させた粋なペイズリータイ
戦後の日本は英国調のオーダースーツとレディ・メイドのアメリカントラッドスーツが人気を二分していた。1960年代の初め、そこに初めてコンチネンタルテイスト(欧州大陸的)のスーツを伝来させたのがピエール・カルダンだった。
カルダンは自身がデザインした、パゴットラインと呼ばれるエッフェル塔のように胸がタイトで裾が広がっているスーツで日本にカルダンブームを巻き起こしただけでなく、ペイズリータイの着こなしにおいても高度なセンスを持ち込んだのである。
この当時の日本では、ネクタイと同じ柄のポケットチーフをセットにした商品が人気を呼んでいた。これを目にしたカルダンは『ネクタイとポケットチーフを同じ柄で揃えるのは野暮だし、美的センスに欠けるものです。パリではそんなことをしている人はいません』といって、自ら手本を示したのである。
彼は茶系ベースで、黒や緑の入ったペイズリータイに、ネクタイの中に使われた一色、たとえば緑をベースにして、そこに金茶を加えたポケットチーフを組み合わせることによって、我々に新たなお洒落テクニックを伝授してくれたのである。
いっぽう『トラッド歳時記』(婦人画報社)などの著書で知られる評論家のくろすとしゆきさんは『ネクタイ誌』(文化出版局)という本のなかで「大きなペイズリーはアメーバーやゾウリムシのようで気味が悪い」と書いている。トラッド派の教祖であるくろすさんのお勧めするペイズリーは小柄で水玉のように柄が詰まっているネクタイだという。またシャリーと呼ばれる薄手ウールの小柄ペイズリータイは、スポーティな着こなしやブレザーにマッチするそうだ。
ペイズリータイはお洒落なセンスを発揮できる柄なので、マスコミ、広告、芸能関係の人たちに愛好者が多い。若い方がビジネスに取り入れるには、小柄のペイズリーでシルク・フーラードと呼ばれる薄手羽二重のプリントモノがお勧めである。
ひとつの柄をチャーチルのように使い続けるのもいいし、3種の柄を用途によって使いわけるのもいい。無地のネクタイやストライプタイばかり締めていた筆者は、最近ポルカドットに挑戦しようと思っている。