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Vol.20 ポロシャツを生んだルネ・ラコステと、1930年代のテニス伝説


Jul 2nd, 2014

Text_Shuhei Tohyama
Illustration_Yoshihumi Takeda

夏の定番アイテムであるポロシャツは、ラコステがその始まりとして知られています。ではそもそもポロシャツとはいつどのような経緯から生まれたものなのか? そこにはテニスプレイヤーであるルネ・ラコステと、彼に関わるいくつかの逸話が存在するのでした。

20世紀の幕開けにデビスカップが始まる

ポロシャツを発明したのは、フランスの名テニスプレイヤーとして知られるルネ・ラコステである。時代は1930年代初頭。まずはその頃のテニス界を振り返り、この傑作が登場したいきさつを考えることにしよう。

フランスで誕生したといわれるテニスが英国へ渡ったのは14世紀後半らしい。19世紀になると、テニスは英国貴族の間で近代スポーツとして開花した。1877年にはウィンブルドンで全英選手権が開催される。

第一回ウィンブルドン大会が行われた約3年前にテニスはアメリカに上陸し、上流階級の間で流行となっていく。そんな若いアメリカテニス界の代表的プレイヤーがドワイト・デビスである。彼は1900年に英米選手権大会を毎年開催することを思いつき、大きな銀製のカップを注文した。これがのちにデビスカップと呼ばれる、国別対抗の国際的なローンテニスマッチの始まりである。

デビスが考えた対抗試合の方法は、第一日にシングルス2試合、第二日にダブルス1試合、第三日にシングルス2試合を行う。合計5試合のうち3勝を挙げたほうの国の勝利が確定する。当時のテニスはプロ選手もほとんどいないので、じつは全英や全米選手権などの個人対抗戦より、国の名誉をかけて争うデビスカップのほうが人気が高かったらしい。

1920年になると、アメリカチームが7年連続でデビスカップに優勝する。勝利の立役者となったのがアメリカスポーツ界の4聖のひとりウィリアム・チルデンである。他の3人の名を挙げると、野球のベーブ・ルース、ボクシングのジャック・デンプシー、ゴルフのボビー・ジョーンズ。いずれも個性の強いスーパースターだ。ちなみにチルデンが愛用した白地に2色のラインが入ったVネックセーターは、チルデンセーターと呼ばれるトラッドの定番アイテムである。

フランス4銃士、フォレストヒルズで活躍する

そんな最強のアメリカチームに挑んだのがルネ・ラコステ率いるフランスチームの4銃士。4銃士とは、アレクサンドル・デュマが1844年に書いた人気冒険物語『3銃士』からの命名。1925年と1926年、2年連続でアメリカに決勝で敗れたフランス4銃士は、1927年ついにアメリカを破り優勝する。

このときニューヨーク郊外のフォレストヒルズで行われたデビスカップ決勝戦での結果は、フランスの3勝2敗。ルネ・ラコステはスライスサーブと、鰐のように食いついたら離さない粘り強いプレイスタイルで、宿敵チルデンをシングルスで破っている。

念願のデビスカップはパリに運ばれてルーブル美術館に展示された。またこの勝利を記念して、ローラン・ギャロスのスタジアムがつくられたのである。フランス黄金時代は1932年まで続き、合計6回デビスカップのチャンピオンに輝くのである。


鰐の引退により、ポロシャツが登場する

しかしルネ・ラコステは1929年に、国際試合から突然に引退することを表明する。原因は結核であったらしい。しかし、この病気が逆にルネ・ラコステに新しいチャレンジをもたらした。
「テニスの試合中に、私はよく風邪をひきました。それはダブダブのコットンブロード地でつくられた、長袖のワイシャツを着ていたからではないかと思いあたったのです。もっと動きやすい、健康を考えたシャツが必要だと考え、そこでポロの選手が着ている、やわらかな生地でできた半袖の衿なしシャツを発見。さっそくシャツ屋にこれを持ち込み、衿をつけてくれるように頼んだのです。こうして新しく考案したシャツを着てコートに出るようになったわけです」

ルネのアイデアから生まれたポロシャツ第一号は、仲間のテニスプレイヤーや、著名な女性ゴルファーとして知られ、後にラコステ夫人となるシモーヌ・ティオン・ド・ラ・ショームなどから評判を獲得。ニット生地の製造工場を経営している友人から「きみが発明したシャツをよそでつくらせるのは馬鹿らしいぜ」という助言によって、世界初のポロシャツ製造会社をつくることになったのである。

工業製品としてのポロシャツが誕生したのは1930年といわれる。第一次世界大戦(1914から1918年)の終了から、まだ12年しか経ていない。しかも1929年には、ウォール街から端を発して世界大恐慌が起こっている。不況の世相であるが、進取の気質に富んだ人は、こうしたときにこそ常識を覆したパラダイムシフトを起こし、ピンチをチャンスに逆転しようと考えるものだ。

ルネ・ラコステもまたしかり。ポロシャツは衿のないTシャツよりもエレガンスに見える。また台衿がないぶんドレスシャツよりリラックス感が満喫できる。しかもまったく同じデザインでありながら、老若男女、誰もが着られて、誰もが似合うアイテム。ルネのアイデアは単にスポーツや不況を超えて万人に愛される、来るべきカジュアルな時代の生活着を先取りしたのである。

日本のテニス・ダンディ、世界を駆ける

ところでこの時代の日本のテニスプレイヤーは強豪揃いだった。1921年のデビスカップでは決勝まで進出。惜しくもアメリカチームに敗れたが熊谷一弥と清水善造は欧米で人気プレイヤーとなった。1930年代前半にはウィンブルドンでシングルスがベスト4進出。ダブルスが準優勝している。シングルスは佐藤次郎。ダブルスは佐藤と布井良助のペアだった。またウィンブルドンのミックストダブルスではパートナーのドロシー・ラウンドと組んだ三木龍喜が、なんと日本人として初めて優勝した。そんななかでも筆者が注目しているのは、日本が世界に誇るテニス・ダンディ原田武一である。

原田は1899年倉敷の裕福な家に生まれ、慶応大学に進学。そこで硬式テニスに没頭する。しかし熱中しすぎて卒業の見込みが立たず、テニス修行と称して米国ハーバード大学に留学するのだが、そこでウィリアム・チルデンらと互角に打ち合い、おおいに人気を博したのである。

なにしろ日本では売れっ子芸者と心中未遂事件を起こすほどのイケメン。しかも、プリンス・オブ・ウェールズ(後のウインザー公)が来日したときにテニスのお相手をし、そのときウェルドレッサーとして評判の高い皇太子がターコイズ色のサスペンダーをなさっているのに目をとめたほどのお洒落好き。その後にアメリカに移り住んだとき、彼はニューヨークで同じ色のベルトを見つけて大いに喜び、ホワイトフランネルのテニストラウザースに合わせていつも愛用していたという。

当時の米国では、大きなテニス大会後に上流階級のご夫人たちが選手を招いてパーティを開催するのがならわしだったが、原田はそこでもめちゃめちゃにモテたらしい。

1926年のデビスカップ準決勝において、日本は強豪フランスに2勝3敗で惜敗しているが、このとき2勝をあげたのが原田武一だった。原田が勝った相手は、フランスのエースのアンリ・コシェ、そしてチルデンの後継者と言われたルネ・ラコステであった。

原田のテニススタイルは『ノーフォーム、ノーグリップ』。つまりフォームやグリップに固執しない自由で個性を生かしたスタイルをめざしたのである。常識に縛られずに前へ進まないとサバイバルできない時代に、天衣無縫な日本人プレイヤーが世界を相手に活躍したのは、とても誇らしいものだ。

参考文献
上前淳一郎『やわらかなボール』文春文庫
小林公子『フォレストヒルズを翔けた男』朝日新聞社
深田祐介『さらば麗しきウィンブルドン』文藝春秋
パトリシア・カプフェレール、トリスタン・ガストン=ブルトン『ラコステその伝説』le cherche midi


Navigator
遠山 周平

服飾評論家。1951年東京生まれ。日本大学理工学部建築学科出身。取材を第一に、自らの体感を優先した『買って、試して、書く』を信条にする。豊富な知識と経験をもとにした、流行に迎合しないタイムレスなスタイル提案は多くの支持を獲得している。天皇陛下のテーラー、服部晋が主催する私塾キンテーラーリングアカデミーで4年間服づくりの修行を積んだ。著書に『背広のプライド』(亀鑑書房)『洒脱自在』(中央公論新社)などがある。

一流の政治家が愛用する白シャツから我々が学ぶべきヒントは多い。

梅雨にあやまちをしないための質実剛健な仕事スタイルを考える


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