Vol.51 トラッドな春夏スーツ服地の知識を蓄えれば仕事も快適にこなせる。
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ICON OF TRAD
1978年の発刊以降、世界中で読まれ続けている、ファッション本の定番が今回のテーマである「男の着こなし」。そんな名著を遠山さんがN.Y.のファッションや今の流行を重ねて考察します。
チープシックも良いけれど
1977年に発売された『チープ・シック』(草思社)という本がロングセラーを続けている。『チープ・シック』はカテリーヌとキャロルというふたりの女性ファッションエディターが著し、日本では作家の片岡義男氏が素敵な訳をつけている。
シックとは、ちょっと意外なものを組み合わせて「お洒落だな」と、人に思わせるアイデアのこと。シックを言葉で説明するのは難しいのだけれど、実体験を挙げると、筆者は黒い金属製のアンティーク眼鏡ケースの裏に毛皮を貼り付けてペンケースとして使っていた。かなり以前、来日したエディ・スリマンにインタビューをしたとき、そのぼろぼろの筆箱を開いたら、中から白×黒の鮮やかな毛皮が現れた。それを見てエディは、「オー、シック!」と叫んだ。どうやらシックとはそんなことらしい。
『チープ・シック』はお金を上手に使った、シックな生活を提案した本。古着やワークウエアなどを駆使して、単にテクニックだけでなく自分らしい生活哲学を一緒に考えてみませんか、という本だった。筆者がファッションの道を、迷いながらもなんとか前向きに歩いてこれたのは、2冊の本があったからだ。1冊は『チープ・シック』。しかしもう1冊のほうは、優れた内容なのに今はなかなか話題にならない。
それが1979年に同じ草思社から発行された『男の着こなし何を選び、どう着るかー実践的服装学』という本であった。著者のチャールズ・ヒックスは『プレイボーイ』、『ペントハウス』、『GQ』などで活躍していた気鋭の若手ファッションライターにして伊達男。1977年に『LOOKING GOOD』をベストセラーにし、この本(原題DRESSING RIGHT)も人気を博した。翻訳はイラストレーターとして知られる穂積和夫氏。穂積氏は『ヒッチコックマガジン』にも寄稿していた、多才な方なのである。
デザイナーズトラッドの誕生
1970年代は、メンズファッションデザイナーが台頭した時代といえるのではないか。1960年代の後半に、まずパリでピエール・カルダンがパゴットライン(エッフェル塔のようなシルエットをもつ)のスーツでフランス風コンチネンタルブームに火をつけた。続いて、イヴ・サンローランがリブゴーシュでメンズデザイナーブームに油を注ぐ。
ロンドンではトミー・ナッター(ジョン・レノンやミック・ジャガー御用達の仕立て屋)やハーディ・エイミスというテーラーデザイナーが登場する。ローマでは未来的なスーツの提案でブリオーニが頑張っていたし、ミラノでは1970年代後半にウォルター・アルビーニ、ジョルジオ・アルマーニ、ジャンニ・ヴェルサーチという才人がそれぞれメンズデザインを手掛け始めている。そんな新しいファッションの流れの中で、新しいことに貪欲なN.Y.の住人は、自国のファッションに退屈さを感じていたのではなかろうか。米国東部上流階級の着こなしは、シェープのまったくないスーツで体を包み隠す地味なものだった。アイビー校を卒業し、数代続く名家出身のエグゼクティブにとって、むしろ流行に乗った着こなしに見えることは、社会的な自殺行為だったのである。
しかしN.Y.には、クラスに縛られない、新しい職業をもつ野心的な男がたくさんいた。そんな新しいマーケットに向けて発信された本が『男の着こなし』だったのである。ほぼ時を同じくしてラルフ・ローレン、アレキサンダー・ジュリアン、アラン・フラッサー、ビル・ブラス、ジェーン・バーンズ、ジェフリー・バンクスというN.Y.派のデザイナーが注目され、1980年代のN.Y.にデザイナーズトラディショナルという新潮流が確立されることになったのである。
ドコントラクテを提案
この本の中でチャールズ・ヒックスが提案したのはデコントラクテだった。デコントラクテとは、アンコンストラクチャー(非構築的)な服という意味。たとえばスーツはかっちりした肩と厚い胸という構築的なシルエットを保持するために、表地を芯地で支えている。デコントラクテのスーツは、こうした支えを省いた、今で言う1枚仕立てのジャケットのようなものと考えればいい。
そのデコントラクテを推進したデザイナーのひとりアラン・フラッサー(当時はカルダンリラックスのデザイナー)は、『スタイルはミックス化に向かっている。構築的なスーツは煩わしいものになりつつある。重ね着できないし、ボール紙を体に張りつかせているようで動きにくい。ボディに自信があれば、もっとソフトなものを身につけることにより、ずっとリラックスできる。少し着くずして、袖をたくしあげたり、衿を立てたりすると、ハイファッションになるんだ』と語っている。
たしかに『男の着こなし』には、重ねてくずす、というファッション写真が多い。ツイードジャケットを2枚重ねたり、ネクタイを2本結んだり、さまざまなレイヤードで着こなしを楽しんだ時代だった。
N.Y.は伝統と革新が共存する
しかしこのように紹介すると『男の着こなし』は、単に最新の流行を追っただけの使い捨て情報誌だと思われてしまいかねない。事実は逆だ。チャールズ・ヒックスは応用を訴える前に、まず基本をしっかり説いているのである。いわば伝統と革新を共存させているのである。たとえばスーツの項では、英・米・欧の基本的スタイルを説明したうえで、デコントラクテに入るという具合。また、新しいソフトコンストラクションの服を着こなすにはボディが重要だということで、後にシェープアップの本を著すほどの人なのである。この本の素晴らしさについては、裏表紙に提示された要約文がもっとも雄弁にその内容を語っていると思われる。以下長くなるが、それを転載させていただいた。
『正しい着こなしとは、自然がみずからに授けてくれたものを最もよく見せるために、服を利用することにほかならない。服装が自分を売り込んでくれると思うのは間違っている。そんなことは不可能だし、自分のもっている本当の価値が疑われるだろう。自分自身であるほうが、ずっと好ましい。正しく着こなすことは、自分のパーソナリティ、自分の仕事、自分の体と同じくらい重要である。自分をより良く見せることは、自分を重んじることだからだ。それは愉しみでもある。それ以上ではないが、それだけでも大きなことである。自分をよりよく見せたいと思うなら、自分にあった正しい着こなしを身につけようではないか』
この本には、最近注目されるパーソナルスタイルの重要性がすでに説かれていた。そこにも驚かされるのである。
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遠山 周平
服飾評論家。1951年東京生まれ。日本大学理工学部建築学科出身。取材を第一に、自らの体感を優先した『買って、試して、書く』を信条にする。豊富な知識と経験をもとにした、流行に迎合しないタイムレスなスタイル提案は多くの支持を獲得している。天皇陛下のテーラー、服部晋が主催する私塾キンテーラーリングアカデミーで4年間服づくりの修行を積んだ。著書に『背広のプライド』(亀鑑書房)『洒脱自在』(中央公論新社)などがある。
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