Vol.51 トラッドな春夏スーツ服地の知識を蓄えれば仕事も快適にこなせる。
サマースーツの定番服地となるウールトロについて、ニューヨーカーのチーフデザイナーの声と共にその特徴を予習。今シーズンのス...
ICON OF TRAD
ミリタリーウェアがルーツにある、トレンチコート。腰回りに備え付けられているD鐶など、ディテールにも軍服の名残を多く残しています。そのトレンチコートが現代トラッドのアイコンとなっている理由とは?
塹壕戦が生んだコートの傑作
ダブルブレストのネイビーブレザー、ピーコート、ウェリントンブーツなど、ミリタリーウエアが出自となったトラッドアイテムは多い。 トレンチコートのトレンチとは、軍隊用語で塹壕という意味がある。第一次世界大戦(1914~1918年)は、兵器の急速な進化によって戦法が大きく変わった時代だった。 それ以前は、槍やサーベルを携えた騎兵隊がラッパを合図に敵陣へ突撃したり、銃剣を持った歩兵が隊列を組んで前進し、最終的には白兵戦によって勝敗の決着がつくというものだった。 しかし銃器の発達により、この戦法ではあまりに兵員の損失が多すぎることに気がついた将軍たちは、塹壕戦法という一種の持久戦を思いつくのである。
そもそも当時の戦争というのは地政学の争いであった。囲碁の勝負ではないが、有利な場所を占めたほうが最終的に勝ちを得る。その理論は、大隊どうしが敵味方に別れて戦う局地戦においても継承されていた。 塹壕戦は、まず見晴らしのよい場所に大隊本部のテントを立てることから始まる。次に前線に兵隊を配置するのだが、大勢の兵隊が平地にただ立っていたのでは、敵の恰好な標的になってしまう。そこで地面に人の背丈が充分に隠れる濠を堀り、そこに兵隊を待機させて敵の襲来を防ぐようにしたのである。 塹壕の前には、鉄線などでバリケードを築き守りの態勢を強化させる。もちろん敵も同じ陣形をとるから、とうぜん戦線は膠着し、長期化することになる。 しかし西部戦線の、湿った不衛生な塹壕のなかで何日も過ごす英国の兵隊に、深刻な事態が発生していた。それが塹壕病である。 塹壕病とは、壕の強烈な湿気によって体が病に冒されることである。たとえば塹壕の底に溜まったぬかるみに、ブーツごと何日も足を浸けていると足にカビのようなものが生じ、それが悪化すると患部を切断するような事態になる。さらに身体にも悪寒が走り、しまいには立って入られないほどの重体に陥ることになってしまう。 こうした症状を訴える兵隊が多発したために、英国政府は防水性能の高いコートを軍隊に支給する必要に迫られたのである。
バーバリークロスの登場
トーマス・バーバリーが防水性の高いバーバリークロスの特許を取得したのは1888年のこと。彼はこの布を使って、探検隊のテントやアノラック、飛行服、モーターリングコートなどを世に送り出したが、バーバリークロスをもっとも有名にしたのは第一次世界大戦時に英国軍が採用したトレンチコートだ。 バーバリークロスとは、当時最も優れた綾織りコットン製の防水布のこと。トーマス・バーバリーはこの布のアイデアを、羊飼いの着ている労働着から思いついたといわれる。 想像するに羊飼いの上着とはツイードのことではなかろうか。未脱脂の羊毛を粗野なツイードの布に織り上げて作られた労働着は、糸に含まれた天然のラノリン成分によって自然な撥水性をもつ。
それを知ったトーマス・バーバリーは、布に織り上げてから防水処理を施すのでなく、糸の段階で特殊な防水薬品を染み込ませて、より強固な防水性を誇るコットンギャバジンを完成させたのだと思う。 わざわざ綾織り(斜め方向の織り模様をもつ布のこと)にしたのは、平織りより丈夫だからという説もある。が、筆者は修理のしやすからきたことだと考えている。 たて糸とよこ糸が同じ本数で織り上げられた平織りの布は、釘などの突起物に布を引っかけてしまうとカギ裂きになりやすい。しかしたて糸の本数が多い綾織りの場合は、たとえ布が破損しても、たてかよこの一方向に裂けるケースが多いのである。 カギ裂きになってしまうと修理に手間がかかる。ジーンズも最初は平織りの帆布で作られていたが、後に綾織りのデニムに改良されたのも、おそらくこうした修理のしやすさからきているのではなかろうか。
トレンチコートとタイロッケン
トレンチコートのディテールは、雨水などを侵入させないための深いダブルブレスト、同様にショルダーフラップや背中のヨークなどで要所を2重に仕立て、防水性を強化している。 また首筋や袖口から雨や冷気が入るのを防ぐために、台襟には金属製のフックがつき、さらにストームフラップや袖のストラップが付けられていた。 ベルトに付いたD型の金属リングは水筒や弾薬入れを下げるためのもの。ショルダーストラップはライフルの銃床を支える役割も兼ねていた。じつに機能的で完成された設計である。 個人的に憧れたトレンチコートの着こなしは、高校生時代に読んだレイモンド・チャンドラーのハードボイルド小説のなかにあった。 本の題名は忘れたが、主人公である私立探偵フィリップ・マーロウがクルマで見張りをしているシーンがある。突然雨が降りだし、マーロウはクルマのトランクからくしゃくしゃに丸めて放り込んでおいたトレンチコートを取り出して、雨のなかを危険が待つであろう、目的地へ歩き出すのである。 トレンチコートは、できれば買ってから一度も洗濯しないまま着たほうが格好いい、という筆者の勝手な妄想はこのときに刻み込まれたのである。
そんな着こなしの具体的な映像を、映画『カサブランカ』で発見したときは密かに喝采をおくったものだ。ハンフリー・ボガートは、ショルダーパッチが左右両方に付いたよれよれのトレンチコートを着ていた。
こうしたディテールは、今や国際的なブランドとして有名になった老舗の2社とはあきらかに異なる。それが『ボギーのコートはクレスト・フェーラス社のものである』という記事を何かの小雑誌のなかに発見したときは、子供ながら嬉しかった。 しかしながらクレスト・フェーラス社とはいかなるブランドなのかは、今日まで確認するに至っていない。 もうひとつコート姿で好きな写真がある。それは皇太子時代のウィンザー公が、右手にステッキとパイプ、左手に鴨をぶら下げて得意そうにほほ笑んでいるポートレートだ。 皇太子が着ているのはよれよれのタイロッケン。トレンチコートの原型といわれるシンプルなダブルのコットン製コート。太いベルトをきちんとバックルに通して締めている着こなしが実に男らしくていい。
男のコートはやはり道具のように、ぞんざいに着るのがいい、と思う。
Navigator
遠山 周平
服飾評論家。1951年東京生まれ。日本大学理工学部建築学科出身。取材を第一に、自らの体感を優先した『買って、試して、書く』を信条にする。豊富な知識と経験をもとにした、流行に迎合しないタイムレスなスタイル提案は多くの支持を獲得している。天皇陛下のテーラー、服部晋が主催する私塾キンテーラーリングアカデミーで4年間服づくりの修行を積んだ。著書に『背広のプライド』(亀鑑書房)『洒脱自在』(中央公論新社)などがある。
名著『男の着こなし』は、伝統と革新が共存するN.Y.にデザイナーズトラッドという新分野を確立させた。
原宿のセントラルアパートにバークレイという大人の店があった。