尾崎雄飛の珈琲天国

珈琲について聞いてみた「ベアポンド・エスプレッソ田中勝幸さん」編


Aug 26th, 2015

text_yuhi ozaki
photo_ari takagi

目下大改装中の下北沢駅北口、駅前の喧騒を抜けたところに「下北沢一番街商店街」がある。
いつの時代も、寂れそうで寂れない、盛り上がっていそうで別にそうでもない、
熱からずぬるからず、おいしい珈琲のような落ち着いた商店街だ。

ベアポンド・エスプレッソはその真ん中あたり、白く塗られたひときわ古い家屋が目印の珈琲店。

「ベアポンド」とはニューヨーク州北部の別荘地アディロン・ダックにある小さな沼のこと。
写真家ブルース・ウェーバーの1990年作品『BEAR POND』でその美しく静謐な沼の姿を見ることができる。
「ベアポンドは熊の居住区。熊の居住区では熊のルールに従わなけりゃならない。そういう意味です。」
店には店主のルールがあるとオーナーの田中勝幸さんは言う。
店内撮影禁止、13時以降はエスプレッソ(ショット)を出さない、お客は店のルールに従ってくれ、
と聞くと、傲慢で気むずかしい人のように思えるけれど、彼はそういう人ではない。

田中さんの出身は某大手広告代理店。
企画会議などで数々のプレゼンをこなしてきたからだろうか、柔和な口調で、物事を噛み砕きながらわかりやすく説明してくれる、どちらかと言うとインテリな印象の好人物だ。

広告マンをしていた当時の、田中さんと珈琲との関わりとして、アサヒビールから発売された缶珈琲「NOVA(現WANDA)」を企画したことを教えてくれた。

あのマラドーナをCMに起用するなどして、売上は好調だったそう。

そんな珈琲好きが高じて脱サラし、喫茶店を始めた……というのではなく、田中さんの人生はここではまだ珈琲に辿り着かない。
1989年にアメリカへ渡り、アリゾナ州立大学を卒業後、ニューヨークでさらなる世界的広告マンとしてのキャリアを駆け上がった。
その後、勤務先の広告代理店が不運にも倒産してしまうが、すぐに世界最大手の運送企業の幹部になるなど、波瀾万丈ありながらもエリート街道を突き進んでいた。

ところが2007年のある日、なんとなんと珈琲の腕前(絶対的味覚の舌!)を買われ、ノースカロライナのロースター「カウンター・カルチャー・コーヒー」のメンバーとともに、豆の入手方法において、当時主流であったフェアトレードよりも透明性があって確実なルートで入手しようと、珈琲農場とのダイレクトトレードを構築すべくチャレンジを始める。
そう、つまり彼は、これからサードウェーブという波を立ち上げるメンバーとなったわけである。
エリート街道を歩いていたら、あれよあれよという間に巻き込まれ、アメリカコーヒー業界のド真ん中に立っていたと、まるで映画のような人生を送ってきた人なのだ。

田中さんが取材を受けた、ニューヨーク・タイムズの記事。

そんな田中さんに、まずは今の日本でのサードウェーブ珈琲の流行について聞いてみた。

「そもそもウェーブってのは、いつもアメリカから起こしたもののことを言うんです。」

だから、サードウェーブはアメリカで起こったセカンドウェーブへのカウンターカルチャーだと続ける。
なるほど、そのカウンターの波が起こる正にそのとき、その波の真上にいた人だ。説得力がある。

田中さんの言うニューヨークにおけるサードウェーブの定義は
① 農場を守り育てること。
② 焙煎はスモールバッチ(少量単位)で丁寧に焙煎すること。
③ 修行を積んだバリスタが、正しく抽出すること。

これら3つの条件を満たした珈琲こそが、本来の意味でのサードウェーブ珈琲といえるものだという。
田中さんと当時の仲間たちはこんな熱い志でその波を起こして、珈琲の次の時代での在り方をつくったのだ。

「しかし、サードウェーブという言葉は今や流行となって、珈琲を手軽にやろうとする人にとって、ただただ便利な流行語になってしまったんです。」

たしかに。
なんとなく流行りでハンドドリップとかを取り入れているお店も増えてきた。
「サードウェーブでござい」みたいな店も目につく。

「流行に乗って手軽にやるというのは経済的にとてもいいことですし、当然の流れですから、私は否定しません。気をつけなければならないのは今の波の後ろにある波です。次の波はもしかすると珈琲ではなくて、たとえば造園だったり、ぜんぜん違うことが流行の波になるのかもしれないし。」

これまでも時代のトレンドはずっと変わってきたわけだから。
そう語る田中さんの眼差しはまっすぐにこの波の先の未来を見据えている。

では、彼が珈琲の分野で次に考えていることとは?

「現在の流行を作った今、私はもうサードウェーブを語るべきではない。それは私にとっては過ぎたものだから。私のすべきことはいつも荒野を拓いてレールを敷いていくこと。レールの上を走る電車を作ることはヘタクソなので、他の誰かに任せて(笑)。」

ほほう、つまりそれは?

「私達がニューヨークで作ってきたサードウェーブ珈琲の大きな概念として、ブリュード(ドリップ)・コーヒーはファーム(農園)の顔を表現するもの、エスプレッソは店の顔を作るもの、と定義付けてきました。」

なるほど!その表現に目からウロコが落ちた。たしかにそうあるべきだ。
田中さんは、同じ豆で焙煎を浅くした場合、ドリップで生じる味は誰がやっても大差無いと言う。
たしかに、すべての珈琲屋さんが一定以上のドリップの技術を身に付ければ、そんなに味に差は出ない。あとは豆の違いを楽しむということになる。それはファームの顔を表現するのにふさわしい方法だ。
一方、エスプレッソは店の顔とはどういう意味なのか。

「ベアポンド・エスプレッソを開業して6年、今でも自分の思い描くエスプレッソをつくることに夢中です。私の人生の軌跡のエスプレッソを絞り出すことにね。」

つまり、それは等しくベアポンドの顔。

「経験上、一番難しいなと思ったのは、エスプレッソでダーク・チョコレート系の味を出すことです。」

「私がニューヨークにいた当時は、今では超有名な西海岸の珈琲店たちだってエスプレッソに執心して、ダーク・チョコレートを標榜していたんです。でもスイート・ポイントが狭いものだから、誰も維持できなくていつしか辞めてしまった。地面に水を流すと低い方に向かっていくように、簡単な方へ流れたんですね。だからベアポンドは、世界にひとつしか無いエスプレッソを作りたい。でもそれは、美味しいとか美味しくないとかではない。味の世界を飛び越えた領域のものなんです。」

田中さんは理知的でいて独創的な表現をする人だ。
その言葉のとおり、一般的な人の発想と違うことをいつも選んできたから、この奇才が存在するのだろう。

「1たす1はなぜ数字の答えになるのか、それはAやBにはなりえないのか?そんな風に、固定概念を壊すことをいつも考えます。頭で計算するのではなく、アスリートのように感覚を研ぎ澄まして、3D的な、立体感のあるエスプレッソを抽出しようと、日々続けています。」

そう言うが、それは決して感覚だけでやっているのではない。
彼の手帳のメモ欄は毎日の試行錯誤を図解や数値にして書き留めた物でいっぱいだった。

「エンジェル・ステインと名づけた私のエスプレッソ・ショットの理想は、マラドーナとの撮影の時に遭遇した本場のアルゼンチン・タンゴ。娼婦が踊って男を誘惑するときの、その余韻をエスプレッソで表現したいんです。」

テイクアウト用の紙カップには「Coffee people have to be Sexy(珈琲人はセクシーでなきゃ!)」とスタンプされている。このスローガンは、田中さん出演で12月に全国公開される「A FILM ABOUT COFFEE」の劇中でも語っているそうだ。

ベアポンド・エスプレッソの顔であるエスプレッソの味は、セクシーで情熱的で、それでいてすごく優しい。これこそ、田中さんそのものだと僕は思った。

「未知なる珈琲の追求以外には興味がない。」
そう言い切る田中さんの店の内装はとても素っ気ない。
ベンチに見立てた古い木製の足場が数台並んでいて、壁面から小さな板が突き出している以外は何もない。

シンプルでストイックな空間に、ロックやソウルが心地よい音量で流れる中、音も聞こえないであろうという表情で夢の余韻をカップに落とす田中さんの姿を横目に、その珠玉の一杯を味わってみて欲しい。
たちまち彼の熱い情熱とその優しさに包まれて、この店の人気のワケがわかるはずだ。

今月の一杯 【ベアポンド・エスプレッソのエンジェル・ステイン】

今回とびきり素敵で目からウロコが落ちまくりの話しを聞いた後で飲んだエスプレッソ、その名も「エンジェル・ステイン(天使のシミ)」。
デミタスカップの飲み口に滴り落ちるエスプレッソのシミを「悪い事してるわけじゃないから」拭き取らないことを逆手に取ったネーミングだそう。
甘くて苦くてコクがあってまろやかで…立体的な味とは正にこれのことである。初めての味がする、砂糖を入れずに飲む天使のシミを、ぜひご堪能あれ。

ベアポンドエスプレッソ
東京都世田谷区北沢2-36-12
03-5454-2486
火曜定休
http://www.bear-pond.com/

PROFILE
尾崎 雄飛

2001年よりセレクトショップのバイヤーとして勤務後、2007年に〈フィルメランジ ェ(FilMelange)〉を立ち上げる。2011年に独立し、フリーランスのデザイナーとして様々なブランドのデザイン、ディレクションを手がける。そして2012年1月に自身のブランド〈サンカッケー(SUN/kakke)〉をスタート。現在、様々な商品のブランディングも務めている。

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