珈琲が好きです。
と、周囲に言いふらしていたら、ひょんなことからこうして珈琲について書かせていただくようになった。
ぼくは中学生の時に父親を真似て、完全なカッコつけで珈琲を自分で淹れるようになって以来、ほとんど毎日珈琲を淹れて飲んでいる。
いま36歳なので、22、3年のキャリアといえば、なかなかのものだ。
なぜ、こんなに長く続けているのかと聞かれれば、多くのキャリアある喫茶店の店主がそう言うように「ただ、好きだから…ですかね。」と答えるだろう。
そう、ぼくは実に珈琲が好きなのだ。
そしてその愛は、広くて、深い。
この読み物を書く上でいつも注意してきたことは、なるだけ主観を省いて、読者諸兄の珈琲への入り口、あるいは通り道を狭めないようにする、ということ。
折しも「サードウェーブ」なんて言葉が流行して、世の中には「いま、おいしい珈琲はコレです」みたいな風潮もなくはない。
それでも、ここでいくつも紹介してきたように、珈琲には本当にたくさんの種類、作り方、関わり方があって、そのどれもが尊く深いのだ。
「珈琲はおいしくて楽しいものです。みなさん、いつも以上に珈琲を知って、好きになって、楽しみましょう!」
というのが趣旨であるこの読み物を通して、ぼく自身の珈琲観も更に広くなったし、食わず嫌い(飲まず嫌い?)も克服した。
そして、実はこの連載も今回が最後。
ということで、今回は敢えて、逆におもいっきり主観な「ぼくの好きな珈琲」を淹れる。
それを飲んで満足して、この読み物を終わりにしよう。
さあ、まずは珈琲豆を挽く。
珈琲豆は中深煎りのほろ苦いのが好きだ。
酸味は適度にあればいい。
ブラジルの豆をベースにした、老舗喫茶店のブレンドコーヒーならバッチリだ。
豆を挽くミルはフランスの蚤の市でみつけた『ザッセンハウス』のアンティーク。
古いものだけど、刃を目視して大丈夫そうだったので購入。
もちろん、新しい電動機械の物のように均一でキレイに挽くことは出来ないけど、逆に味にムラが出るくらいワイルドな挽き方になって、なんだか香りが強くなる気がする。
ガリガリガリ、ガツン、ガリガリ、ガツン、と、つっかえながら豆を挽いたら、ハンドドリップで淹れよう。
ぼくが珈琲を淹れ始めた時、家にあった器具は『カリタ』の小さなドリッパーとサーバー。
当時は父親ひとりで珈琲を飲んでいたわけで、1〜2人用のタイプだった。
その3つ穴で角度のゆるい小さなドリッパーを使って淹れる珈琲が今でも一番好きだ。
ゆっくり淹れる事ができるタイプなので、味に深みが出る。
だから、今回も小さなカリタで淹れよう。
これは20代の頃に新調したものだったけれど、珈琲の色が樹脂に染みこんで、なんだかいい色になっている。
道具の経年変化も、珈琲の楽しみだったりする。
ドリップポットは事あるごとにお薦めしている『トリバコーヒー』さんの開店時に購入した、名門『タカヒロ』の別注品。
ため息が出るような美しいブラックメタリックだったけど、こちらも経年変化で、今ではなんだかわからないことに。
さあ、ドリップ。
コーヒー粉の真ん中に指でくぼみを作って、お湯を落とす。
粉にお湯が行き渡ったら30秒以内で蒸らす。
カリタを使う場合は、お湯を「置く」感覚で、細く、ゆっくりと、何度かに分けて淹れていく。
黒々とした綺麗な色。これも珈琲のいいところだな。「琥珀色した飲み物」とはよく言ったものだ。
マグカップに注ぐ。
ぼくは珈琲の味や産地のイメージでカップを変えるのが好きなのだけど、一番好きなカップは、というと、これまたアメリカのアンティークショップで買ったスマイル柄のこのマグが登場する。
ひび割れに長年入れた珈琲がしみて、なんとも言えない、いい色になっている。
見る人によっては捨てたほうがいいレベルの汚さだけど……。
さあ、いざ実飲。
派手さはないけれど、確かな珈琲の旨味がある、いい一杯ができた。
この読み物でも色々な珈琲を体験してきたけれど、ぼくの好きな珈琲はやっぱりコレなのだ。
自分が好きなもの、心落ち着くものというのは、他人と違ってもかまわない。
そして、この珈琲天国は、広くて、深い。
その中で、自分がいちばん心地良いと思える珈琲を、あなたにも見つけてほしい。
おしまい。
今月の一杯/岐阜・下呂温泉「緑の館」ロイヤルブレンド4713
日本三名泉にも数えられる、岐阜県の温泉街・下呂。その街外れにひっそりと、しかしかなりの存在感で佇む老舗喫茶店のブレンド。2004年7月に天皇皇后両陛下が岐阜県の宇宙素粒子研究施設「スーパーカミオカンデ」を視察された際に振る舞われたことから命名。ほろ苦くもまろやかな絶妙ブレンドは、まさにぼくの好きな感じ。