VOL.23
『都会を出ずに田舎に居る』、
ツイードジャケットはこの心境で着こなしたいもの。
ツイードのない人生なんて
職業柄さまざまな著名人の洋服箪笥の中身を見る機会があった。そんなとき、梳毛(そもう。毛羽立ちの少ないウール地。主にビジネスに使用される)のダークスーツに混じって、よく着込んだツイードジャケットがワードローブにあるのを見つけると、その方の充実したオフの生活が想像できて、なんとなく嬉しくなったものだ。
その昔、「英国紳士は3着の服があれば事足りた」と言われていた。3着とは冠婚葬祭などに着るフォーマルウエア、シティで着るディレクターズスーツ、そしてカントリーで着るツイードジャケットである。
しかし現在のように都市のスプロール現象(無計画な宅地造成により都市が無秩序に広がること)が進行して、都市と田舎の境がなくなってくると、英国紳士気取りで「ツイードはカントリー以外では着ないものだ」という厳格なルールは崩れてしまう。
ならば現代を生きる我々はどのようにツイードジャケットを着こなせばよいのだろう。その気持ちの在り方というものを、これから考えてみたいと思う。
茶人の心持ちを見習う
日本の中世を生きた茶人たちは、京都に田舎をもつことを『心の理想』としたという。当時の京都は、天皇がお住まいになり、凝った作りの社寺仏閣も多い。おまけに茶屋や料亭も一流どころが揃っていて、遊びには事欠かない大都会であった。そんな喧噪とした都会の京都に田舎をもつとは不思議なことだが、その意味するところは「京の都に住みながら、心のなかではいつも田舎を感じて暮らしていたい」ということだったのではなかろうか。
当時の京都は、市中はたしかに賑やかだが、鴨川を少し奥に入ると鬱蒼と樹木が生い茂り静かな環境が得られたという。そんななかに小さな草庵を造り、親しい友を招いて茶をたて、しばし浮世の雑事を忘れる。茶人の言う「暮らしのなかで田舎を想う」とはこうした生活の遊びだったのだろう。
そんなわけで、我々がオフに都会でツイードジャケットを着るときは、中世の粋人のごとく「都会を出ずに田舎に居る」という心構えを忘れないようにしたいもの。カラダに馴染んだツイードを着て、素直でゆったりとした気持ちで友人たちと接すれば、素晴らしい時間が過ごせるかもしれない。
民芸運動がもたらしたツイードジャケット
日本にツイードが初めて紹介されたのは大正時代だという。
明治時代は、和魂洋才の大号令とともに、洋服も政府関係者が公式の席で着用するフロックコートなどが真っ先に導入された。こうした官服は分厚いドスキンで仕立てられ、色は黒。それを羊羮色に変わるまで着た、一生モノの重厚な作りの服であった。
しかし大正は、デモクラシーの台頭とともに、官服から民服(市民服の略)へ移行していく時代だった。明治の末に夏目漱石が発表した『三四郎』に登場するニュータイプの学生は、もう天下国家を論じない。三四郎の友人たちも、官界で立身出世する志しはなく、蛮カラも時代を遅れとばかりに、フロックコートの代わりに新登場したラウンジスーツ(現代のスーツの原型)を着始める。
そんな風潮のなかで登場したのが柳宗悦が始めた民芸運動であった。民芸運動とは芸術家の作る高価な一品を床の間に飾るより、日常に使える生活食器などに新しい美の価値を見いだそうとする運動だ。その根底には白樺派(大正の文人たちの集まり。武者小路実篤や志賀直哉がいる)のユートピア思想や、ウイリアム・モリス(英国の建築家にして室内装飾家)のアーツ&クラフト運動があった。
柳宗悦は、友人である香港生まれの英国人バーナード・リーチの影響もあって、英国にはカントリージェントルマンと呼ばれる人々が存在することを知る。カントリージェントルマンは、たまにシティへ出て仕事もするが、生活のほとんどは田舎で暮らし、そこで晴耕雨読の暮らしをしている優雅な人々。彼らが生活着として愛用している服がツイードジャケットであることを知った柳は、民芸運動に共鳴する仲間たちにもツイードを着ることを奨励したのである。
彼は、当時知的クラスのたまり場になっていた日本橋の丸善書店と交渉し、ツイード服地の輸入を開始する。柳宗悦、武者小路実篤、志賀直哉、陶芸作家の河井寛次郎らは、丸善洋服部にスリーピースのツイードスーツを仕立てさせ、日本の田園紳士スタイルの普及に努めたのである。
さまざまなツイードジャケット
想像するに、柳たちのツイードスーツはブラックフェース種の羊から採れるハリスツイードではなかったろうか。またジャケットにはチェビオット種の羊から採れるツイードを使ったかもしれない。なぜならチェビオットツイードは生地がやわらかいために、トラウザースには向かないからだ。
現代のハリスツイードは、ブラックフェース種の羊とチェビオット種の羊の交配種が使用されているから、だいぶ着やすくなったが、昔のハリスツイードは生地のなかに刺し毛と呼ばれる硬い毛が交じり、もっとゴツゴツした風合いだった。
そのため「貴族はハンティングなどでハリスツイードを着ることを好まず、刺し毛の混じらないチェビオットツイードを愛用した」と以前ジェレミー・ハケットにお聞きしたことがある。
ツイードには、このほかにもドネガルツイードやシェットランドツイードがある。ドネガルツイードはアイルランド産のツイードで、平織りのものが多い。作家の開高健が釣りでかぶっていたツイードハットは、デヴィットハンナ&サンズのドネガルツイードだった。
シェットランドというとニットが有名だが、じつはツイードも織られている。ニットのように毛玉ができやすく、それをかまわず抜いていくととても良い風合いになるのだという。筆者の仕立ての師匠である服部晋によると、シェットランドツイードは柔らかで暖かく、とても良いものだと推薦している。
日本ではハリスツイードばかりが持て囃されるが、さまざまなツイードが紹介され、それぞれの良さを味わってほしいと願う。
最後になるが、筆者が最近気になっているツイードジャケットの着こなしは、映画『ヒューゴの不思議な発明』(2011年公開)に出てくる子供たちの着こなしだ。主人公のふたりはともに着古したツイードジャケットに横縞のニットをコーディネートしているのだが、その色合わせのセンスがじつに素晴らしい。衣裳デザイナーはロンドン生まれのサンディ・パウエル。さすがアカデミー衣裳デザイン賞をこれまでに3度も受賞したことだけはある。日本ではヒットしなかったが、筆者の大好きな映画『アビエイター』(2004年公開)も彼女が衣裳担当。
服好きの映画選びは、監督や俳優に加え、衣裳デザイナーが誰か、ということも今後重要な要素のひとつになってくると思う。