Vol.51 トラッドな春夏スーツ服地の知識を蓄えれば仕事も快適にこなせる。
サマースーツの定番服地となるウールトロについて、ニューヨーカーのチーフデザイナーの声と共にその特徴を予習。今シーズンのス...
ICON OF TRAD
ローファーのシンプルな造りの中に散りばめられたディティールからは、この靴を愛用してきた人々の歴史や文化、ライフスタイルが見て取れる。世界中の洒落者を魅了する、その魅力に迫る。
ローファーのルーツは北欧にある
蔦がからまる校舎の石作りの階段。ひんやりとして静かな図書館の木製フロア。雨に濡れたキャンパスの生き生きした芝生。そして歓声に沸くカレッジフットボール・スタジアムの観戦シート。こうしたキャンパス風景に、ローファーはとても良く似合うと思う。
ローファーが初めてファッションシーンに登場したのは、『エスカイア版20世紀メンズ・ファッション百科事典』(スタイル社)によると1930年代の頃らしい。もとはノルウェーの農民が手作りしていた作業靴を英国人が発見。それを米国人がリゾート地で利用して流行したということだ。
イラストでお判りのように、原型は甲ベルトにダイヤの切り込みが入っていて、現在のペニーローファーに似た形をしている。作りもローファー同様に、靴の前部がモカシン縫い(1枚の革で靴の底からアッパーの一部までひと続きにした製法)だったという。当時の靴の名称は、ノルウェーにあやかってウィージャンズ(weejuns)と呼ばれていたが、その後に米国の靴メーカー、バス社が商標登録している。もっともローファーという名称も、じつは米国のネトルトン社の商標登録である。しかしこの手の靴をスリップオンというのも感じがでないので、ここではローファー(怠け者という意味があるらしい)と表記することにした。
ローファーに1セント銅貨を入れる風習
ローファーは1950年代にアイビー校の学生の間で大流行した。その理由は、モカシン製法によるリラックス感。着脱が手軽にできるスリップオンの機能。ホワイトジーンズからブレザーまでコーディネートできる着用範囲の広さ、などがウケたのだと思う。
当時のファッションのキーワードは『アメリカン・インフォーマル』。つまりアメリカらしい合理性と快適さを優先する考えがファッションに根付き、その代表的なアイテムのひとつがローファーだったわけである。学生たちが愛用したのはペニーローファーと呼ばれるデザイン。これは靴の甲革の上に、スリットの入ったベルトを渡したもの。そのスリットのなかに、幸運のお守りとして1セント銅貨を挟み入れるということが、学生の間で流行したことによる命名である。
ではなぜ、ペニーローファーと呼ぶのだろうか。1ペニーは英国通貨の最小単位。アメリカ人はそれにあやかって、同じ銅貨の最小単位である自国の1セントコインをペニーと呼んでいたからだ。映画『5つの銅貨』に代表されるように、1セント銅貨にはさまざまな幸運の言い伝えがある。たとえば自分の生まれ年の銅貨を持つと幸運を呼ぶとか、朝一番に拾った銅貨は幸運のお守りになるなど。また当時のアメリカでは2セントで公衆電話がかけられたから、緊急連絡用として靴にコインを忍ばせたということもあるだろう。
この風習、1960年代の日本のアイビーでは、当時のアイコンであったケネディ大統領にあやかってケネディコインを入れようとしたところ、これは大きすぎて入らない。代わりに江戸時代の貨幣を入れて、銭形平次親分を気取った洒落者もいたらしい。またこのベルトと甲革を接合するための補強として、小さな革パーツをかぶせ、そこをロウ引きの麻糸で補強するローファーも登場した。その形状が西欧料理のビーフロールに似ているために、このディテールを備えたローファーを、特別にビーフロール・ローファーと呼んでいた。ビーフロール・ローファーの元祖は米国のセバコ社だといわれている。
さらにこのベルトが、靴底あたりまで伸びた作りの靴は、サドルローファーと呼ばれた。サドルローファーはアイビーのなかでも、ちょっぴり英国スタイルに影響された人に好まれたディテールであった。甲革にベルトや房飾り(タッセル)のないプレーンなタイプのローファーは、ヴァンプという名がつけられた。甲革の形状がコブラの頭部に似ていることからコブラヴァンプと呼ばれたローファー(正式にはローシームヴァンプ)は、コンポラ好きの人が愛用していたものだ。
素足に似合うローファーとは?
ローファーには2種類の製法がある。ひとつは、モカシン製法で底付けし、厚手の1枚革のアッパーだけで、裏地の革を省いたもの。ライニングがないので、補強用に入れるつま先の芯もかかとの月型芯も入っていない。こうした作りをアンラインと呼ぶ。1950年代にアイビー校の学生たちが好み、ときに素足で履いたローファーはこのタイプの作りであった。
もうひとつは、モカシンよりずっと堅牢な底付けのグッドイヤーウェルテッド製法のローファー。こちらには裏革が貼られているので、先芯も月型芯も入っていて重厚な雰囲気を持ち、耐久性にも優れている。ブランドでいうと、アメリカのオールデンやフランスのJ.M.ウエストンがその代表といえるだろう。これらは価格も高く、学生よりも大人のローファーといえる風格を備えている。
ところで筆者は1980年代初めに、ある雑誌の依頼でシカゴとロサンゼルスを取材した。このときブルックス・ブラザーズに立ち寄り、憧れのコードバンのローファーを購入した。この靴はグッドイヤーウェルテッド製法であるのにもかかわらずアンラインで作られていたのである。軽快な雰囲気のローファーといえども、重厚なグッドイヤーウェルテッド製法のものを素足で履くのは快適さに欠ける。そこで、たまに素足でローファーを履きたい大人のトラッドマンのために、ブルックス・ブラザーズがオールデンヘ特別に注文して作らせたのがコレなのである。外観はシンプルだが、ローファーもなかなか奥が深いものだと感心した。
ローファーをスーツに合わせて良いのか?
1990年代に入ると筆者は頻繁にイタリアを取材するようになる。そこでトッズのゴンミーニというローファーと出会う。しかし最初は、ゴムの突起が付いたこの究極にシンプルなローファーが、なぜイタリアの裕福な人々を魅了しているのかが判らなかった。そんなとき当時トッズの社長であったディエゴ・デッラ・ヴァッレ氏に夕食会に誘われたのである。食事会のテーマは、「日本進出の前にトッズの世界観を分かりやすく伝えたい。そこでトッズのアイコンにふさわしい人物を誰にするか?」というもの。
素晴らしい夕食とともに楽しい議論が続き、そこでデッラ・ヴァッレ氏が中心となってまとめた結論は、男性はスティーブ・マックィーン、女性はオードリー・ヘプバーン、というものだった。ふたりともスポーティでシック。しかも時代を超えてクールさを失わない。トッズのアイコンにふさわしいが、同時にローファー全体の世界観を言い当てていると感じた。
トッズのゴンミーニは、リゾート地のカジュアルシューズと思われがちだが、イタリア人はこれを都会でスーツに合わせる名人だ。彼らがスーツに、ゴンミーニやローファーを合わせるときのコツは、スーパー150程度の軽いクラシックスーツに黒いローファー。そこにあえてリブ編みのウールかコットン製ホーズ(長靴下)を合わせるというもの。なぜ素足で快適な靴に、ドレッシーなホーズを合わせるかというと、スーツにローファーを組み合わせることですでにヒネリは充分効いている。そこに素足では、ハズシすぎで品が落ちる、というのが彼らの着こなし理論なのである。
イタリア中の裕福な家族を訪問して、実際の暮らしのなかでゴンミーニやローファーが愛用されている様子をリアルに撮影した大判写真集『ITALIAN TOUCH』(SKIRA)を見ると、彼らはTPO(時、場所、目的)に応じて、ローファーを素足で履くか、靴下を履いて合わせるかをじっくり考えて実行していることがわかる。彼らがあまりに自然にそれを使いわけるのに対し、日本人は流行となると、TPOなどおかまいなしにローファーは素足がシックだ、と思い込んでしまう傾向が強いようだ。
筆者はイタリア人ほど洒脱にスーツを着こなす自信がないから、ドレスアアップ時にローファーでリラックスしたいときは、J.M.ウエストンのローファーにダークカラーのウールホーズを合わせ、ブレザーにグレーのウールトラウザーズを合わせることにしている。
Navigator
遠山 周平
服飾評論家。1951年東京生まれ。日本大学理工学部建築学科出身。取材を第一に、自らの体感を優先した『買って、試して、書く』を信条にする。豊富な知識と経験をもとにした、流行に迎合しないタイムレスなスタイル提案は多くの支持を獲得している。天皇陛下のテーラー、服部晋が主催する私塾キンテーラーリングアカデミーで4年間服づくりの修行を積んだ。著書に『背広のプライド』(亀鑑書房)『洒脱自在』(中央公論新社)などがある。
いい男は優れたスーツ地を選ぶ目を養っている。
Vol.43 どんなに重くても手に提げて持つ、それがトートバッグの美学だと思う。