ICON OF TRAD

Vol.45 いい男は優れたスーツ地を選ぶ目を養っている。


Sep 1st, 2016

Text_Tohyama Shuhei
Illust_Yoshihumi Takeda

ウールは呼吸をする生きた生地だ。その造りや製法を知ることで、よいスーツを見極める新たな視点を手に入れたい。

いい服地を選ぶことは教養のひとつである

以前ある雑誌で、『いい女の条件は?』という特集が組まれ、さまざまな人にアンケート調査をしていた記事を読んだ記憶がある。そのなかで、名前は失念してしまったが、日本の著名なオートクチュール・デザイナーが「いい女とは紺色のウール・ギャバジンを選ぶ目を持った人です。かっちりと仕立て映えのするギャバを選べるのは教養のひとつですから」と答えているのを読んで感動してしまった。  

これを現代の男性に置き換えると、「いい男は紺色のウール・サージを選ぶ目を持っている」ということになろうか。サージは丈夫で安定感のある紳士服地の基本素材だ。その証拠に、昔のリクルートスーツの定番は紺のサージであった。だがそのいっぽうで、太番手のサージは作業服や学生服に使用されることも多かった。そうしたなかで、社会人にふさわしい品格をもつ紺色のサージスーツやブレザーを選ぶ目を養うことは、英語や経済学を学ぶことと同じくらい大切な教養のひとつだと筆者は考えるのである。  

扉のイラストは、トラッドなメンズクロージングストアで服を選ぶジェームス・ダーレンという1960年代の米国の若手俳優。昔のトラッドショップにはベテランの店員が多く、若い客に適確で参考になるアドバイスを与えてくれたものだった。今回はそんな洋服のアドバイザーとして、ニューヨーカー紳士服商品チームのチーフデザイナーで、素材についても詳しい中島陽一郎氏にスーツ地のフィニッシング(整理加工技術)について教えていただいた。

ウール地に底艶を生むペーパープレス

フィニッシングとは何だろう。中島さんはその例として、まずふたつの生地を見せてくれた。ひとつは表面がボソボソしたような、よく見かけるスーツ地。しかしもういっぽうは上品な光沢があり、高級そうに見える。聞いてみると2種類の生地は、72番手双糸(2本の糸を1本により合わせたもの)のシャークスキンで、同じものだという。「底艶のある後者の生地には、世界に数台しか現存していないペーパープレスを2度かけています。これがフィニッシングなのです」ペーパープレスとは、水を含ませた生地の間に厚さ4~5mmほどの厚紙をジグザグ状に手で挟み込み、その間に電流を流しながら油圧による重しを落として、一昼夜置くという手間のかかる手法だという。

「今は、タテ糸を番手の高い双糸、ヨコ糸を単糸にしたイタリア系のスーツ地が主流ですが、数年で経年劣化が現れてしまうこともある。着るほどに味の出てくるトラッドなウール地は、タテ糸ヨコ糸とも双糸使いで72番手ほどがベストなのです。そうした質実剛健な生地を使いながら底艶をもつ高級感を醸し出すために、生地にする最後のナチュラルなお化粧、それがペーパープレスと考えてください」と中島さん。さらに、ウールにシルクをブレンドした高級輸入生地は照明の光を拾ってギラギラした感じの光沢になるが、ペーパープレスはそれがなく、深みのある艶が上品さを醸し出すという。しかも生地には独特のヌメリとコシが残る。まさにトラッド派好みの仕上げなのである。

生地にウールの風合いを取り戻すロープ洗絨

話は前後するが、フィニッシングの最初の工程は、織機から生地をはずし、それを洗うことから始まる。というのも織り上がったばかりの生地は、カーキの綿生地のような粗野な感じだからだ。そこにウール本来のふっくらとした風合いを取り戻す作業がロープ洗絨(せんじゅう)、スコアーリング(洗い流すこと)と呼ばれる工程である。洗いの工程も、最近は適当に洗って硬いゴムのローラーで短時間に絞るという作業があたり前になっているけれど、これでは表面的に良く見えても、ウール自体が荒れてしまう。

ロープ洗絨は、これとはまったく別物の、ウールに優しい丁寧な方法だという。「スコアーリングとは、織り上がった生地をまずロープのようにねじり、それを低速で回転しているローラーのなかに高濃度の石鹸水とともに入れて、クリーミーな状態で生地に付着した汚れなどをゆっくりと落とし、最後にサクラ材が使用されたローラーで水分を絞り込みます。1回の洗絨に要する時間は4時間。一般の工場の倍以上の手間が要ります」。

合成洗剤でなく天然洗剤を使う理由は、ウールの油脂分を補って、ウール本来のふくらみを取り戻すためだという。さらにさくら材のローラーを使うと、強すぎず弱すぎずの絶妙な絞り具合になるという。ペーパープレス機同様、さくら材のロープ洗絨機も、伝統的で良心的な整理加工に必須だが、生産効率が悪いために現存しているものが少ない。ダイドーリミテッドでは1990年に生産拠点を国内から上海に転換した際に、これらの希少な機械を含め、技術ノウハウのすべてを移行したということだ。

ウール地を寝かせると狂いのこない素材が生まれる

ロープ洗絨の後に石鹸水をすすいで、いわばウール最高の風合いを蘇らせる基礎を作ったら、次はエイジングの工程に入るという。「エイジングとは水分を含ませたままの生地を、一定の環境下にある部屋に広げて、時間をかけて丁寧に寝かせることです。ウール生地は織り上げられたり、洗いをかけられたりして糸にストレスを受けています。それを最低でも10時間以上かけてリラックスさせてあげる。ウールは呼吸しているので、時間をかけることによって生地の歪みが戻るわけです」。

中島さんの説明を聞いて筆者の脳裏に浮かんだのは、実家のリンバ(材木置き場のこと)であった。家を建てる木材は、山から切り出されて柱に製材される。しかしこれですぐに家を建ててしまうと、水分を含んだ柱が乾燥して暴れだし、建て付けの悪い歪んだ家が出来てしまう。そうしないためには、製材した柱を一定期間、材木置き場で寝かせて水分を飛ばしてやる必要があるのだ。ウール地のエイジングもこれと同じことなのだろう。単純な工程に思えるけれど、歪みや狂いのないスーツを作るのには、とても大切な工程なのだと感じた。  

フィニッシングの工程を逆にたどったのでもう一度整理しておくと、織機から外されたウール服地は、まずロープ洗絨されて汚れや風合いを整えられ、次にエイジングによって生地の歪みなどをナチュラルに整える。最後にペーパープレスによって底艶をもつ上品な生地に仕上げるという順番になる。

現在このような手間のかかる服地の整理加工を施しているのは稀で、ダイドーリミテッドではこれをプレミアム・フィニッシュと名付けている。こうした仕上げ工程の技術は、戦前は紳士服地の本場英国の独壇場だった。しかしダイドーリミテッドでは、染色技術のノウハウを提供する代わりに、英国老舗毛織物メーカーのもつフィニッシングの技術を導入。さらにそこへ日本の技術とシステム的な改善を加え、日本独自の手法を完成させたのである。  

優れたトラッド服地を選ぶ目を養うには、まずこうしたフィニッシングが施されたスーツをチョイスすることが近道ではないだろうか。じっくり着込むほどに、しわの復元性などウール本来がもつ数々の特性が、同価格帯のイタリアスーツと比べて断然違うことが実感出来るはずである。


Navigator
遠山 周平

服飾評論家。1951年東京生まれ。日本大学理工学部建築学科出身。取材を第一に、自らの体感を優先した『買って、試して、書く』を信条にする。豊富な知識と経験をもとにした、流行に迎合しないタイムレスなスタイル提案は多くの支持を獲得している。天皇陛下のテーラー、服部晋が主催する私塾キンテーラーリングアカデミーで4年間服づくりの修行を積んだ。著書に『背広のプライド』(亀鑑書房)『洒脱自在』(中央公論新社)などがある。

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