Vol.51 トラッドな春夏スーツ服地の知識を蓄えれば仕事も快適にこなせる。
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ICON OF TRAD
ワッペンにデザインされている色とりどりのエンブレム。ファッションのアクセサリーとして様々なタイプがありますが、これはただの装飾じゃないようです。そんなエンブレムの誕生から伝承まで、今月も遠山さんが考察します。
80年代に人気だったエンブレム
1987年に美術出版社から発刊された向田直幹著『エンブレム プライドのかたち/ブレザーを楽しむための本』という大判の写真集が楽しい。約30年も前の本なので、筆者は近くの区営図書館から借りて愛読している。向田直幹は世界各国を訪問し、看板や風見鶏などを撮影して数冊の本にまとめている写真家で1936年生まれだから筆者の大先輩。たしか東京湾に係留してあるヨットで暮らし、服飾業界の知人も多い、と御本人から聞いたことがある。1980年代には銀座のレンガ通りで『スタジオMOU』というファッションブランドを立ち上げたこともあった。お洒落への意識が高いマルチクリエイターなのである。
この本のなかには英国軍のエンブレム、大学のエンブレム、スポーツクラブのエンブレムなど8種を分類し原寸大で紹介している。なかでも興味深いのは、ブランドのエンブレムという項目で、当時人気だったトラッドブランドやDCブランドがデザインしたエンブレムを何10種類も登場させている。バブリーだった80年代の洋服の着こなしは、他の人より何か少し違ったことを加えて個性を発揮するという意識が強かった。ブレザーにエンブレムをつけるという方法は、まさにそんな足し算のファッションにぴったりくる着こなしテクニックだったわけだ。
週末に開催されるパーティに着ていくブレザーにどんなエンブレムをつけようかとか、スポーツサークルで仲間とつけるお揃いのエンブレムはどんなデザインにしようかなど、当時のお洒落な若者は頭を悩ませたものである。そんなときこの本『エンブレム』があればどんなに役立ったことだろう。惜しいことに、これが出版された当時、ファッションの傾向はミラノモードへ移っていた。
エンブレムのルーツは紋章学
筆者を含む日本人はこれまでエンブレムのことを、ブレザーをヴァージョンアップするアクセサリーのひとつ、という程度にしか捕らえていなかった。またスポーツクロージング、たとえばスタジャンやウィンドブレイカーにつけるものは、ワッペンと呼んでエンブレムと区別したつもりになっていた。
しかし西欧では、エンブレムを我々のようにお気楽に考えていない。その証拠に、欧米で出版された服飾教本では、エンブレムをファッション小物のひとつとして扱っている本は少ない。というのもエンブレムは権威ある紋章学に由来するからである。紋章の柄によっては他人が勝手に使ってはいけないものがあるのだ。かなり以前に、オランダ王家の紋章を日本のネクタイメーカーが知らずに使用して問題になったこともあったという。
またワッペンはドイツ語で、意味は紋章のこと。フランス語ではアンブレムと呼ぶらしい。また英国ではブレザーにつけるエンブレムを、特にブレザークレスツとかバッジと呼んで、紋章(ヘラルドリー)とは区別している。また紋章を持つほどの高位の人は、自分の持ち物(食器や衣料)に紋章を略したしるしをつける。これを英国ではエンブレムと呼んでいたらしい。この略紋章は、盾のなかに花や動物の柄を添えたシンプルなもので、ブレザーにつけるエンブレムとよく似ている。そのため日本では、エンブレムという名称が広がったのではなかろうか。
紋章学をほんの少しだけ齧ってみるのも面白いと思い、日本での紋章学の権威である森護の著書を数冊(英国紋章物語、ヨーロッパの紋章など)読んだが、とにかく複雑で難解である。むしろ筆者には神田神保町の洋書店のワゴンセールで購入した『HERALDIC DESIGN』BRACKEN BOOKSという、中世の紋章をカラーイラストで再現した大判画集が楽しかった。ここに登場するドラゴン、大蛇、翼のある魚などの想像上の怪物と、剣や王冠などが絡み合った図柄は、ユーモラスでありながら凛々しさを併せ持ち、すっかり忘れていた少年の頃の空想癖が蘇ってきたのである。
またもし、これらの図柄に一定の法則が見いだされるのなら、判らないながらも自分なりに空想したオリジナルのエンブレムが作れるかもしれない。それがファッションにおいて読者の創造性をかき立てるヒントになれば、と考察してみた次第である。
ヘラルドリーの歴史
紋章が西欧で作られたのは約1000年前、場所はドイツだという。11世紀のヨーロッパというと十字軍や甲冑の騎士が活躍した時代。当時は騎乗の槍試合がたびたび開催されたが、騎士は甲冑で身をかためているために見分けがつかない。そこで最初は盾(シールド)に自分であることを示すための紋章を入れ、後に馬体を保護する被い布やサーコート(陣羽織)にもそれを入れて、誇らしくトーナメントに臨戦したのだという。
つまりエンブレムのルーツは、騎士のプライドのシンボルとして起こったのである。
13世紀に入ると大学ができる。中世の大学は、教師が生徒へ学問を伝授する、いわばギルドのような学術組合であった。大学は自由団体として権利と義務が与えられ、後には紋章を所有するようになった。たとえばケンブリッジ大学には31のカレッジがあるが、それぞれに紋章があり、校舎の玄関やブレザーのエンブレムなどに使用されている。その紋章デザインは、創設者(王族や富裕貴族)や設立の歴史に由来していることが多い。
またヨーロッパの街を歩くと、各都市ごとに紋章を所有しているのを見かける。これは中世の都市が国家のような独立性をもっていたことの証しだ。戦争のとき、都市の住民は国王でなくその都市を治める豪族のもとへ馳せ参じ、その紋章を旗印にして民兵組織を作った。これらが今日、都市の紋章として継承されたのであろう。こうした紋章は、現在も都市所属のフットボールチームのエンブレムなどに生かされている。不思議なことに欧州で紋章が出来たのと同じ時代に、日本では家紋が作られている。紋章と家紋、似ている面もあるが、異なる点がひとつある。それは、紋章があくまで個人が受け継ぐものであるのに対し、家紋は家のものであることだ。英国には紋章学官(ヘラルド)がいて、個人が代々世襲する紋章を厳しく管理しているという。
ヘラルドリーの約束事
紋章に使用される動植物のモチーフはさまざまあるが、代表的なのは鷲、百合、ライオンであろう。鷲はドイツ、百合はフランス、ライオンは英国の王族の紋章に使用されていることで有名だ。紋章には、盾を支える動物(ビースト)が使われることが多い。また城や貴族の館の屋根には奇怪な動物が飾られていることがある。これらの動物は、城や館の主人をサポートする守護ビーストと呼ばれるもの。ヘンリー7世の犬、ヘンリー8世のドラゴンなどが知られている。
紋章の意匠は一種の記号であり、それぞれ柄には何かの意味があるという。たとえば、藤代幸一著『ヨーロッパ エンブレムの旅』東京書籍によると、剣と天秤をもつ女性は正義を表すという。同じように錨(希望)、子供(愛)、獅子(勇気)、子羊(忍耐)、平たい盃(節度)などの意味がある。
また紋章にはマーシャリングという特別な決まりごとがある。紋章をもつ家の世継ぎが女性であるために婿を迎えるような場合、従来の紋章に婿の紋章を半分組み合わせたものが新たな紋章になる。古い由緒ありそうなブレザーのエンブレムに、4種の紋章が分割されて組合わさったものを見ることがあるが、これは3度マーシャリングが施された家柄なのであろう。さてこんなことを頭に入れて、自分だけのエンブレムをオーダーメイドしたり、選んだりするうえで基本になることは、守護ビーストを何にするか、ではないだろうか?
筆者は日本人なので、守護ビーストを干支から採ることを考えた。生まれは昭和26年の卯。泉鏡花によると、自分の干支から6番めにあたる干支がその人のお守りになるらしい。筆者の場合は、卯・辰・未と数えて6番目は酉になる。そこでエンブレムの中心に盾を置き、それを両脇で支える守護ビーストを卯と酉にした。ウサギは不思議の国のアリスに出てくるウサギの格好が紋章官(ヘラルド)のようで面白いから採用し、酉は文筆や知性の象徴であるフクロウにしてみる。2匹がサポートする盾のなかには、家紋である蔦を配置。その図柄の下に愛用の万年筆と鉛筆をクロスさせて置く。と、なかなか素敵なエンブレムになりそうである。
さて皆さんも、英国の権威あるヘラルドもビックリのエンブレムを考えてみてはいかがだろう。
Navigator
遠山 周平
服飾評論家。1951年東京生まれ。日本大学理工学部建築学科出身。取材を第一に、自らの体感を優先した『買って、試して、書く』を信条にする。豊富な知識と経験をもとにした、流行に迎合しないタイムレスなスタイル提案は多くの支持を獲得している。天皇陛下のテーラー、服部晋が主催する私塾キンテーラーリングアカデミーで4年間服づくりの修行を積んだ。著書に『背広のプライド』(亀鑑書房)『洒脱自在』(中央公論新社)などがある。
アイウェアのベストドレッサーはジェームス・ディーンとスティーブ・マックィーンである。
6年後の東京オリンピックを控えて1964年の東京ブレザーをおさらいする