Vol.51 トラッドな春夏スーツ服地の知識を蓄えれば仕事も快適にこなせる。
サマースーツの定番服地となるウールトロについて、ニューヨーカーのチーフデザイナーの声と共にその特徴を予習。今シーズンのス...
ICON OF TRAD
リニューアル第一弾のICON OF TRADは、様々な逸話や歴史を持つバスクシャツについて遠山周平さんが綴ります。
ライター山口淳を偲んで
『Icon of Trad』と題されたこの連載コラムを執筆していた山口淳が2013年の始めに突然お隠れになってしまい、そのバトンを筆者が引き継ぐこととなった。今頃は天国で最初の花見酒を飲み終えて、『次はこれが欲しい!』などとワイワイやっているかもしれない。
山口淳はまだ誰にも知られていないさまざまなモノや人を世に紹介し広めた男だった。彼のサポートのおかげで一人前に育ったドメスティックブランドは数知れない。かく言う筆者も、夕刊紙の小さなファッションコラムを書いていたところを、当時編集者だった彼に見いだされ、創刊したばかりの『メンズEX』に『モード逍遥』というコラムを連載させていただいた。これが人気となり遠山周平はメジャーデビューできたのである。
山口淳のアイコンとして思い浮かぶアイテムは、バスクシャツである。メガネと帽子は確かにトレードマークであろうが、彼にとってその2点はノートとペンと同じような仕事道具であったように思える。アイコンアイテムとは、どこにもあるありふれた服でありながら、それを身につけるとその人格までをも代弁するもの。となるとやはり、山口淳=バスクシャツという気がする。それにスレンダーな淳には、着古したホワイトサテンのジージャンの下に合わせた、洗いたてでパフッと乾いたバスクシャツがよく似合った。
バスクシャツは俗語か?
そんな山口淳が企画編集した『LIPSETT BOOK A to Z for BON VOYAGE─旅と海をめぐる、26文字の冒険』(東京美術2007年発行)には、バスクシャツについての謎めいた問いかけが記されている。
その文を要約すると「ボートネックの横縞シャツのことを日本では長らくバスクシャツと呼んでいる。服飾辞典を開くと、古くからバスク地方の漁師たちが着ていたことがその名の由来で、リゾートや街で着られるようになったのはフランスのアンティーブ岬に居を構えていたアメリカの画家ジェラルド・マーフィが船乗り向けの衣料店で見つけ、1923年にリビエラ海岸で着たのが始まりという。ところがおかしな事に当のフランスでは、バスクシャツではまず通じない。ブルトンマリン(ブルターニュのマリンシャツ)と呼ぶのが普通のようだ。バスク地方の文献を調べてみても、エスパドリーユやベレー帽がこの地方の特産品や風俗であることは記述されているが、横縞シャツのことは出てこない。もしかして誰かがブルトンマリンをエスパドリーユのようなバスク特産品と混同してしまったのか? いつかその真相を自らの足で解明したいと思っている」
『海流のなかの島々』に登場するバスクシャツ
筆者の知る限りにおいて、バスクシャツという言葉が日本に登場したのはアーネスト・ヘンミングウェイの『海流のなかの島々』からである。まずはその文を新潮文庫・沼澤洽治の名訳で引いてみよう。
「トマス・ハドソンはシャワーを浴び、石鹸で頭をごしごしこすってから、激しくほとばしるシャワーの刺すような水圧の下で流した。(中略)洗いたてのショーツ、古びたバスクシャツという姿で外に出、斜面を下って柵囲いの出口を出るとそこがキングス街道である」
問題は『古びたバスクシャツ』の注解に、「横縞入り、ニットのセーター型シャツ」と記されている点である。いったいブルトンマリン(ブルトントップとも呼ぶ)とバスクシャツ、どちらが本当の名称なのだろうか。
スペインとフランスの国境ピレネー山脈沿いに暮らすバスク人は謎に満ちた民族。他の欧州民族とは異なる特殊な言語形態を持つことから、インド・ヨーロッパ民族(ケルト)がヨーロッパに侵入する前の先住民(イベリア系)と関係が深いのではないかと言われる。
いっぽうブルターニュ半島はフランスにおけるケルト人の居住地。それもブリテン島から移住してきた島ケルトの地なのである。最近のDNA調査によると、島ケルトは大陸ケルトとは血脈がなく、むしろイベリア人の遺伝子が強いという説が浮上した。
これは筆者の勝手な推測だが、ケルトが欧州を征服したとき、先住民の一部はピレネー山脈沿いに追われてバスクとなり、もういっぽうは海を渡ってブリテン島へ逃げたのでないか。島へ逃げた人々はその後再びブルターニュへ戻り、島ケルトと呼ばれるようになった。となるとバスクとブルターニュはつながりがあり、横縞シャツをふたつの海の民が共有していたとも考えられる。
ただしバスクは世界地図にも記載されていないし、国境の両国はバスクの自治独立も認めない。フランスで「バスクシャツって何?」と尋ねても、知らないと返答されるのは当然であろう。筆者は聞き馴れないブルトントップよりヘミングウェイ流のバスクシャツを今後も推すことにしたい。
バスクシャツの着こなし
バスクシャツはボートネックがひとつの特徴だ。一説には、海へ落ちたときに脱ぎやすいことから生まれたディテールだという。しかしこのネックデザインをなで肩の人が着ると、横長の開口部が広がりすぎてうまくおさまらない。そのためバスクシャツの愛用者には、いかり肩の方が多い気がする。ヘミングウェイはいかり肩のうえに胸板も厚いからボートネックがうまくカラダにのっていた。なで肩のピカソは、ボートネックでない丸首のバスクシャツを選ぶ工夫をしていた。
しかしバスクシャツのような基本服は、体型を細かく気にする必要はない気がする。
高倉健が着流し姿で任侠映画に登場したとき、映画会社の老カメラマンが「健さんはいかり肩だから着流し姿がキマリにくい」と、嘆いたという。たしかに昔の映画スターはなで肩が多く、和服姿に品があった。しかし観客からしてみれば、着流しの、諸肌を見せて単身で殴り込みをかける健さんの姿には、肩の形がどうのこうのという昔ながらの美意識をブッ飛ばす格好良さが漂っていた。
個の存在感はときに定形を超越する。バスクシャツを自分のスタイルにするには、何よりこの思い込みが大切なのではないか。
Navigator
遠山 周平
服飾評論家。1951年東京生まれ。日本大学理工学部建築学科出身。取材を第一に、自らの体感を優先した『買って、試して、書く』を信条にする。豊富な知識と経験をもとにした、流行に迎合しないタイムレスなスタイル提案は多くの支持を獲得している。天皇陛下のテーラー、服部晋が主催する私塾キンテーラーリングアカデミーで4年間服づくりの修行を積んだ。著書に『背広のプライド』(亀鑑書房)『洒脱自在』(中央公論新社)などがある。
パーキンスとハミルトンがアイビーの先生だった。
GUERNSEY SWEATER / ガンジーセーター