Vol.51 トラッドな春夏スーツ服地の知識を蓄えれば仕事も快適にこなせる。
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ICON OF TRAD
第4回目のICON OF TRADは、フィッシャーマンセーターとして有名な、アランセーターとフェアアイルセーターの歴史を紐解きます。
服飾史にはびこる、眉唾な逸話の数々。
ファッションにまつわる伝説、逸話には、まるで歴史小説のように都合良く捏造されたり、脚色されたものが少なくない。たとえば、ウィンザーノットと呼ばれるタイの結び方はウィンザー公が考案したと紹介されることがよくあるが、実のところウィンザー公はウィンザーノットを考案したこともなければ、ウィンザーノットでタイを結んだことすらない。なんせ本人がそう書いているのである。ウィンザーノットとは、世紀のスタイルセッターであるウィンザー公が特別に誂えたタイの独特な結び目、エレガントなニュアンスを再現するため誰かが工夫して編み出した結び方、もしくは、その結び目がウィンザー公の結び目のように見えたことからかつては違った呼び方がされていた結び方をウィンザーノットと呼ぶようになったというのが真相だ。
また、ブレザーにジーンズを合わせるカジュアルダウンのスタイリングを初めて取り入れたのは、アーティストのアンディ・ウォーホルだったという有名な逸話があるけれど、あれも、実際にはウォーホルが主宰していたFACTORYのマネージャーだったフレッド・ヒューズのスタイルをウォーホルがマネたというのが真相だ。
人前で見せるものではなかった下着であるTシャツを人前で堂々とアウターとして着たのは、舞台『欲望という名の電車』のマーロン・ブランドが初めてだったという逸話もよく見かけるが、あれも正確な話ではない。それ以前の肉体労働者や若者の写真でもTシャツを着た姿が散見できるからだ。
伝説、逸話としては、著名人がからんでいたり、インパクトのある方が通りもいいから、そんな風に面白おかしく伝わったり、脚色を施された逸話がひとり歩きするのも仕方ない気はするけれど、やはり物事には限度というものがある。
アランセーターの伝説のウソ
フィッシャーマンセーターとして名高いアランセーターにまつわる伝説の場合は、明らかに行き過ぎのケースだろう。しかも、その眉唾な伝説がまことしやかに服飾辞典やファッション雑誌で繰り返し繰り返し、正史として取り上げられたりするものだからかなり質が悪い……。
アランセーターの有名な伝説は、出典によって微妙な差はあるもののおおよそ以下のようなものだ。 「アランセーターとは、アイルランドのアラン諸島で15世紀頃に誕生したといわれるフィッシャーマンセーターのこと。もともとは妻や娘が極寒の危険な海に出る愛する夫や父親のために、あるいは恋人のために安全を祈願しながら一針一針心を込めて編んだセーターで、その編み込み模様には、島の石垣、豊漁を意味する籠、勤労を意味する蜂の巣、命を繋ぐ綱、あるいは魚網、海藻といった海、漁、島の風景などをモチーフにした様々な柄があった。この編み込み模様は母から娘へと代々伝わる特別なもので、家によって異なっていたため、たとえ漁師が遭難して身元が分からないほど遺体が損傷していても、その編み込み模様で身元を特定することもできた。色は乳白色が本格とされるが、ネイビー他もある」。
こういった解説を雑誌などで読んだ記憶がある人は少なくないはずだ。正直いえば、僕も駆け出しの頃は服飾辞典にもそう堂々と書かれていたこの逸話を鵜呑みにして、嬉々として何度も引用し書いたりしたものだ。ところが、この伝説、アランセーターが、アイルランドのアラン諸島で生まれたという下り以外、ほとんどが作り話なのである。このセーターがアラン諸島で編まれるようになったのは、15世紀ではなく20世紀前半のことだし、編み込み模様が家ごとに違っているというのも(結果的にその編み手が得意としている編み模様はあったかもしれないが)、デタラメだ。実際に現地を訪ねたレポートを読んだり、アランセーターに関する詳しい研究書などを読むと、アラン諸島の女たちは新しい編み込み模様を考案したらそれを貪欲に取り入れたらしいし、お互いのテクニックを教え合ったり、盗んだりすることも多かったようだ。いや、よくよく元を辿ればアランセーターは、フィシャーマンセーターですらない。なぜなら表編みのアランセーターは危険な海上での作業着としては危険極まりない。網や針がセーターに引っかかりやすく、最悪の場合、落水の危険さえある。室内プールや温水プールなどなかった当時、北海の漁師たちの中には生まれてこのかた泳ぎをならったことがない者も少なくなかったというから、冬の荒波の海に落ちれば、それは即命を失うということを意味した。わざわざそんな危険なものが作業着として受け入れられるはずがない。そもそも海でも陸でも厳しい労働を強いられる漁師が汚れやすい乳白色のセーターを着るわけがないのである。
確かに、工芸品的な美しさを備えたアランセーターは、貧しい島の名産品として市場に受け入れられ世界的ブームとなっていく過程で、編み手である島の女たちが愛する夫や息子たちのために編む機会は増えたし、母から娘に伝授されたというのもウソではない。また、アラン諸島ではカトリックの聖餐式や堅信礼と呼ばれる特別な儀式で少年たちが白いアランセーターを着るのがいつの間にか正装として定着したことも紛れもない事実である。アランセーターは、アラン諸島の生活、文化とも切っても切れない強い結びつきを持つようになったし、本物の漁師たちも、乳白色ではなかったにしろアランセーターを海に出る際にも着るようにもなった。けれど、その歴史は何百年も前からの話でもないし、ルーツが漁師の労働着だったということとも別の話なのである。
アランセーターは、自給自足に毛が生えた程度の農業と酪農以外、厳しい北海での漁業でしか生計を立てる術がなかった貧しい島が、20世紀前半ある天才ニッターが島にもたらした技術を家に居ながらにして出来る女たちの内職として環境を整えることで生まれたというのが正しい。くだんのアランセーターの伝説とは、島の新しい素朴な家内制手工業(手仕事)である手の込んだ手編みのセーターを世界市場に売り込むため島の優秀なセールスマンが、古くから伝わるフィッシャーマンセーター伝説の一部や戯曲のエピソードを繋ぎ合わせ、さらに大幅な脚色を施して感動的な物語に仕立てて、営業ツールとして活用したというのが実際のところなのである。
アランセーターの場合、さらに複雑なのは、市場で信頼が厚く安定供給されている本格派のアランセーターが、本家アラン諸島(アイルランド島のゴルウェイ湾に浮かぶイニシュモア、イニシュマーン、イニシィアの3つの島から成る)の家々で手編みされる昔ながらのセーターでも、アラン諸島に本拠を置くメーカーのセーターでもなく、スコットランドのインバーアランというメーカーのアランセーターという現状だろう。スコットランドにもアラン島があるため、話はさらに面倒なのだが、響きからいえばアランセーターと深い結びつきがありそうなインバーアランの綴りはInverallanだし、スコットランドのアラン島はArran、そしてアイルランドのアラン諸島はAran Is lands。つまり、早い話がアラン諸島ともアランセーターともインバーアランは特別な関係はない。インバーアランは、あくまでも優れたニッターがもともと多いスコットランドでアイルランドのアラン諸島生まれの名産品を商売として取り上げたニットブランドなのである。作りも品質も優れ供給も安定している本格的なアランセーターを世に送り出している貴重なブランドではあるものの、アランセーターがアラン諸島で生まれたセーターという狭義の意でいえば、本格的ではあっても決して本物ではないということになる。
誤解されると困るのだが、だからといって僕はアランセーターやインバーアランにケチをつけたいわけでは決してない。ただ、物語として美しいということと、服飾史として正しいかということはまったく別次元の話だ。インバーアランを由緒正しき本物のアランセーターとしてメディアやショップが取り上げるのはちょっと違うと言いたいだけである。
フェアアイルは漁師のセーターなのか?
一般的には、アランセーターと並ぶフィッシャーマンセーターとして知られるフェアアイルセーターも、狭義の意で果たしてフィッシャーマンセーターと呼べるかどうかということになると首を傾げざるをえない。というのも複雑な多色編みのフェアアイルがフェア島のあるシェットランド諸島を起源とするらしいということや1920年代はじめにウィンザー公がゴルフ場にこのセーターを着てプレイをしたことがきっかけで世界的に大ヒットしたという逸話は事実でも、この多色編みが、いつ頃、どういう経緯で生まれ、伝わったかということはほとんど分かっていないからだ。
さらにいえば、この多色編みの技術は(そもそもは15世紀頃バイキングによってもたらされたのではないかという説は根強くあるものの)かつて燃料や食料補給のため各国の船が定期的に訪れる海上交通の十字路として賑わっていたシェットランド諸島の手土産として人気のあった手編の靴下や手袋が機械編み機の登場で危機的状況を迎えた19世紀半ば当時、機械編みでは不可能だった特殊な多色編みとして商売上の観点から脚光を浴びたもので、どうやら漁業とも漁師とも接点はかなり希薄だったようなのである。ウィンザー公の逸話にしても、より正確にいえば、それまでまったく無名のフェアアイルが突如脚光を浴びたわけではなく、19世紀後半にはすでに下火になってしまったフェアアイルが再ブレイクした事件という方が正しい。
つまり結果からいうと、アランセーターとフェアアイルセーター、いずれも近年のトラッド回帰の追い風で再注目されるローゲージのニットであり、今季のカントリージェントルマン風の着こなしに欠かせないニットであり、漁業が盛んな島で生まれたという事実はあるものの、生まれも育ちも由緒正しきフィッシャーマンセーターかどうかといえば、はなはだ怪しいというしかないわけである。
では、本物のフィッシャーマンセーターは果たして存在するのか?といわれれば、それは間違いなく存在する。アランセーター、フェアアイルセーターほどの知名度ともリバイバルブームとも無縁だが、英国の場合であれば、ガンジーセーターと呼ばれるセーターがそれに当たる。(次回に続く)
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山口 淳
ライター、ときどきエディター。ファッション誌、旅雑誌、モノ雑誌などのエディター、ライター、ディレクターを経て、現在は主にライター業をなりわいとしている。
著書に『これは、欲しい。』『ビームスの奇跡』『ヘミングウェイの流儀』(共著)などがある。
めったに更新されないブログ〉http://onlyfreepaper.com/yamaguchijun/
GUERNSEY SWEATER / ガンジーセーター
BLAZER / ブレザー