アン ミカさんに学ぶ、美の秘訣
コンプレックスから救ってくれた、母直伝の”4つの魔法”
ーパリコレ出演を果たすなど、華々しい経歴を持つアン ミカさん。モデルを始めたきっかけを教えてください。
母の言葉が強く影響していると思います。私には兄妹が4人いるのですが、幼い頃、私だけ背が低く、ぽっちゃりしていたんですね。体型にコンプレックスを抱えていた私に「ミカちゃんは手足が長いから、将来モデルさんになれるかもね!」と、長所を見つけて褒めてくれたんです。私にとって”美の先生”でもあった母の言葉は、幼子心に強く響いて、「将来モデルになるんだ!」って自然に思えるようになっていました。
ーお母様を美の先生と思うようになったきっかけは?
実は、幼い頃に階段から落ちて、顔に大ケガを負ったんです。そのケガが影響して、ニコッと笑う度に唇がビロンと鼻までめくり上がるようになってしまって、顔を見られることが怖く、笑顔でいることに自信が持てない時期がありました。そんな私を気に病んで、母は美容部員の仕事を始め、そこで学んだ所作を教えてくれるようになったんです。「ミカちゃん、こうやったら綺麗に見えるよ」と、子どもの私でも理解できるよう、綺麗になるための”魔法”を教えてくれたんです。
ー”美容部員だったお母様が教えてくれた、魔法とは?
顔や背中を指差しながら、「姿勢、目線、口角、声!」と唱えてくれるんです。「女のコは姿勢が綺麗だと印象が良いよ。相手の目を見ると感じがいいよ。口角を上げると可愛い笑顔になるよ。優しい声で話しかけると心地がいいよ」って。上手にできた日は、たくさん褒めてくれたんです。
ーお母様のおかげでコンプレックスを克服できたのですね。
はい。母は、兄妹一人一人の素質を伸ばすことが、とても上手な方だったと思います。良く喋る子だった兄には、「法律を勉強して弁護士になったらいい!」。貧乏ゆすりの癖があった姉には、「リズム感が良い!ドラムをやりなさい!」など、今考えると、無理矢理だなって思いますが、その一言が私たち兄妹に小さな自信を付けてくれたんです。元々体が弱かった母は、私が中学3年生の時に亡くなってしまったのですが、幼い頃に母からもらった言葉は、私の人格形成に凄く影響していると思います。
お父さん、お母さん、お姉さんと一緒に撮影した貴重な一枚。向って左がアン ミカさん。
挫折を乗り越え、挑戦し続けた”パリコレ”
ーモデルにとってパリコレは夢の舞台だと思うのですが、とてもシビアな世界だと聞いています。
パリにいた頃を思い出すと、今でも悔しさが込み上げてくるくらい! 辛い経験でいっぱいです。オーディション会場の扉を開けた瞬間に「merci oba!メルシー・オバ!(ありがとう。もういいよ)」と帰されることがほとんど。100個ショーがあったら、アジア人を必要とするショーは2個しか無いと言われた時代。オーディション担当の方を訪ねて事務所にいったのに、受付の女の人に「あなたは会う必要はないわ。あなたの容姿と雰囲気はいらないから」と断られることもありました。
当時、パリのシャンゼリゼ通りには、泣きながら歩いているモデルの女のコたちがたくさんいました。私と同じように断られたのでしょうね..。今でもテレビでシャンゼリゼ通りの映像を見ると、その頃の辛い思い出が蘇ってきて、胃がキュっとなります。
ブランドのイメージに合えば即、合格。その場でコレクション会場の入館証を渡される子もいました。そんな勢いで決まったかと思えば、「ごめん! 今朝のオーディションで、あなたより洋服が似合う子が見つかったの。だから、今日、着てもらう洋服ないんだよね」と、当日会場で断られることも。
やっとの思いで合格して、コレクション会場に行くと、突然ケイト・モスの衣装を渡され、「これを持って、ランウェイを歩いて」と言われ..。ランウェイに衣装がどう栄えるか、チェックをする為のリハーサルモデルだったという経験もありました。
ーそんな辛い思いをしながらも、モデルになることを諦めなかった理由とは?
諦めなかったのは、時代のおかげなのかも知れません。”諦める”という概念や選択肢そのものがなかったんです。それに「一流のモデルになるまで家に戻ってくるな」と父に言われ、家を出たので、認めてもらおうと必死でした。
前もって経験談を聞いていたら、「こういうものなんだ!」と覚悟ができたと思うんですが、当時は日本人でパリコレに挑戦した方の前例が少なく、情報がまったくありませんでした。何も知らなかった私は「私の何が悪かったんだろう?」と自信をなくし、落ち込んでばかりでした。
ーそんな困難を乗り越えたからこそ、アジア人として初めて”THE FACE”、”i-d”といったロンドンのファッション誌に取り上げられたんですね。
パリから帰国してフリーのモデルとして活動していたのですが、ある時、友人の誘いで、京都のファッションショーに参加したんです。その会場で、デザイナーの山下隆生さんからのご縁で、”THE FACE”の表紙撮影で来日していたフォトグラファーのロバート・ショーナーと出会ったんです。彼は今、ハイブランドの広告ビジュアルを手がける、最も著名なカメラマンの10人に選ばれている方なんですが。「明日、撮影があるけど来ない?」と声をかけていただいて。
その時、撮影した写真が”i-dマガジン”に掲載され、注目を浴びたんです。それがきっかけで、ロバートが来日する際は、撮影で呼んでくれるようになったんです。彼との撮影のおかげで、次第に素敵な作品がプロフィールに収まるようになりその作品集を持って再度、パリコレに挑戦、人との出会いも重なって、多数のショーに出演することができたんです。
ロバート・ショーナー氏が撮影した、「THE FACE」マガジンの写真。当時20歳のアン ミカさんがモデルとして世界に羽ばたくきっかけとなった。
トルソーモデルで得た、”自分に似合う洋服”を選ぶヒント”
ーアン ミカさんが洋服を買う時のルールを教えてください
パリでトルソーモデルをしていた時代に、アドバイスしていただいたことが、基準の一つになっていると思います。トルソーモデルとは、お針子モデルのこと。服をつくる際、トルソーに布をあて、針を打って形をつくっていくのですが、「トルソーだとイメージが湧かない!」というデザイナーさんは、実際のモデルを使って洋服をつくるんです。
体に布をあて、パターンを組んでいくのですが、「ミカは肩のラインが丸いから、肩パットを入れようか」等、デザイナー同士が相談し合っている声が聞こえてくるんです。「首が詰まった洋服は、肩が丸く、太って見える。コレクションでこの服を着る時は、角度を付けなくちゃね」とか。彼らの一言一言が”自分に似合う洋服”を選ぶヒントとなりました。
ーモデル時代の経験が洋服選びにも影響しているんですね。
今でも自分が綺麗に見えるラインを意識して、洋服を着るようにしています。今日の撮影で着た、シャツにボーダーのカットソーを合わせたスタイリングも、肩が丸く見えやすいシルエットですよね。なで肩の私が着ると、太って見えるので実は、薄い肩パットを入れて撮影をしたんですよ!
パリコレ出演時の一枚。ランウェイを歩く、アジア人モデルは当時大変めずらしかった。
ーオフタイムにはどんな着こなしなんですか?
家ではモコモコ素材や薄ピンクといった、自分が好きな洋服を着ています。薄ピンクが大好きなんですけど、私には甘すぎて似合わないんです。好きな洋服が必ずしも、似合う洋服とは限りませんよね。好きな洋服と似合う洋服を近づけていくのが、人間の一生のテーマだと思います。
ゆとりある心が創る、”美しい人”
ーアンさんが考える”美しい女性”像を教えてください。
憧れの女性はずっと、母なのですが、彼女はよく「本当の美人は、一緒にいて心地がいい人なのよ」と言っていました。大人になった今はっきりと分かるのですが、女性の美しさとか豊かさって、この人といたらハッピーになれる、と感じさせる心地の良さにあると思うんです。
心地良い人でいる為には、小手先ではなく、芯からの笑顔と相手への思いやりが大切だと思います。でも本当の笑顔って自分に余裕があって始めて生まれてくるものですよね。そういった意味では、自分の内側の声に耳を傾け、自分を癒してあげる時間が大切だと思います。
-自分を”癒す”ために、何から始めれば良いでしょうか。
まずは、自分を好きになることが大切。自分を好きになるために、自分の嫌いな場所を見つけて、次はちゃんとできるように努力する。これも一つの癒し方だと思うんです。自分自身と向き合う時間をつくり、自分のパターンを知る。自分に優しくあることで、相手を思いやれる心を持った、美しい女性になれると思います。
最後にアン ミカさんから
“美しくなるためのメッセージ”
“ストレス”という言葉をつくった博士が、「ストレスを解消する秘訣は東洋人の心にある。特に日本人が大事にしている”感謝”の中にあるのだ」と語っているんです。人には欲があるので、”満たされない”と感じてストレスを感じるのは、ごくごく自然なこと。でもちょっと見方を変えて、今日できたことに感謝してみる。すると自然と心が豊かになり、美しい気持ちで日々を過ごせると思います。