美人白書

Vol.14 杉山 愛


Oct 23rd, 2013

photo_ daisuke araki
stylist_sachiko mizuguchi,kumiko mizuguchi
hair&make_mika kikuchi
text_noriko oba
edit_rhino_inc

15歳で日本人初の世界ジュニアランキング1位に輝き、その後もグランドスラムで三度の女子ダブルス優勝を果たすなど、日本のテニス界のエースとして活躍し続けた杉山愛さん。17年という長い現役生活に終止符を打ち、現在は解説者や指導者としてテニスに携わる日々。開催地N.Y.での全米オープンダブルス優勝秘話や“愛ちゃんスマイル”と呼ばれ親しまれた華やかな笑顔からは想像もつかないほどの苦しいスランプ時代、そして現在の充実のプライベートなど、大いに語ってもらいました。

満面の笑顔で魅了する、杉山愛さんの美の秘訣

あと2歳若かったら

――テニスを始めたのはいつごろですか?

小さい頃からフィギュアスケートや水泳、バレエなど習い事をたくさんしていましたが、4歳でテニスを始めたらもう虜に。あの軽快な打球感、ラリーが続いていく感じが楽しくて、週1じゃ足りず週2週3と増えていき、最終的にテニス1本に絞ったんです。

――そして、15歳で世界ジュニアランキング1位に。

実際の結果も順調についてきていたのに、私の意識はあまりそこにはなく、中学のときも「あぁ今11歳だったら」とか「この実力で小学生だったら」とか”2歳”若かったらとしょっちゅう思っていたのを覚えています。なんででしょうね、今考えるとおかしいんですけど。世界のトップに行くには時間がないと思っていたのかもしれません。

盛り上げ方を知っている街、N.Y.


シャツカーディガンパンツ

――ウィンブルドン、全仏、全豪、そして全米と4大国際大会のなかでも、N.Y.で行われる全米オープンはどんな雰囲気なんですか?

ウィンブルドンや全仏のときの正装したお客さんたちとヒリヒリするような緊張感に包まれたなかでプレイするのも、それはそれですごく好きなんですけれど、全米オープン特有のカジュアルにとことん楽しむ雰囲気もよかったです。テニスコートからそのまま来ちゃったみたいな、Tシャツ短パン姿の人もたくさんいて、そこら中から「カモンッ!!」なんて言葉が飛んできて(笑)、この空気、さすがエンタメの国だなと。

――その全米オープンで2000年、女子ダブルスで優勝を果たします

当時ダブルスのチームを組んでいたジュリー・アラール・デキュジスとは、この年のツアー6タイトルを獲得し、全豪でベスト8、全仏ベスト4、ウィンブルドン準優勝と段階的に順位を上げていて、次の全米は優勝しかないなと信じ切っていましたね。ただ、私は女子ダブルスで世界一となった同じ2000年、シングルスでは絶不調、味わったことのない底なしのスランプにハマっていたんです。

ボールが飛んでくるのがこわい

――ダブルスで優勝した年にスランプに?

ダブルスはサーブしてネットプレイで勝負するのに対して、シングルスはサーブしたあとにグランドストロークで組み立てていくという、プレイスタイルが全然違うので、同じテニスでもまったく異なる競技といってもいいくらい別ものなんです。

――どんな状態だったのでしょうか。

打ち方が分からなくなるくらいグランドストロークがもうぐちゃぐちゃ。自分の持ち味も失われて、コートに立っていても”ボールが飛んでくるのが怖い”と感じるんです。当然プレイなんてできたもんじゃなく、毎日テニス漬けで20年やってきて、まさか打ち方が分からなくなる日がくるなんて思わなかった。

――それは試合に出場するのもつらいですね。

ボールが怖い、打ち方が分からない、でも毎週毎週試合はある…地獄のようでした。よくなる気配もまったく感じられず、続けても意味ない、もう辞めたい、と母に相談したんです。そうしたら、母の第一声は慰めでも励ましでもなく、「今ここで辞めたら何やってもうまくいかないわね」と冷静なひと言。ただ、この言葉がウェイクアップコールのように響いたんです。辞めたいと言いながらたぶん心の片隅にはくすぶった思いもあって、母の言葉にハッとしました。夢だったトップ10入りをするためにまだやるべきことがあるはずだと。

スランプ後、やっとプロになれた気がする

――そこから切り替わったんですね。

ただ、いざ気持ちが前向きになっても何から始めたらいいかも分からなかったので、「どう頑張っていいのか、まったく見えないんだけど、ママには見える?」と聞いたら、いともあっさり「見えるわよ」と。だったらもうこの人についていくしかない!と、わらにもすがる気持ちで母にコーチをお願いしたんです。そして、ゼロからつくり直す覚悟で、それこそフォームづくりから再スタートしました。

――どんな練習をしたのですか?

それまでの”感覚”に頼っていたプレイを全面的に見直しました。この小さい体をフルで使うにはどんな筋肉の使い方が効率いいのか、頭でもきちんと理解してそれを体で表現するというように構築し直したんです。フィーリングで打っていたときのように日替わりで調子が上下せずパフォーマンスが安定していきました。

――気持ちにも変化が起きましたか?

スランプ前の自分は子供だったなと思いますよ。だから、壁にぶつかっても辞めたいってサジを投げる方向に行こうとした。腹を決めて自分の体やプレイと向き合って、ひとつひとつ処理していくと頭もクリアになるんです。すると、たとえうまくいかないときも一喜一憂しないで、冷静に分析できるようになって。やっと本当の意味でプロになれたと思いましたね。しかもそうやって知れば知るほど”テニスってやっぱり楽しい!”って、ますますテニスが好きになっていました。

――このスランプがあってよかった、と。

その後の生き方まで楽になりましたから。つらいことがあっても”これは何か理由があって起きているはず”、”この試練は、神様は何をメッセージしているんだろう”と落ち着いて、きちんと問題と向き合えるようになりました。あのとき、つらいまま辞めないで本当によかった。”ボールが飛んでくるのが怖い”なんてどん底は二度とないでしょうから、もう何でもこい!って感じです。

人生のパートナーも見つかりました

――色白になって、顔もほっそりして、選手時代とずいぶんイメージが変わりました。

私、実は色白なんですよ。なので、今は本来の色に戻ってきているだけ。打つときに歯を食いしばって付いた筋肉も落ちてきて、顔が細く見えるのかな(笑)。

――ご結婚もされました。今日の撮影はご主人も一緒に来てくれていて、仲がいい様子が伝わってきます。

今日はたまたまですけどね。でも、結婚して2年まだ新婚気分です(笑)。ダブルスでもパートナーを見つけるのが得意と言われましたが、人生のパートナーもすばらしい人を見つけられたなと自負しております(笑)。

――その決め手、ぜひ教えてください!

テニスでは、シングルスのこだわりが強い分、ダブルスはせめて自分の好きな人と楽しい時間を過ごしたいと “勝てる人より楽める人”がパートナー選びのモットー。そういう余裕や遊び心がプラスに作用して、3度も世界一になれたのかもしれません。彼とは出会ったときから”素”でいれたことが大きいですね。気に入られようといいとこ見せたり、かっこつけたり、そういうのが一切なかったんです。嫌なことがあっても、家でグチを聞いてくれたり、一緒に怒ってくれる人がいるって本当に心強いです。休みの日にはゴルフを教えてもらったり洋服を買いに行ったり。

――買い物も一緒に?

彼は似合う似合わないを正直に言ってくれるので、助かります。だって、自分だけが気に入っていても、彼にかわいいと思ってもらえなかったら意味ないじゃないですか(笑)。なので、素直に意見は聞きます。こういう時間を大切にしながら、尚かつ生涯関わっていきたいテニスに対して自分ができることは何なのかを考えてバランスを保ちながら生きていけたらと思います。


最後に杉山 愛さんから
“美しくなるためのメッセージ”

“大好き”で選んだ自分の道でも、ときにはつらくなる出来事や乗り越えなきゃいけない壁が現れることもあります。それでも、いいこと、大好きなことだけじゃなくて、壁も含めて、全部まるごと楽しんでしまえるような気持ちで日々を過ごせたらいいですよね。遊び心をもって楽しむことは、壁すらも乗り越えてしまう大きな力があると思うんです。どんなときでも””遊戯三昧=することを楽しむ”ことを忘れずにいることが、心と体を美しく保つ秘訣じゃないかなと思います。


今月の美人
杉山 愛

4歳からテニスを始め、17歳から34 歳までプロとしてツアーを転戦。グランドスラムでは女子ダブルスで3度の優勝と混合ダブルスでも優勝を経験する。目標のシングルストップ10も叶え、W T A ツアー最高世界ランクではシングルス8位、ダブルス1位に。09年に引退。現在は、情報番組のコメンテイターやグランドスラムの解説などテニスを通じた活動で注目を集める。グランドスラムのシングルス連続出場62回の世界記録をもつ。

Vol.15 黒田 知永子

Vol.13 八木沼純子


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