TRADITIONAL STYLE

Vol.06 山口晃


Feb 13th, 2013

photo_shota matsumoto
text_jun takahashi(rhino inc.)

現代的な超高層ビルに瓦屋根を描くなど、見た人が思わずニヤリとしてしまうユーモラスな作品を手掛ける画家、山口晃さんにインタビュー。独特な視点や世界観は何から生み出されるのか。柔らかい日が差し込むアトリエでお話を伺いました。

広告がキャンパスだった、少年時代。

ーまず、絵描きになったきっかけを教えてください。

山口晃 もともと家にあった広告裏面の白いスペースに好きな絵を描いていたお絵かき少年だったんです。絵描きになろうなんて、全く思ったこともありませんね。むしろ絵描きだけは嫌だなあ、というのはちょっとありました。

ー嫌だったんですか? ちょっとびっくりです。

山口晃 ええ。まさかなるとは思いませんでした。だって30歳くらいで血を吐いて死ぬようなイメージでしょ? 絵描きって。それにベレー帽っていうのがね……多分日本でベレー帽が似合うのは手塚先生と藤子先生ぐらいでしょう。

ーちなみに、お絵かき少年時代はどんな絵を描いていたんですか?

山口晃 わりと小さい頃は普通の子供らしい絵を描けていたみたいです。真ん中にドンとモチーフが来るような。確か最初に形があるものを描いたのは、車などの乗り物と聞いています。というのも、父が日曜絵描きなものですから、僕の描いた絵を面白がって保管してくれていたんです。さらに父の考察みたいなものも書き留めてあって。「これは○○らしい」とか「○○とつぶやきながら描いていた」という記録付きで。

山口さんが3歳の頃に描いた、機関車の絵。よく見るとライト等パーツも細かく描き込まれています。また、各部に山口さんのお父さんの注釈も。

(c) YAMAGUCHI Akira Courtesy Mizuma Art Gallery

ー今のように細かく描き込むような絵ではないんですね。

山口晃 ええ。真横から見たようなものが多いです。背景にビルや空港みたいなのを描いているのもありましたが、さすがに水平、垂直がメタメタ。ま、その辺は子供の絵です。

2004 百貨店圖 日本橋 新三越本店  紙にペン、水彩 59.4×84.1cm

所蔵:株式会社 三越伊勢丹

(c) YAMAGUCHI Akira Courtesy Mizuma Art Gallery

ーそれから美術大学に通い出すまで、ずっと絵を描いていたんですか?

山口晃 はい。心の支えでしたね。自分には絵がある、みたいな。だれかが「ヤマちゃんうまいね!」と褒めてくれれば、心どころか、背骨までもビシっとさせるくらい嬉しかったです。中学の終わり位から段々、イメージに手が追いつかなくなり、それでもっと上手くならねば、と思い美術大学に行くことにしました。大学はまあ、絵描き養成という場所でもあるので、こちらは絵が上手になればいいのですが、芸術家になれ! という感じでいろいろ教え込まれるんですね。

まあ、最初に言ったとおり「絵描きを目指してきた」のではなく、ふわふわと人が促す方向に、水面に浮かぶ浮き草のように進んできて、今も絵を描いています、という感じですね。

お気に入りはコーデュロイのシャツ。

ーいつもシャツを着ているイメージがあるのですが、山口さんの中で好きな服、嫌いな服はありますか?

山口晃 今の時期なら素材はコールテン(コーデュロイ)でオレンジに近い赤色のシャツが好きですね。冬場は首が出てると鼻風邪をひいちゃうので、首もとは守っておきたいです。着る服に対して、あまりこだわりがないので、理想としてはアニメの登場人物のように、気に入った服が揃っていて、それを毎日着たいですね。

ー日本画の絵描きと聞くと、和服を着ているようなイメージがありますが。

山口晃 現代で和服を着るのは、自然さとは逆のベクトルですからね。しかも僕くらいの年齢の人間が着ていると、個人的にちょっと鼻持ちならないニオイがしまして。踊りやお茶の方が着られるのは良いと思うのですが。昔の人は着物があるからそれを着ていたわけで、今あるものと考えれば、着物ではなく、洋服だと思うんです。つまり、在り方としての焦点を合わせたいタチなので、格好から入っていくような、人間の外面に焦点を合わせるというのはないですね。細かいことを言えば、僕は油絵科を出て油絵を描いてます。いわゆる「日本画」は描いてないんですよ。

2006 ラグランジュポイント  紙、墨、ベニヤ  撮影:木奥恵三

(c) YAMAGUCHI Akira Courtesy Mizuma Art Gallery

どんな仕事もまずは請けてみる。

ー絵を描く上で、常にこだわっていることはありますか?

山口晃 以前『illustration』という雑誌の、上は和田誠さんから、駆け出しの作家まで、何名かの制作現場などを紹介する特集に載せてもらいまして。その中で仕事の流儀をみなさんに聞いていたのですが、和田さんは「締め切りに遅れない」とか「嫌な仕事はやらない」とおっしゃっていました。ああ、えらいなと。僕、そういうの全くだめで、来た仕事は基本断らないというのがあるんです。

ー何事にもチャレンジする、ということでしょうか?

山口晃 いや、断ると次が来ないような気がして、怖くてしょうがないんですね。あとはやってみることで、広がる部分があるんです。例えば、あまり興味のない絵描きについてコメントを求められたことがありました。河鍋暁斎という、江戸の終わり頃の絵師がいるのですが、調べていくうちに彼の近代化に対する態度を知って、大好きになりました。明治初期の日本を代表する絵師だったんです。

こういった経験から嫌いな仕事とか、興味が沸かない仕事にこそ、自分がまだ掘っていない何かがあるんじゃないか、という貧乏性もあり。掘ってみて何もなかったこともあるんですけれども。まあ、何もないことがわかるのもいいかなと。

ー確かに挿絵に襖絵、お寺の天井画など、幅広く描いていますね。

山口晃 そのジャンルはそのジャンルの王道で、自分ができることは何か、を常に考えています。よく、コマーシャルでも、個展用の作品でも、全部自分のスタイルを通して同じようなものを描く人がいるんですね。ああいうのがもったいないなと思って。やはり表紙のときは表紙買いしたくなるようなものにして、作品は作品で「ぬぬっ」と噛みごたえのあるようなものにして、その場面ごとに変えていくことには強い想いがあります。

ーなるほど。来た仕事に合わせて描くんですね。

山口晃 見ている人に合わせた上で、期待値を超えていくと言うんですかね。変化球よりは正攻法で。正面をダーっと超えていくのが理想です。

ーでは仕事ではなく、生き方に対してこだわりはありますか?

山口晃 生き方ですか。仕事で好きなことをやってますので、生活は本当に小さく小さく、なるべくゴミを出さないとか、騒音を出さないとか。かみさんが買ってくれる洋服を文句言わずに着て。そのせいか最近、存在感の無さも身についてきました。この間、展示会であったことは印象的でした。

絵の運搬や展示は大体専門の方々がやってくれるのですが、そのお一人がどうやら展示する高さを聞きに、僕を捜していたんです。僕は担当と打ち合わせをしていたのですが、隣の担当に向かって「すいません、山口先生はどこですか?」と。いやいや、あなたの視界に入っておりますが、と思ったのですが、さらに担当に近づいて尋ねるんです。担当が「ここ」と僕を指さしたら「エーッ」と驚いていました。もうね、軽く忍者にはなれるな、と思いました。

2012 平等院 養林庵書院 奉納襖絵

誰でも楽しめる絵を。

ー絵を描くことに対して、これからチャレンジしたいことを伺ってもいいですか?

山口晃 同じことをずっとやっているように見えても、必ずどこかが一段階上がっているように、と心がけています。元々仕事に対して飽きっぽいものですから、ギチギチ描く絵、あっさりの絵、立体、文章などいろんなタイプを飽きないようにローテーションで渡り歩きながら、円環でなく、らせんのように二巡、三巡するに従って高みに登っていきたいんです。洋服屋さんでいうと、年々品揃えがよくなる店で、しかも少しずつブラッシュアップされているような。

ー先ほどのどんな仕事でもまず受ける、にも繋がりますね。

山口晃 そうですね。さらに一見さんも常連さんも楽しめるような絵を描いていきたいです。僕の絵を気に入ってくれている常連さんも大事にしたいけど、初めて見た人がわからないような絵はいやですね。間口は広く、奥は深くが理想です。まぁ、理想ですが……。

Vol.07 松浦弥太郎

Vol.05 長嶋一茂


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